お話し伺い訪問メモより
2001年6月9日
[復興住宅]
- 仮設住宅の頃から学生達とは交流があると言われる70代の男性からお話しを伺うのは、今度はじめて被災地を訪れた高校生達。
仮設時代とは違って補助が出ないが、お食事会やカラオケ大会を老人会でやっているとのお世話役の苦労を聞く。
ボランティアをやる事は絶対に将来プラスになるとの事。そして其の事は学校では教えてもらえない事なのだ、とのお話し。最後は写真を撮ってもらい後日郵送を約し別れた。(矢野、平岩、佐竹、杉浦、藤井)
- 初めは何も無いと言っていたが、次第にいろいろな話しをお聞きした60代女性。
息子が長田にいるが仮設の頃からずっと一人暮しで、運動になるため常に外に出歩いています。例え今は健康でも家にこもりっきりになれば病気になってしまう。出来るだけ人のお手伝いをするようにしている。マンションの掃除などは率先して。などなど。(矢野、米村)
- インターホンで「週末ボランティアです」というと、「そんなん知らんで!」と答える方。インターホンで「お話し伺いに来ました」と言うと、「もう、いいですよ」と言う方。「いい」とは要らないのことか? しばし悩んだが、やっぱりそうみたい。
「ああ、あれね」のあと「なんもないわ」や、「元気にしてるし、何も言うことない」の続出。遠くからきた高校生達には気の毒だったが、「なんもない」は良いことでもある。(木原、松本、伴、梅田、細井)
- (本人書き込み)市営住宅内では犬猫を飼ってはいけない事になっている筈です。大変迷惑しますので注意して下さい。
- 須磨で震災に合い、垂水の仮設住宅に入っていた60代のお父さんに聞く。腰を悪くして3度ほど入院した。今も遠い病院へ通院中。
しかし生活の不便よりも、仕事がないことがつらい、との言葉を重くうかがう。
- 89才になられる女性、一人暮し。両の足が不自由で時に落ち込んで心細くなり不安であるが、元気に生活とのお話しを伺う。とても上品で笑顔のすてきな方。話題も合って、楽しそうな時間を過ごされました。(木原、南野、井手上)
- ここは年配の方が多いので、あと5年もしたらすっかり人が入れ替わってしまうやろう。いろいろ訪ねてくるけれど、一人一人に合った訪問や支援を考えてくれないと、と数々の役職をこなした60代後半の男性からお話しを伺う。聞けば震災時に大怪我をし、腕や背中を人口骨で支える重度身障。そのときに奥様を失っておられると聞き絶句。
声の大きな方で初めは怒っておられるのかと思ったほど。最後には「あんたらもがんばって」と言って下さった。(木原、南野、井手上)
- 85才、一人暮し男性。
空家募集で入ったが、入居者は若年層が多く高齢者向きとは言えない。3階に1階分しかエレベーターが止まらないので必ず階段を歩くが、階段は下りる時が特に困難。階段には手すりがついていないという念の入れ様。コンクリート壁にそっての階段は、若くても大変。まして85才。
団地内のコミュニティーは全く無く、孤独である。震災後の仮設住宅のほうがコミュニケーションが取れていて良かった、と話される。外出も苦手で、家の中で雑用をしているのも悪くない、とこれからも一人暮しを覚悟されているお話しを伺う。(阿随、籠島、仲島、加藤)
2001年6月23日
[復興住宅]
- 中央区。店の準備で午前3時半頃起床しました。一応食事の完了でカウンターで休憩していたところ空が赤くなり、今日は晴天かと思った矢先、突然すごい風と音が同時に鳴ったと思った瞬間、身体と椅子が傾き倒れると同時に店中の物が倒れた。2階に寝ていた子供と娘が泣き叫んでいたが、階段に置いてあった物が全部足場に散乱。扉も傾き開ける事も出来ず、無理して開けようとするとメキメキと気味悪い音を立て、夢中でやっとの事で二人を逃がす廊下に出たが外に出ようとして又戸が開かず、入口のシャッタが捻れどうする事も出来なかった。窓ガラスを壊してやっとの思いで外に出る事が出来た。
外では水道管が破裂して噴水状態で水溜りの状態であった。空も明けているがマンションのあたりはまるでどうも無かった。
次男の家に3か月間世話になる。その後、茨城県の姉のところに行き約1ヶ月間入院した。持病の心臓で入退院を繰り返した。(80代男性、自筆記入)
- 灘区の木造文化アパートに住んでいたが、就寝中突然大きな地震でアパートが全壊。その時はとっさにフトンをかぶり、倒れてくる壁や家屋の木材を防いでおりました。暫時大きな余震がありましたが収まったので起きてみると見るも無残な状態でした。他の部屋の人達は近くの小学校に避難されました。私は無事であった友人宅にしばらくお世話になりました。仮設住宅ですが、当時市内では被災者が多く近くの仮設住宅は無理で、北区の神戸電鉄の道場南駅より西北徒歩20分、鹿ノ子台仮設に入居3年ほど過ごしました。振り返って当時、、神戸市内の状態はあまりにも情けなく思えました。仮設住宅に入った時は本当に心からうれしく思いました。現在の市住での生活は、誠に感謝の気持ちが一杯で、人それぞれの人生として1日でも永く元気で頑張りたいと思います。ボランティアのみなさん、有難う御座います。感謝!(70代男性、自筆書きこみ)
- 70代女性、一人暮し。兵庫区の文化住宅1階に住んでいた。生き埋めとなり、9時間近く埋まっていた。午後3時ごろ救出。被災住宅から何一つ取り出せなかった。想いでのアルバムが出せなかったのが今でもとても残念です。しかしこの地区は火災が発生しなかったので助かった。火が出ていたら救出も難しく、助からなかっただろう。この時の右肩の骨折などの負傷により,今もって通院をしている。週に1回、注射とリハビリの通院生活です。仮設住宅はポートアイランドに入れられた。この公営住宅に来てから、「愛の園」がよく来てくれていたが、今は訪問してくれない。役所の訪問者も来なくなった。今日来てくれた週末ボランティアも、初めは役所の訪問者かと思って警戒していたが、本当のボランティアと知って安心した。出きれば来る時刻が派っきりした方が良い。午後4時以降はダメ。など1時間半のお話し伺いとなった。(杉尾、白岩)
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