お話し伺い訪問メモより
2002年4月13日
[復興住宅]
- 70代女性一人暮し。半年前に腰の怪我をして調子も悪く、気分がすぐれず元気が無い。10年前に神戸に子供に連れられて出てきた。編物をしていて外にあまり出ない。運動不足で近所づきあいも余り無い。須磨区で全壊。ときどきボランティアが来る。ヘルパーさんは断った。と盛りあがりかけたところへ電話で中断。(華山、前田、長船)
- 50代男性、一人暮し。地震の時は逃げられずに3階から飛び降りた。忘れたいけど忘れられないですよ。民間ボランティアがサッと来てくれた。全国各地からけっこう若い人が来てくれてあれっと思った。あの時はみんな大変やったんで。避難所に3ヶ月仮設住宅に3年この住宅で4年になる。一番最後に仮設を出て定員割れのここに入居した。病気のため坂道が大変で買物も不便。下の道路が夜中の2時3時までうるさくて大変。建物は上下の階が反響して更にうるさい。みんなやっぱり経済的にいろいろあって引っ張っている。終わった気がするけど何か引っ張っている。(華山、前田、長船)
- 70代ご夫妻。病気のご主人が訪問を待たれていて、支援シートに記入しようとして頑張っていたとのこと。広告裏にマジックで数行の文字。話す間に表情がほころばれ、横になったりしながら奥さんの「通訳」でさまざまお話しを伺う。奥さんからは坂の交通の不便から買いものの悩み、バスに乗るときの買物車の悩みなどが深刻に出され、町内会がいま坂道の駐車を無くす運動をしており、マイクロバスを一日数回で良いから通して欲しいとの提案を受けた。ここは空気も建物の良し、文句はそこだけ。みな被災者ということで仲良く気さくに話もし近所付き合いしている。仲のよいご夫妻で、また訪ねたいと訪問者の感想。地震で1戸建ての家は全壊。隣の文化住宅が家の台所に倒れ込んできた。前の部屋に寝ていて助かった。(坂本、前田、長船)
- 70代後半、女性一人暮し。朝からウオーキングや登山に行くから起きてたんですが、もう2〜3分くらい遅かったらバターン!てね…。もうみな、仮設がよかったー、てね。近所付き合いがね。洗濯機が外にあるから嫌でも外にでるからね…、皆よかった〜っていいますよ。ここだったら当たる!って言われてね〜、灘に帰りたかったけれどあたらんからね〜。こんな田舎と思ってたら住んでみたら良いところですよ。ここへ来てよく話しをするようになって、おしゃべりが好きになって誰とでも話すようになった、と楽しそうでした。70才過ぎてバス地下鉄のタダ券もらってるのがあり難いですね〜。よく出かけてエンジョイしてますよ。この階では4年でもう5人が亡くなられた。この階ばかりじゃあないかって言われてね、あはは。(籠島、猪上友子、佐藤)
- 80才男性一人暮し。ここどうですか?と聞くと、もう生活には慣れましたわ。気が若いからどうしてもな〜、しょぼ〜っとしててもしゃあないし、カラオケ誘われたら行くし、踊りが好きな方やから。3年8ヶ月兵隊に行った経験者。一人のほうが気楽、女おったら金やらなあかんしなー、今さら、女つくって暮らそうともおもわへん。今はもう女のほうが強いからゴマすっといたらナー。国会でもみとったら、あ、こいつくさいな、と分かる。ムネオは金集めの先生。みな金もらってるから何も言えへん。と約一時間の怪気炎、お話しを伺う。(猪上友子、佐藤、籠島)
- 70代女性一人暮し。8ヶ月前に夫君を失う。体重が減り続けるのでおかしと思って医者に行ったらもう手遅れだった。寂しいなんて思ってる暇が無いくらい毎日忙しいンですよ。買物に行くのがもういやですねん、たまに食を抜くんですよね。食料品だけのスーパーがあったらよろしいのに。ここはまあ、不便だから当たったんですわ。ふれあい喫茶なんか行くより家に居る方がよろしいですわ。仮設は西神。このころのほうが楽でしたよー。(籠嶋、猪上友子、佐藤)
- 70代女性、一人暮し。上から音が響いてきてビックリして目が覚める。5キロ痩せた。部屋を替わりたいが余裕が無くひとりで悩んでいる。仮設はよかった。仮設の人とは今も電話をしたりして仲良くしている。戦後、台湾から引き上げてきて「いろいろあったですよ」。一人でボーっとしていると昔の日本を思い出す。バラックのところを少しづつ増して2階建てまでした。瓦礫は市に撤去してもらい今はそのまま、空き地になっている。もうここに3年も辛抱しています。掃除や昼食会にもなるべく出ようとしている。まだ薬が無いと眠れない、と約1時間のお話し伺い。(大畑、坂本、猪上一生)
2002年4月27日
[復興住宅]
