お話し伺い訪問メモより
2001年9月8日
[復興住宅]
- 59才男性。ここは住宅の設備はとても良いが、脊髄を痛め胃を手術している身では近くにコンビニしかなく買物に遠方まで行かねばならない不便はとてもこたえる。また、公衆電話が無いのはとても不便で、緊急時の用も足り無い。郵便ポストがなく、バス停か駅まで行かねばならないのは実に不便。
ボランティアは何も出来ず、行政は生活弱者を見ていない。障害を持った弱者へのサービスが3日に一度の食事や週に一度の風呂なのはおかしいではないか。80才の天蓋孤独の老人が、3ヶ月で病院を替わらねばならず、その先が見つからないので悪くも無いのに身体に管を通したりしている。
震災の復旧公示煮は地元の業者はいない。あるいはいても遠くの業者の下請けでしかなかった。地下鉄海岸線工事では低コストで進めたために事故が多発。ここの業者が全て神戸空港の工事に回される。震災で疎開した姫路から神戸に戻ってきても、役所からは何の連絡も無かったが、姫路の方から連絡のあったことが嬉しかった位である。
震災の義捐金を10〜20万円くらい貰ったが、自立支援金で100万貰えるところを今までの分を差し引かれて60万円しか貰えなかった。なぜ義捐金の分まで引かれるのか? 神戸の緑化も役所の息のかかった業者ばかりである。行政に対してはもう諦めている。
本当に人を助けるには少しのお金を取った方が頼るほうも頼りやすいのでは無いか。仕事の斡旋や買物の代行などを手数料を取って行なってはどうか。訪問範囲を絞るには役所から障害者リストを手に入れた方が良い。こういう活動に輪をかけて欲しい。その為には無償ではあかん。
震災による引越し続きで借金が増えている。金が無くなったら誰も来なくなった、と2時間を越える本音のお話しを伺った。(平田、永田)
- 仮設住宅時代は楽しい日々を暮らしていた。行事、炊出し、配給、バス旅行など。
公営住宅へ入居してからは震災仲間の意識も無くなり、人間関係もうまく行かずギクシャクしています。訪問するほうも仮設時代と勝手が違うと思いますが、公園や集会所で行事などもして、顔なじみになるといいのですが。(自筆)
- わずかなお金以外は持ち出せず全焼したが火災保険は下りず、ご夫妻ともからだが不自由で「焼けてしまってかえってすっきりした」と考えなければ前に進めない、と、この住宅の買物の不便が年々不安の元となってくると、年を取ってくる不安を訴えます。この近所は全体にお付き合いは良いが、やはりインターホンを推すのは気がひける、と約一時間お話しを伺う。(川上、矢野)
- 50代の女性、震災前は元気だったが被災後体調を崩し、難病にかかり病院通い。子供が一年間ほど勉強をしていないのに普通の中学校に入学してついてゆけず、登校拒否に。自治会のノリにはついて行けず、少し距離を置いて欲しいと感じる。
助けて、という人のうめき声が未だに耳について離れない。外の山麓バイパス道路で事故が多発しており、救急車が来る度にその音に反応して外に出てしまう。ねてるとき突然パッと飛び起きる。これは親子で黙認している。など震災の後遺症についての深刻なお話しも伺う。難病のお話しにも訪問者は唖然とする。2時間に及ぶお話し伺い。(若原、原、森)
- 50代のご夫妻から。仮設にいたときから体調不良が続く。仮設の頃は区役所の人が良く来てくれたが、今は来ないし来ても「○○してください」とは言えないだろう。
「仕事ないしね、厳しい時代ですよ」、面接をやっても募集一人に対して100名来るという。
この春には13日ほど働いたが今はつきに2〜3日働いたら良いくらい。今は貯えだけでやりくりしている。たとえ、区役所の人が訪問してくれても「仕事が無い」なんていえないしね、と戸口での立場なしを伺う。(原田、坂本、長船)
- 50代男性。靴職人をやっているがなかなか仕事が入ってこない。つなぎの状態で金銭的にも困っている。「神戸の市も力を入れていないので、長田のゴム関係はもう衰退して行くやろね」と語る。やはり仕事が減り出したのは震災のあとから。中国などに仕事を回し、単価が安い。「もう50もまわり他の仕事はでけへん。」と(原田、坂本、長船)
- 40代後半の女性。役所は月に1回くらい来るらしい。ここは人間関係の悩みが多いらしい。200戸の中で会合などで人が集まると、必ずいさかいが起こりなじめない。入って行きにくい雰囲気である。職場も来てくれないかと言ってくれているがなじめないので行ってない。「こんな悩みは誰にでもあるよ」と言いながら、ボランティアの訪問に、吐き出す様に日頃思っていることを語られる。ご主人が出張中に震災に巻き込まれ、行方不明だったためにこちらに探しに来た。環境とのギャップに悩むお話しを伺う。(若原、原、森)
2001年9月22日
[復興住宅]
- 車椅子の奥さんを介助して出かけるところ。50代の男性。あわただしそうだったのでご挨拶のみ。ところが終わりかけに廊下でバッタリ。昨日退院したばかりの妻が今日から通院の由。今度は食料の買い出しだが、家においておけないのでと奥さんも一緒に出るとの事。
「本当に不便で不便で」と何度も言われる。「余りに不便」とのお言葉。
バスの停留所は建物の周りをグルッと一回りせねばならず、遠くてしかも通路が狭く段差が多くきつい坂を上らねばならない。ノンステップバスが目の前の高速道路を通るのがやるせない。バスも普通のバスなので毎回乗務員さんを呼んで車ごとバスに持ち上げてもらわねばならず迷惑がかかり中々出来ない。ここは障害者の方も多いが、タクシーを呼んで行ったりする方が多いとの事。
西神にある障害者用の住宅に入りたかったがそこがとても難しく、結局とれずに仕方なくここに入ったとの事。「もう一発でスパンと入った」と苦笑をされる。「文句言っても仕方が無い。市のことはなかなか聞き入れてくれない。まあ、あんたらもがんばってください」。(矢野、長船、坂本)
- 40代前半の男性。西神の仮設にいたがやくざとケンカになり出た。現在長田の病院へ精神系で通っている。外食中心の食事でぎっくり腰とアトピーと目が悪い。
チラシで待っており、2時間の訪問終了後他のメンバーに「今日はもう来てくれないのか」と問いかけがあった。(近藤、松田)
- 80才の女性一人暮し。脳梗塞で3回も倒れた為体が不自由で糖尿もある。1日に3回、ポストまで歩くだけ。話をする相手が少ない。挨拶も少ない。バスは段差があるために乗れない。いつもタクシーを利用する。費用がたいへん。ヘルパーさんが週に3回来てくれるが、買物をしてもらうなど時間制で延長料金などたいへん。
近所にはお店が何も無くコンビニが1軒あるだけ。不便。1ヶ月に2回、医者に自宅に来てもらう。1週間に1回、お風呂に入れてもらう。薬局からも薬を持ってきてもらう。いずれも費用がかかって困っている。(吉田、本岡)
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