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お話伺いメモ 2009/10/10

30代、男性、1人暮らし。灘区で被災、全壊。家の下敷きになり体が挟まれて身動きできなかった。まもなく火災になり木などが緩み身動き出来るようになったので文字どうり、火事場の力を出してようやく逃げることが出来た。死を感じた。今もはっきりとその時のことを覚えている。はさまれて閉じ込められた時間は、何時間くらいだったかは動揺していたので、はっきりとは覚えていないが1時間程度だと思うが長い、長い時間に思われようでした。15年たった現在も顔と手と足にやけどの跡が残っていると話され、足をこすって見せておられたのが印象的でした。震災直後は医者もないため、後で医者に行った。15年前のことは今も心に残っているとの事でした。震災による心の傷はいまも癒されてはいないようです。火事場の力を出して逃げた後は実家が気になり実家へ駆けつけた、実家も半壊ではあったが大変だった。母の店は全壊で何もない状態であった。母上の気持ちを思われて話されている表情は真剣でしたがその後は明るくされて、我々ボランティアもホッとさせられました。

70代、女性、灘区で全壊・全焼。近所の人に引っ張りあげられて助かった。今は息子さんと二人で住んでいる。九州の出身ですので明るくいきていますとの事でした。ここには2年前に来た。まだ隣、近所のこともはっきりとは解っていないと話された。前向きな方でした。

玄関口にてお話し伺い。元気にしています。復興住宅ができてすぐから住んでいます。それより前は、話したくないです。思い出したくないです。

30代、玄関口にてお話し伺い。38歳、兵庫で被災。近くの公民館に避難。西区の仮設住宅に入居。ここには入居11年になる。

10代、5人の家族と暮らす。震災当時は3才。3階建ての建物の3階に住んでいた。家から出てすぐに3階建ての建物がつぶれたのを覚えている。近所の仲のよかった友達が地震で亡くなっていた。友達が亡くなっていることを人づてに小学生高学年くらいになって知った。震災後は避難所に入った。避難所外に遊びに行ったあとは、迷子になることが多かった。仮設住宅は北区。我々よりずっと背の大きい子だったが、いろいろと話をきかせてくれた。

お話伺いメモ 2009/10/24

70代、女性、東灘で全壊、青木の近くの老人ホームのような所で避難していた。その後六甲アイランドの仮設住宅に3年近くいた。ふれあいセンターにはあまり行かなかったが、隣の人とよく話をした。仮設住宅では市役所の人もお隣の皆さんも私達に親切にしてくださった。しかし、中には意地の悪いボランティアさんもいた。貴方達のような方は珍しく嬉しいとの言葉をいただいた。この住宅も市役所の担当者の人のおかげで当たったと思います。部屋も広くて気に入っている。主人は西宮の日本盛りの近くの生まれ、自分も若い頃は日本盛りに勤めていた。主人は昨年12月に胸の病気で亡くなり寂しい日が続いた。足が弱っているため3年前から自分は電動自転車で買い物にも行く、今は少し明るく生活している。火曜日と木曜日は必ず、神戸港湾医療保険協会へ行きリハビリを続けている。おかげで足腰以外は元気で電動自転車での散歩も続けている。4年前に心臓の手術をした。ヘルパーさんは、週に2回来てくれている。近所との付き合いはあまりない、仮設住宅と違って一度ドアを閉めたら声も掛け合わない。買い物に行けて、まあ元気なことが嬉しい。絆が欲しい時もあるが子供はいないけど、あっても大変な人もいるからとサバサバとして居られた。今後、震災時に何に注意すればよいかの問いに、今後は非常時でも心を落ち着けて慌てないことが一番大切と話された。話の終わりには、われわれボランティアにも気を使っておられるようでした。部屋で50分のお話伺い。

60代、女性、灘区全壊、震災時は3人暮らし、税務署近くのアパートが全壊、2階でしたが全員無事に逃げられた。近くの避難所で4ヶ月、比較的、年が若かったので11年まで西区の仮設住宅にいた。何回目かの抽選でこの復興住宅が当たった。今年2月ご主人に病気が見つかり病院に入院、退院を繰り返している。奥様は60代、ご主人は70代。ご主人は体が弱く10年近く介護していて、辛そうでした。植木が趣味で玄関の前はきれいに鉢が並んで植木が生き生きと輝いていた。娘さんには女の子があり、孫は可愛いいですね、と潤んだ瞳をみせておられた。
奥さんはカラオケが趣味でしたがとてもつらく5月からやめてしまいましたとか。主人は闘病中、で頭の毛も無くなっている、それでも、電動スクーターで散歩に出かける。それが唯一の楽しみと話された。近所のことはドアを閉めると中の様子がわからないので、この近くでも孤独死を知ったのは、うじ虫が隣や下に落ち始めて分かったのだそうです。今後、震災時に気をつけることは、防災靴、懐中電灯と避難場所は心得ておくことなどと話してくださった。ボランティアの1人と仮設が同じと判り、しばらくは話の弾んだ事でした。

60代後半、女性、東灘で全壊、六甲の仮設住宅に母親と2人暮らしでしたが、自分が病気のため1年も経たない間に自分が母を見られないため、母親を老人ホームに入れているとのことでした。今、困っているのは金銭面のことであるが土地が少しあるので、福祉も受けられないと嘆いておられた。隣の人が先般、「助けてくれー」とベランダから言われて110番を呼んで上げた事があるが、そのとき隣の部屋がゴミだらけで、ゴキブリもいたことが今も気になっている。ここは自治会もないのでどこへ言えばよいか困っているといわれた。傾聴ボランティアとしては何処まで踏み込めるのか課題だと思いました。力強い口調で相談ごとなどを語られた。


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