お話し伺い訪問メモより
2002年11月9日
[復興住宅]
- 一人暮らしの女性。震災後7年も8年もたってるからなるようにしかならないと一言。テレビを見ているときに地震が来てすごかった。ドアから出られず、真っ暗で懐中電灯が見つからなくて、近所の人に助けてもらった。しばらく余震も続き、家の中に入れなかったとのこと。西神の仮設に4年間、一番最後まで残っていた。仮設は嫌だった。買い物は、名谷か垂水まで出る。コンビニは若い人向けで行けない。(北山、華山、矢野、大西)
- ご夫婦二人暮らし。奥さんは入院なさっているため、旦那さんに伺う。会社は震災にあって、定年だったのでやめて、今は年金生活。小学校に2,3日避難していたが、途中風邪で熱が出た。あれ以上いたら病気になると思った。仮設があたらなかった。娘が姫路に住んでいるからしばらく住んでいた。家は古かったため全壊。出てきたらペッチャンコ。荷物はほとんど出さなかった。隣の町が火事だった。かろうじて助かった。支援の方々に感謝。(北山、華山、矢野、大西)
- 50代男性、一人暮らし。東灘区で被災。「家つぶれて全員うまとった」とのこと。半日くらい家の下敷きになってしまった。「娘のボーイフレンドや近所の人に助けてもろた」「ここに来て三年、家内が亡くなって・・・」と、表情が暗くなってしまいましたが、娘さんが名古屋にいて、一人暮らし。震災前はトラックの修理屋をやっていた。今はパソコン関係のパーツを運ぶ仕事をしている。九州から東京まで、くじ引きでどこに行くのかが決まる。遠いところの方が儲かる。24時間夜中も関係ないので生活が不規則になってしまう。など、いろいろと話しているとき、特に仕事の話では笑顔を見せて下さいました。仮設にいる時はよく話しとったけど、ここでは話すのは隣くらいで話さない。被災の話の時は途切れたりすることがあり、うつむくこともありました。(西岡、玄田、豊田)
- 70代ご夫婦、奥さんにお伺い。須磨区で被災。食器棚や家具が倒れたくらい。近所には長田の人が多く、その方の方が大変だろう。あまり近所づきあいはなく、月一の掃除などであったら話す程度。高齢者が多い。買い物は垂水や妙法寺地下鉄で。「ちょっとカー」は知っているけど、元気なので、まだ利用するほどでもない。(北山、華山、矢野、大西)
- 70代女性一人暮らし。インターホンを押し、しばらくするとドアが開き「週末ボランティアですけど・・・」「はい?」「震災後どうしておられるかな?と言うのを聞いて廻ってるんですけどね」「別に大したことないんだけど・・・あはは〜」と微笑まれ、「被災地は?」「灘区、仮設に入らんでねぇ」「え?仮設に入らなかったんですか?」と、驚きまじりに聞くと「うん」と、さらっと返され、「もう60年前の古い家でね、取り壊して、今は空き地になってます」そして、腰をさすりながら「体が年だし、しんどいですが、時々ね」と、少々苦笑い。「近所の人はなかなかいい人で食堂なんかで食事する時もありますし、楽しみにしてます」とのこと。「不便なこととか、あります?」と、聞くと「いや、特にないです。お風呂もいいですしね」と、後ろのお風呂場を見るような仕草。「ただ、子どもが多くボールをほったりとかね、下の階の人が困ってはってたから、注意するとクソババアとか言われてね」「ああ、そんなん言われたら、次に注意する気になれませんね」「あはは(苦笑)、そうですね。この頃の若いお母さんは注意しないからね。まぁ、この階は子どもさんがいないし、いいです」と、横を向いてはりました。子どもさんは、息子さんが二人、娘さんが一人、娘さんは明石にいて何かあったら来てくれる。少しの沈黙の後、「不自由はないです。名谷行ったり、西神行ったり、私たち年寄りはいいですよ。地下鉄使ったりね。今は、私より若い人でも病院行ったりするしねぇ」と前向きな感じのする方。「わざわざすみませんね。ありがとう」と、玄関先での寒い訪問でした。(井上、本多、佐藤)
- 60代後半男性。お買い物帰りのご様子で、声をかけられました。3人連れの名札をつけた者がインターホンを押す姿を不思議に思われたようで、「何か(やってるんですか)?」「あ、週末ボランティアと申しまして、先週チラシを入れていた者ですけども・・・」「ああ、見たね」「それでこのあたりお話伺わせてもらったりしてるんです。」と、話していると、無言でお部屋に向かわれたので、一度はこれで終わりかな・・・と思ったけど「私んとこここやけど何かある?」と、お声をかけられたので、お部屋の前まで移動し、玄関前でお話を伺う。「何を聞かれるんかしらんけど。」「いや、まぁ、ここに入られてからどうかとか、震災のときどうやったかってお話を伺ったりしています。」「あ〜、ウチは震災ゆうても、この近く(ベルデ名谷のあたり)おったからね、ここ来たんも二年くらいかな。」「あっ、この近くに・・・。じゃぁ、垂水に?」「うん、この近くにおった。やから(震災の)被害は別に」退職なさり、所得が低い方で、入居なさったらしく「やからねぇ、今んとこは別に言うことないんやけどね。