お話し伺い訪問メモより
2002年1月12日、26日
[復興住宅]
- 60代女性、一人暮し。被災時、住んでいた文化住宅が全壊した。2階で就寝中で、タンスの下敷きになったが怪我は無かった。芦屋市は震災時、態勢が取れてなくて、避難所に入れない、食べ物が無い、という状態だったので、コープの女子寮の廊下に並んで座っていた。次の日、友人の家に寄せてもらい、西宮へ。市住の空家、武庫之荘団地等を経て、昨年1月このペットが飼える住宅の空家募集に応募して当選した。住宅にはツイていると思う。震災で何もかも失ったけれど、亡くなられた人のことを考えると、何も贅沢は言えない。ペットは猫のホームズ君。飼いはじめて15年の白い猫。震災時は姿を消していたが、大家さんの家の庭にあらわれて、しばらく怒っていた。団地では禁止されている猫を飼っていると、猫にも自分にもストレスになっていた。今は猫と口げんかしながら暮らしています。(堀内、籠嶋、篠原)
- 50代男性、息子さんと二人暮し。ドアを開くと犬が慌てて中へ入っていった。「怖がりだからロッキーは」言いながら部屋へ上げてくれた。ロッキーは10才になる犬のこと。被災体験など詳しくお話しを伺う。垂水の塩屋で被災、全壊、小学校に避難していたがそこから六甲アイランドの仮設に移ったが、移った翌日奥さんが倒れ、明石の病院へ入院したがすぐに死んでしまった。引越しなどの心労がたまっていたのだろう。それからは息子さんとロッキーとの3人暮らし。ロッキーがいたからつらい事も乗り越える事が出来た。この新聞はわしの宝もんや、と言って一緒に写った写真を見せていただく。生活の事でつらいのは食事のこと。料理が面倒で作るとしたらラーメンぐらい。西神にある工場で働いているが、この工場も今月末で首だ。今後の事が心配。50を過ぎて仕事は無い。近所の人とは出来るだけ話しをする様にしている。みんな仮設の時が良いといってるわ。この住宅でも4,5人亡くなっている。年寄りが多い。又来てくれ。今日は寒い中ご苦労さん。(中山、坂本、華山)
- 60代女性、夫婦二人暮し。被災者同志だからお互い様やと思って親切をすると、関係のない方からメイワクだと言われ悪口雑言受けたり、近くの家の方に弱いものイジメがなされたり、先日も駐車場に車を止めておいたら2回も車上荒しに合ったり、と散々な話し。仮設が良かった、その頃来てくれたボランティアの人がくれたものを見ると涙が出る、との事。最後にがんばってみますわー、とお話しを終わる。(中市、坂本、籠嶋)
- 79才男性、一人暮し。暖かい紅茶とチョコドーナツを用意して下さり、ほとんど雑談と言うお話し伺い。震災で肺炎を患い、ここへ来てから腸と腰を痛めた。「仮設の頃には住宅に入る、という目標があったからねー」。「住民が仲良くなるには5〜10年ぐらいかかるよ。わし等が死んでからやなー」と笑われる。学校の話しやヘルパーさんの話。また、別居している家族の話しや大好きな旅行の話しなど、多くのお話しを伺った。(坂本、中市、籠嶋)
- 50代後半の女性、夫と子供と3人暮らし。2階建ての家がペチャンコ。板の下に潜り込んだ形で無事。真っ暗で寝巻きのまま屋根をはぐったら子供がいた。家を見に来てくれた人はペシャンコの家を見て、もうだめだと思ってボロボロと泣いたそうだ。脱出した時に6時の目覚し時計がなったのを覚えている。ゴー、ドンドンドンの音のみ。たまたま寝ていたから良かったが、火を使っていたらどうなったか判らない。空き地の土管の中や車でも寝た。テントを建てて寝た。家に入るのが怖かったので6月までそこにいたがやがて西区の仮設へ移った。仮設では楽しくしていた。友達も多かった。戸を開ければもう付き合いが始まる。気を使わない裸の付き合いだった。寂しくはなかった。ここへ移ってきたのはワンちゃんと一緒であったが、移ってからすぐに亡くなってしまった。夫は元の場所に戻りたいみたいだがお金が無ければ帰れない。須磨区の社会福祉協議会の生活復興相談員から「平成13年3月末で訪問は終わりになります」との通知を受けたチラシを見せていただく。各種の援助金の申し込みも終わったしと、今思えば苦しい事も無かったが、心配と言えば住むところの心配だけ、と様々お話しを伺った。(佐沢、東條)
- 50台前半、男性。奥さんと子供と3人にワンチャン3匹。建築業をやっているが、この3年は良かったが、このごろにわかに仕事が無くなった。ここはまだ、言ったもん勝ち、やったもん勝ち。ルールが出来て生活が落ちつくのに10年はかかるやろう。元の場所に帰りたいが、家賃や駐車場代などの負担に耐えられないだろう。この新しい地域で新しいルールが出来るのを待って、暮らして行くしかないだろう。ペット問題では人間性がとっても良くあらわれる。直らない。とベランダでお話しを伺った。(佐沢、東條)
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