お話し伺い訪問メモより
2001年8月11日
[復興住宅]
- 87才男性、一人住まい。奥さんは10年以上前に亡くなられ、4人のお子さんが神戸周辺にお住まい。地震で家が全壊、息子さんの家と仮設住宅で3年半、ここに移られて3年になる。ここに来てから雪の日にこけて脳の手術、昨年足を痛めて今は月に6回の病院通い。買い物・料理は週2回のヘルパーさんに頼み、週2回のデイサービスに行かれる。デイサービスには一人住まいの方が多いが、催しも多くて良いですよ、との事。特に不便な事も無く、とのお話しを伺う。(前川、山本、川口)
- 87、82才のご夫妻。お二人とも身体がもう悪くなってきて、奥さんは買い物して重たい荷物を持つのが大変だ、といわれる。お二人のうちどちらが先に亡くなるか判らなくて、その後残されて一人でやっていけるか、という不安を語られる。仲良くないよ、といわれるお二人にこの上ない仲の良さを感じて、上がり込みのお話しを伺った。(前川、山本、川口)
- 90才一人暮し男性。ここの公営住宅は198世帯のうち単身・高齢者が59世帯と伺う。須磨区で被災し子供と二人怪我は無し。避難所に103日、寒い廊下から図書館へなど教室を移動しながら過ごす。約100軒からなる仮設住宅で3年4ヶ月。ここへ来てから心筋梗塞でお子さん一人を亡くした。国鉄から中小企業へ、年金暮らし。家賃35000円の生活。25年前に奥さんを亡くされ「寂しいのはもう慣れた」と、様々お話しを伺う。(篭島、小林、富田)
- 70代女性一人暮し。買い物など不便だが、空気が良くて良い。近くに小さなスーパーでもあれば良い。みんな仲良しで、楽しい。ここへ来てご主人が亡くなって2年になるという。「ぼちぼち健康」といわれるお母さんから、楽しいお話しを伺う。(篭島、小林、富田)
- 51才男性一人暮し。親と一緒に入居したが亡くなった。老人のボケを経験したがすざまじかった。これからもみんな大変だと思う。震災後一年ぐらいは働く気もしなかった。何も無い、何も出来ない状態だった。1階でつぶれて外へ出てみるとみんな同じだった。みんな無くなっていた。学校へ逃げたが火は途中で止まった。仮設住宅は長屋的で楽しかった。となりのばあちゃんの面倒を見たり。自分は働いているのでここではとなり近所づきあいは無いが、結構面倒見る人は多い。最近の不景気リストラで自殺した友人もいる。しかしここも住めば都で、震災6年半の決算は、震災の時の借金の残りだ。と、今日家にいることが珍しいという男性から快くお話しを伺う。(山本、佐沢、東條)
2001年8月25日
[復興住宅]
- 65才、67才ご夫妻。長田で被災。家全壊で頭を割り血まみれで病院へ行った。そこでどれだけの死人を見た事か。ハイ次!という具合で息のある者を優先で医者が診ていた。死体は何百と見た。結局何も治療をしないままに戻ったが、来る時は1軒が燃えていたのを見たが帰りには道路が煙でいっぱいになり、火が広がっていた。火災の原因はその後押さえられており不明となっている。また、野中ひろむが泥棒は一人もいなかったといったがとんでもない。自警団が34人も捕まえたが警察はやりすぎと言った。ボランティアの女の子も襲われた。最大1600人を収容した避難所の世話役をやっていたが、この避難所の小学校では教育委員会の指示で、居てもらったら困るとの対応で、救援物資を断ると言う問題もあった。奥さんは避難所で肺炎になり医者も薬もなく、街の病院へ行ったら即入院となった。9月に退院し仮設住宅に入った。国会にも行き議員を捕まえてもっと国に言え、と迫ったが「あかんねん。他の県も同じやねん、との事だった」。公営住宅に入ったがここも仮と思っている。「元に戻りたかったがここにしかなかった。仕方なしに入った。チャンスがあれば元の街に戻りたい」との奥さんの言葉。買い物にも震災前に住んでいた所につい戻ってしまう。ここの住宅の進入道路は、両側に巨大なコンクリートブロックを敷き詰めてあり、入口には「この奥、Uターン出来ません」との看板があった。業者や介護の車がコーナーなどにギリギリに停車しており、異様な風景だったが、初期に駐車トラブルがあったので道路に止まれない様にコンクリートブロックを置いたという。謎が解けた。写真を撮り、茶菓子をいただいてお話しを伺う。(大槻、丹波、東條)
- 66才、64才、31才の3人暮らし。長田の借家が全壊。西区の仮設に3年居てここに移ったが、交通不便、買い物場所がなし、騒音・ほこりがひどく、生活し難い。近隣とのコミュニティーはなく、月1回の掃除やゴミだしなどで会うくらい。長田に居た時は外へ出て賑やかだった。今は両親は余り外に出なくなった。通勤がたいへんでこの子がかわいそう、とは両親の言葉。6年半の感想は「ええ事なかった」「元へ戻りたい」でした。戸口で奥さんとお嬢さんのお話しを聞く。(大槻、丹波、東條)
- 71才男性。奥さんと二人暮し。住んでいたアパートは全壊。ここは周囲に買い物をする場所がない。コミュニケーション不足で孤独感がある。生きるのが疲れる。震災で学んだ事は、人類皆仲良くすべきであり、人と人とのつきあいが大事だと言う事。とお話しを伺う。(佐藤、小南)
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