お話し伺い訪問メモより
2001年4月14日,28日
[復興住宅]
- 60代、男性1人。中央区で被災。避難所が空くまで1週間、学校のコンクリートの上で寝泊りした。近くの高校で空きが出来た、と呼んでくれて初めて暖房のついている部屋へ入った。次第に畳や囲いがついてきた。
仮設に入るのに3ヶ月かかった。東京の大学生が言ってくれて申込書をポストに入れたら、名谷の仮設が当たった。 罹災証明の発行のため公園で延々と並んで、もらうのに3日間かかった。途中で整理券を出す事になり列を離れる事が出来た。職員も応援の者が多く、対応の行き違いから叩きのめされた職員もあった。
仮設ではモーニング喫茶を開いたりしてお世話をしていたが、脳梗塞で倒れ、失明した。巡回で血圧を測りに来てくれた県の人が、血圧が高いと言ってくれなかった。
仮設から公営住宅に移るには当たりはずれがあり、仮設の友達で騙される様にして入った先で不便している人がいる。 現在、週2回のヘルパーを受け、1級障害で病院への通院介助を受けている。病院は3ヶ月で出されるので困っている。など屋外で春の日差しを浴びながら、6年間を様々に語っていただいた。(担当:鹿島、東條)
- 震災で奥様を亡くされて、ご自身も半身麻痺。しかし会社や地元の自治会や防犯協会で重要な役割を果たされている60代の男性の方や、毎週カルチャーセンターへ通っておられる80代女性の方や、いずれもとても前向きに生きておられる方からお話しを伺い励まされる。(担当:籠嶋、鎌田)
- 70代女性。兵庫区の雨漏りのする半壊の家で住んでいたが西神の仮設に3年間お世話になり、2年前にこちらにやってきた。1人なのでさびしい時があるが週1回の集会所での昼食会や趣味の刺繍などに通い踊りを見に行く事もあるという。ここで趣味が刺繍と言うことで訪問者と話しが弾んだ。(担当:小波本、佐竹)
- 80代女性。須磨区で全壊。西神第1仮設では良くしてもらった。現在緑内障で字が読めず、あまり外に出たくない。人に接するのが面倒、人の世話になるのが苦痛で付き合いは難しい。と全体的に引っ込み思案の方でしたが、部屋に上げていただきいろいろとお話しをして下さいました。(担当:矢野、藤田)
- 60代男性。長田で自宅は全壊。現在は健康面で問題が多く、週2回遠くの病院へ通っている。咳が止まらず腰痛でお風呂洗いも出来ず視力が低下し眼科にかかっている。他に内科と整形外科にかかっている。以前頭を打ってから読み書きが難しくなり、カレンダーも自分で作ったものを使っている。
仮設の時と違って近所づきあいがとても少ない。仮設では気の会う友達がいたが今はほとんどいない。 月8万円の収入で、病院への交通費や光熱費お風呂代などを支払うと生活はとても苦しい。(担当:籠嶋、相馬)
- 80代女性。兵庫区で被災し自宅全壊。以前から心臓が悪い。この復興住宅に来てから病気勝ちで月2回病院へ通っている。自治会の喫茶や手芸などに以前は参加していたが、病気になってからは参加していない。住居については不便さは感じていないが、身体はしんどい。(担当:籠嶋、相馬)
- 60代ご夫妻。新長田で被災されたお話しを伺う。ベットの下にすべりこんで「九死に一生」を得た。同じ階で二人の男性が死亡されたお話しを聞く。ベランダでお花を作り、玄関をきれいに飾ってしてご夫妻で元気に住んでおられるが、「ここは希望して住んだ場所でないのがつらい」と語られた。(担当:西谷、相馬M)
- 60代男性一人暮し。震災の2年前に脳梗塞で倒れた。板宿で被災しパジャマのまま素足で家を出たがその後火がつき全焼。「すんだ事はしかたがない」と前向きだが、「時には玄関を開けたくないときもある」とのお話しを伺う。(担当:西谷、相馬M)
- 70代男性一人暮し。20年来の糖尿病で最近は膀胱炎で医者に通っている。毎日水泳に行っているがこのところ行けていない。少しストレスが溜まっている様子。「いろいろな事に、きまりについてゆくのが疲れる」とのお話しを伺う。(担当:宇佐見、鍋田)
- 70代女性一人暮し。一人では寂みしゅうて寂みしゅうて、ボランティアと話したいと。お伺いすると近所の一人暮しの男性を電話で呼んで同席。足が不自由で抹消神経が悪い。病院の看護とヘルパーさんの対応などを語る。ボランティアはいろんな人との出会いがあって素晴らしいと。初めてあった人とすぐに親しくなれるのは素晴らしい事とご感想。励まされたり語り合ったり。(担当:井手上、南野、東條)
戻る