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お話伺いメモ 2007/8/11

70代男性、一人暮らし。長田区で全焼。ベランダから降りた。避難所にいる間に全部もえてしまった。タンスから何も残っていないからしょうがない。春には仮設に入った。3年仮設にいた。戦争は15ぐらいから学童動員で空襲の中を逃げて回った。ここでも余り外へは出ない。

70代女性、一人暮らし。長田で全壊。「話はみな同じでしょう」といわれる中を、六甲の仮設は何にもない不便なところ、ご主人を亡くされここへ入ってまだ5年。ひどい目にあったとお話しをお伺いした。あれこれと病気が出てきて、近くの病院に通っているとのこと。

70代男性、一人暮らし。東灘で全壊。燃える家の火で電線が焼け落ちてまた別のところが燃える。消火器も水もない。白衣と前掛けとつっかけだけが残った。ポーアイの大仮設で最後まで世話役として残った。そりゃ―大変だった。あらゆるトラブルがあった。餓死の方が一日で10人も出たことがあった。3ヶ月して見つかった若い人の検死に立ち会ったときは数日ご飯が食べられなかった。若い人がアル中や自殺に走ることが多かった。ボランティアとして国会に行ったこともあるよ。仮設時代の人とはまだお付き合いがある。1時間を越える尽きぬお話に再訪を約して、7回忌になる奥様の写真に3人でお焼香をさせていただく。

お話伺いメモ 2007/8/25

80代女性、灘区で全壊。何くそっ!と思いながらやってる。あんたらは関係無い人だからはなしするが、同じ棟の人とやったら話さへん。どうしても悪口が出るやろ。ただこうした話もどこまで伝わるやろ。震災で、雨露しのげて風も防げて家賃も安い、こんな部屋を当てごうてくれて、これはありがたかった。

80代女性、垂水区で全壊。ここでは挨拶以外お付き合いはない。千の風になってを聞きながら本読んで、こんな幸せでええんやろかって思います。団地内に孫も住んでいる。自分自身で満足しているから書くことなかった。とにかく人に頼らんことです。

90代女性、東灘で全壊。ボーンというとだけで何だったのか、部屋が沈んだ。声だすとこを掘って夫を助けた。土で埴輪のようになっていた。公園でタクシーの中に寝かせてくれた。震災の直前に子供を亡くしたが、地震騒ぎにまぎれてかえって良かったか、ともいわれる。地震は戦災よりひどかったとも。ここへ来てから夫を看取ってご自身もクモマクに。明るいしっかりしたお嬢さんに介護されて、多くのお話を伺うことができた1時間であった。

70代女性、東灘で全壊。二人暮し。わすれますわもう、と言いながら出てこられ、玄関で1時間のお話伺い。住む場所が変わるたびに「つらかった」と言われる。この棟でも半分ぐらいの方が替わっており、多くの方が亡くなっている。仮設にボランティアが来てくれるのが嬉しかった。話にきてくれるだけで嬉しかった。地震は家族なかよくすることをおしえてくれた。能登や新潟の方に。自分が頑張ってきた道だから頑張って欲しい。がんばるという言葉は気をつけて使わねばならないが、でもそういう言葉しかないのでそう言ってしまう。30年前からのご病気を抱えながらのご努力を、明るく、親しく、お伺いすることが出来た。


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