ま、あのそないにね不便ではないわね、私んとこは」ちょっとカーの話をすると、「こっちはね、エレベーターつないできたら、そないにね、坂上がることもないしねぇ」と言われました。「ここは最初はねぇ、震災の後でようけたっとたけど、最初の1,2棟は普通の企業やらが何かたてるつもりだったらしいよ」「あ、そうなんですか?初耳ですわ、それは」と、会話は続き、他にも、震災があってたくさんようけ震災(の復興)用の住宅になって14〜15階建てになったらしいよ。とか、「こんなね、平地作ってあって、山ひらいとーしねぇここ」と、苦笑いを浮かべられたり、「まぁ、ここへくるゆうたら不便な人もようけおってやわ。戸数多いし、余った・・・っていったら言い方悪いけど。それで一般で入ってこれたんやわ。所得低いし・・・今、年金で(生活)やっとやわ」「あ〜、年金だけだと大変ですもんね」など話していると、うんうん、せやなぁ〜とうなずかれつつ、「まぁ、私らあの・・・せやな、45年?もはたらいとったからね」と、年金は低いけどまぁまぁ生活できるくらいで、18歳〜65歳まで47年間働き、年金41年かけ満額。「贅沢はできへんけど、今もらえるからね。(このへんでも)生活保護受けてる人おってるでしょ。そんな人はえらい(大変)と思いますよ」。ご近所についても「この辺空き部屋もあるでしょ、もうね、これから空き部屋増えるやろうしそない被災者も入ってけーへんし・・・。」と、おっしゃり、そして「交通費とかって、このへん大変じゃないですか?」と、聞くと「そう、そうやね。70前の人はね、買い物するゆうたら名谷、垂水でバス往復するからね。私らもう交通費心配せんでいいけどね(苦笑)有り難いことにね」一息つかれてから「どうもありがとうございました」「いえ、こちらこそすみませんでした。お帰り際、寒いところ・・・」「いやいや入ってもーてもええやけどね、汚いから」と、笑われ、「いや〜、ウチも汚いですよ」と、こっちも笑いながらのおいとまをしました。(坂本、長尾、長船)
2002年11月23日
[復興住宅]
- 最近、特に体調面が悪く(高血圧・175〜110)頭痛と睡眠不足に困っています。(数多くの薬漬け)今日は天気も良いし体調も良い方です。先の事を思えば心配でなりません。月に二回程度大倉山にいる友人と会って温泉とか色々話をするのが一番楽しみです。(以上自筆)
- 60台男性一人暮し。今日は(週末ボランティアに)来てもらってとてもうれしいです。今後も来て下さい。お願いします。兵庫区の文化住宅で家の畳が三角状態になりその間に挟まって助かった。仮設は西神南で三年も暮らしていた。三年ぐらい前までは山で土木関係の仕事をしていたが、今は足を悪くして仕事が出来ない。今後の不安は失業が更に続いて行く事。近くにローソンがあるせいか、家の近所に10〜20代の暴走族がうろつき、うるさく、恐い。いつもたむろしている。(佐沢・東條・井上)
- 三年前にここに入居。親戚も近い。原付に乗って警備の仕事をしている。最近は自治会の役を引き受けている。自治会は深い付き合いは出来ないけれどカラオケや食事会で交流して意味(意義)がある。自分は今後ずっとここに住むわけだから(今後三年くらい)ひきうける必要がある。不況の中、条件の良い仕事では無いが、仕事が出来ているのは、まだ良い方だ。(感想:ここが今後ずっと住むことになる故郷としての思いがあり、大変な自治会の仕事も引き受けているということ。「ずっと独身、ずっとここに住む」という覚悟がひしひしと伝わってきました。)(水野・華山・猪上)
- S23年の福井地震にもあった。テントで4、5ヶ月四世帯で暮らした。その時は天理教の人が来てくれた。(今回の震災は)北区鈴蘭台なのであまり被害はうけていない。家の壁が倒れているところで住んでいた。(笑顔で元気そうに思えた)。(井上・矢野・浜口・西岡)
- がんを患われていて、抗がん剤をうっている。その為髪の毛が無くなり、更に味覚障害になってします。その為ご飯が進まない。ただ友人からは「とにかく食べたほうが良いよ」と言われる。「ちょっとカー」は4時ぐらいまでやってくれへんかなあと話の中で5回程言われる。バス停からエレベーターまでも辛いので使いたい。とにかくここは便利が悪い。ローソンは日用品が無いので買い物は名谷まで行くが、玄関を出る時から足がそうなるか不安になる。生協の配送サービスを紹介しました。炊事も出来ず食事も友人と一緒。家の中にいるとうつ病になる。地震は長田区で被災。全焼。パジャマ姿ではきものもせず、体育館でももう場所は無く、仕方なく知り合いの家へ。10月ごろに西区の奥の仮設に入れさせられた(別に岡場という選択肢もあったが)。暖房は金がかかるからつけない。下の道にスーパーがあれば便利やのに。隣人がベランダで声をかけてくれる。今は散歩もしているということなので、気持ちの面で少しずつ変わっていくと思うが、体が心配。(わざわざ我々の訪問の為に待っていて下さったそうです。)(井上・矢野・浜口・西岡)
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