トップお話伺いメモ2009年お話し伺い訪問メモ>6月

お話伺いメモ 2009/6/13

※この週は新型インフルエンザの影響により、活動中止となりました。

お話伺いメモ 2009/6/27

60代男性、子どもと妻と4人暮らし。長田区で被災、全壊(アパート)。被災時は1歳と6歳の子供があり大変だった。妻が神戸出身のため、昭和49年、大阪からこちら長田区に引っ越した。市場の魚屋で働いていた。その後トラックの運転手をするも手取り13万円ほどで生活は苦しかった。今は仕事がまったくなくて困っている。1回3時間、時給1000円清掃の、アルバイトをしている。足りない分は生活保護を受けている。妻は現在、総合失調症で働きに出られないので自分が働くしかない。自分はアルコール依存症で、糖尿病のため、今は、断酒会に入り、自分を戒めている。長男は高校を卒業し独立しているが、次男はまだ、高校1年生のため、生活は苦しいが、授業料約2万円を何とか工面して支払い、高校を卒業させてやりたい。これが夢であり、頑張って行きたいと切実に話された。しかし、まともな仕事がないので困っていると繰り返し話された。

70代男性。中央区で被災、全壊。震災時は2階から降りられず4時間くらい閉じ込められた。被難所には入れなくて大阪の公団に入った。大阪の方が当たり易いということであった。そのときは親と一緒であった。でも、やはり神戸がよいと思う。兄姉はたくさんいたが、今では兄1人姉3人の末っ子で兄の援助を受けた。現在は兄が母親を見てくれている。奈良につれて帰っている。自分は震災当時は55歳で無職であった。昔から友人の出来にくい方で、若いときの働きのおかげで、今は国民年金と厚生年金のおかげでやっている、1人なので何とか生活ができている。先般、胃腸の病気で入院していた。今は、お隣さんとだけ行き来している。会えばお喋りしているだけである。まーテレビが友人と言うところです。コーヒーは何杯も飲んでいる。足が時々、コムラカエリすると云われたので、もしかしたら水分の不足かもしれないと思うと話した。東條さんの名札を見て、あなたが東條さんですかと、大変、喜んでおられた。東條さんの名前は以前からよく知っているとの事でした。14年目の感想としては生きていてよかった。と言われ明るい受け答えの会話はとてもよかった。

50代女性。灘区で被災。1階は全壊、2階にいたので助かった。仮説住宅は北区の鹿子台の仮説にいた。震災時のショックで、今でも精神科のカウンセリングを受けに通っている。肝臓が悪いため内科の病院にも行っている。この復興住宅は6回目でようやく当たった。おかげで1人暮らしであるが隣、近所との付き合いはある。何とかやっている。


2009年お話伺いメモ目次に戻る