- 50代後半男性一人暮し。ここへは入居したばかり。ガードマンの仕事中くも膜出血で倒れた。今も真っ直ぐに歩けない。身体は元気で仕事をしたい気はあるが後遺症で口が回らず素早い動きが出来ない。斜めに歩いてしまう。職につけず生活保護を受けている。「すべて、市の保護で、死なないといけない」とつぶやくが、「死ぬのは怖い」とも言われる。2LDKに1ルームしか使用していないという、テレビの横に無造作に置かれた薬の山。(山下、華山、籠嶋)
- 70代女性娘さんと二人暮し。自宅は半壊、垂水の仮設へ、初めからここへ入居。ガンと誤診されたがその後腰が立たなくなった。風邪をひいて鼻血が止まらず病院へ行く。今は元気で今が一番幸せ、と言って下さった。(山下、華山、籠嶋)
- 60代女性。「足を痛めていて、歩くのが大変やねん」とドアノブに手をかけて、何か話をしたい風でずっと立って話しをして下さった。「夜の騒音がうるさい」と少し顔をゆがめながら言われる。ここに騒音があるという話しは無かった。入ってからうるささに困っている。対策も無く引っ越したいと考えている、とのこと。買物の交通費がかさむのが頭痛のたね。つい近くで買物を済ませてしまう。坂道もしんどい。2度ほど足を痛めたが今直りかけたところ。シルバー人材センターに登録するも、交通費がかかるので余り仕事は来ないトのこと。戸口で20分、お話しを伺う。(小林、増田、長船)
- 80近い女性、一人暮し。「解決にならんから言っても仕方ないですわあ」と言いながら玄関に入れてくださる。「年とってねえ」「体力が衰えていてねえ」と話しが進む。冬のコタツは出しっぱなし、力が出にくくなってお米を持つ事もままならない。「子供も居らんし心細い」「近所に判らんような死に方しとったらいややなあ」とお話しが進む。110番、119番の事でケイタイ電話の話しになり、プリペイド方式の説明で「そんなん知らんかったわ、ええはなし聞いたねー」と喜ばれ、「もう身の上話し、せーへん思ったんよ」と30分の上がりこみお話し伺い。「世の中便利になっているのは理解していたけど、お金がかかるし若者用とばかり思っていたんよ」、とプリ携情報に感謝。(小林、増田、長船)
- 70代半ば一人暮し女性。三時間半のお話し伺い。はじめ玄関口で、買物や坂道の困難や冬の寒さのお話しなど。息子さんとの同居の話しとなり、お家にあがりこむ。足はどうもないんです、腰がなあ、と震災のときのお話しになる。2階が無くなっていて家のほこりだらけの中、逃げるのに必死で何度かこけて、気がつくと腰から熱が出ていて病院へ行くと「よく辛抱していたな」とそのまま3ヶ月半入院へ。今でも後遺症に苦しめられる。特殊な薬を飲んでジットしている。薬で持っているようなもんですわ、「私にもあんた達のような若いころがあったのになあ、うらやましいですわ」と話される。大掃除などがあり運動代わりにと出て行くが、血圧の関係の寝不足から、感覚や記憶が無くなってきてボケたような状態になる、「夫が無くなった時にもこんな事があった」。一人やし、暗くなってきたら寂しい、晩になったら心細いしね。「ありがたいなー、今日来てくれるわ」って「早いですわ、人生は…」としみじみ話しこむ。一期一会とはいえ、とても良い出会いを得た。仮設住宅(岩岡)に居った時もボランティアには良くしてもらったこと。楽しかった、「出来ることなら死ぬまで仮設にいたかった」と、今でも電話でつきあっている仮設のお友達の話し。普段私らに腰がイタイイタイと言うのに、ボランティアが来たら、どこも悪くありません、と弱いとこ見せへん。私らにはよく愚痴るのにねー、あはは、と。訪問中仮設のお友達から電話もかかる。ここに入ってからなかなかこういう付き合いが無くてあいさつ程度ですわ。だからボランティアとか来たらようしゃべりますねん。と息子さんやお孫さんやワインの話し。時間切れで辞す。訪問者も最長時間、人間不信が解消されるひとときを得た。(佐藤、森)
- 50代女性一人暮し。坂のないところに変わりたい。ここの坂はきつい。みんなそう思っている。足が悪くても悪いと見えない。坂でしんどい同志で話して救われる。バスを通すべきだ。これからも心の優しい人に出会いたい。思いやりのある人と出会いたい。仮設(西神第7)ではしゃべるだけでも感謝だった。しゃべれない人はかわいそう。毎日仏壇に向って話しをする。良い事、悪いことを話し報告する。ここではメンドウを起したら大変。回りはみんな親切だが、倒れた時に誰かに頼めるといい。などなど、玄関先にしゃがみこんで約1時間のお話し伺い。(山下、東條)
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