お話し伺い訪問メモより
2002年8月24日
[復興住宅]
- 「ボランティア活動のみなさん暑い中ほんとうにご苦労さんです。私等夫婦は平成14年3月42年6ヶ月住みなれた住宅を神戸市の住み替えあっせん計画によりまして垂水区の団地より当住宅に引越して参りました。あの震災時は家財道具が倒れたり食器類の破損の被害で済みましたが、あのすごい音は今でもこの耳に残っています。体の具合の方は私は循環器科通院、妻の方は内科及整形外科通院を致して居ります。以上の様な次第で毎日を過して居ります。」(本人自筆)
- 女性。長田区で被災。自宅は全壊した。垂水の団地にいらっしゃったそうで、実家は須磨。やはりベルデは坂がきつく、買い物も不便。しかし、「皆さんと仲良くしている」とおっしゃられた。(原田・華山・籠嶋)
- 女性。長田区で被災。「変な訪問があるので、表札をはずしていた」とおしゃられるが、快く迎えて下さった。震災の年に結婚、翌年仮設住宅に入り、ちょうど娘さんを妊娠していて、安定期に入った。「ベルデは自然が多いので入りたかった、娘はまだ幼稚園。」ベルデはペット禁止だが、震災の傷を癒す効果がある、と特別に認められている場合もある、と話される。「下の子も去年産んだ。子供や育児はとても好き」。ベルデで、郵便物を悪戯される事件があったが、家庭でも満たされないから外で悪さをするのでは、と言われ、なかには自殺してしまう人もいる、家庭は大切、と言ってらした。(原田・華山・籠嶋)
- 70代男性一人暮らし。ギターを始めて50年ほど、その内30年間プロの道を進まれ、仮設住宅の時代は頼まれてよそへ弾きに行ったりも・・。ギターの他にはパーカッション(打楽器)やアコーディオンの姿もあり、「何でも精一杯使うところは使わなああかん!」と力を込めて言われました。(井上・佐藤)
- 60代男性一人暮らし。仮設住宅の時は屋根で卵焼きができる程の暑さだったが、和気合い合いとした感じがありよかった。しかし今は戸を閉じてしまうと孤立、孤独感があって寂しい。趣味はカラオケ、「歌うことも聞くことも好きやからね」と集会所に行くが、知り合いは3人程度で、ヘルパーさんが来る日とたびたび重なるので参加できないこともあって残念そうでした。生まれつき足腰が弱いのであまり活発には出歩かない。「慣れたけど、夜は一人で寂しい時がある。年だし不安もあるから人が来てくれると嬉しい」とケーキとお茶を出して頂き、1時間ほどお話を伺いました。退室するときの寂しそうな感じが印象的でした。(井上・佐藤)
- 70代後半の男性。昼寝をされている時に訪問。夜は自動車の重低音でひどく響き、またにぎやかな話し声もやかましくて寝不足になった。しかし、窓を閉めると暑いので閉めることも出来ない。買い物はコープがあるため北須磨までバイクで行く。子供のころから喘息持ち、アマルガムという薬を服用していたが、水銀を含んでいたのでアトピーになってしまったが、やめたらなくなった。薬は難しい・・。喘息持ちは、窓際で寝ると空気が冷やされて発作が起こるから特に冬・夜は寝てはいけないとアドバイスを受けました。(原田・華山・籠嶋)
- 夫婦二人暮し。昨年お母様が87歳で亡くなられた。「母にもっと優しくしてあげればよかった」とおっしゃっていた。ここでの生活には慣れた。買い物は主人がいるからまだ助かる。一人暮らしの人は大変だろう・・。コジマ電機の所にスーパーがたくさん出来たがバスだと不便、ベルデの近くにつくって欲しいとのこと。(原田・華山・籠嶋)
- 80代ご夫婦。初めは電話されたりご近所の方とお話されていたようなので後で訪問。とても快く迎えて下さった。ご夫婦のお宅を含め周辺のお宅の玄関に可愛い造花が飾ってあり、とくにこのお宅は飾りが多かったので聞いてみたら、やはりご主人が作った造花や、特に奥さんの作った飾り物を皆に差し上げています、とおっしゃられ、奥さんはとても物作りが好きなのだそうです。お部屋じゅう毛糸・布・広告など様々に使った手作りの物でいっぱいでしたが、キチンと整理され、温かみのあるお部屋。「暑いなかご苦労様ですー」など優しく言ってくださり、サイダーを頂いた。「どんどん聞きたい事は聞いて。わしらは、新長田におってね、被災した。このベルデはまあ仮設よりはちゃんとしてますから、まあ、そういうのは住み易いよ」。「あんたんとこの週末ボランティアって、ベルデに来てからも二回ほど会ってるよ」と言われ、仮設は学園東に4年。「四年は、長かったわ。当たったけどまだ出来てないとこやったし待たされて。仮設出る時もほんま最後らへんやったよ」。ベルデは入居して3年5ヶ月ほどだそうですが、仮設のときにも何度か訪問させて頂いていたようで、代表の東條さんとも話したわ、と言われ、昔から参加しているメンバーには懐かしいお話が。「ちょっとカー」についても、良かったと思う、続けるのはなかなか大変だと思うが、それとは別に、ここの坂は本当にきついから皆助かった、とご意見をいただいた。奥さんも仮設の時に足を悪くして、その時はお父さんに車椅子で連れて行ってもらっていて、いまも先生に家に診に来て頂いているとの事。「ちょっと買い物行くのでも、ここいらじゃ間に合わないでしょ。定期的に、車の行商が、パン・魚・野菜と来よるけど、やっぱり間に合わないから、名谷まで出んと。定期(敬老パス)にはほんまに助かっている。前は、まああるんやったら貰っとこうと思ってた位やけど、今は定期なしでは動かれん。定期なかったら年寄りみな飢え死にやでほんま(笑)」と、お父さんがとても朗らかに話され、とても気がお若い様子。もともと住んでいた新長田にも毎週行ったりするから、定期は助かるとのこと。
「ここいらへん、十数年前は田んぼやってんで。それ知ってるから、ベルデ当たって見来た時は、えろうかわっててびっくりした。」「わし(お父さん)は4歳のときから神戸にいる。空襲のときは中国にいた。28のとき徴兵されて、戦場に行ったわ。」「まあ、長い人生ほんま色々あるわねえ。」と笑いながら話される。「しかしまあ、ここも不便やけど安さに助かってます。2人の年金合わせたら、食うだけ食っていけるし。昔の人間で田舎者だから、贅沢せえへんし。」お話の途中失礼ですが御年は、とお尋ねしたら80代でいらっしゃるとの事で、本当にびっくり。気のとても若いお二人で、「こんな年やしね、誰かに親切にして貰ったらあげてるのよ。」と、訪問メンバーにそれぞれ奥さんの手作りマスコットを頂いた。「色んな子や、知り合いが可愛い、可愛い、また作ってと言ってくれるので枕やタオルも可愛く作ってあげたりしていて、楽しい。仮設のときは、私は逆に車椅子の生活で外に出なかったから、今はご近所と話せている。」「まあ、わしら暇してるから、来てくれると楽しい。ぜひまた遊びに来てください」と言って頂き、お二人そろって玄関からお見送りいただいたのがなんだか印象的でした。(西岡・坂本・猪上)
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