お話し伺い訪問メモより
2002年12月14日
[復興住宅]
- 坂道が多くて老年者の多くが足腰をいためる人が多いようです。私も少年の頃より登山等が好きで毎日30q〜60kmの山野を歩いておりましたので足腰は丈夫な方ですが、最近少しひざや腰が痛みます。家内は一時(二年前)歩行困難になり現在、家の中で少し家事ができる程度です。食材の買物にもバスを利用しなくてはできず私が買い物に出ております。バス券の有料化等の話が出ておりますが私等には大変負担になります。医療費も高くなりました。年寄は早く、死ねということでしょうか?(本人自筆)
- 70代男性一人暮らし。震災当事新開地で全壊し、避難所から仮設へ移り、今の住居へは三年前に入った。10年程前に脳梗塞で足が不自由となり、ディサービスを受けながらの年金生活。週に二回くらい部屋の掃除や買物などを2時間ほどしてもらうが「2時間では難しいですわ」と週二回2時間のヘルパーでは足りず困っているようです。ローソンまで買物に歩行器を使えば何とか行けるが、エレベーター前のわずかな坂ですら大変。「脳梗塞になってはもう治りませんわ」。震災前は元気で自分の足で何とかしていたがここへ移ってからはますます悪くなった。「寝とったらいいんですわ」と配食のサービスを昼のみ明石から来てもらっているので昼だけ毎日お弁当。ヘルパーが来た日には食事とか手伝ってもらう。震災前すでに退職しており、お子さんも無く奥さんとも早くに死別されてそれから一人。「部屋の中なら自由に歩けるがこの足では外に出るのはつらい。頑張ってるんですけどね」「みんなに支えられてここまで来た」と言われるが「自殺するにもこの足では死ねないし、生きるしかない」ともらされた。家賃は安いがヘルパー代や食事代とお金がかかって仕方がない。介護保険もよく分からない。下の病院には脳神経外科はなく、何かあったら困る。以前は兵庫区の脳神経外科に通っていたが今は通えず医者には行けない。「こんなことになるとは思わんかったなー」と嘆かれ一日中テレビを見ることくらいしか楽しみがないとのことでした。(増田・篭嶋・長船)
- 60代女性。買物がバスの無料パスを持っているため、名谷まで行くが不便。目は白内障。息子さんが近くに住んでおり孫が来てくれる。スロットやパチンコをするのでよくいかれるそうです。仕事では昼と夜が逆になり、時間が変わっていたのが震災をきっかけに止めた。病院へは兵庫区まで行かれている。(華山・濱岸・井上)
- 80代一人暮らし。被災者入居というわけではなくポートアイランドにいた。目が悪く、両眼を手術したけれど胃は癌を除くため全部取り除いた。今は元気で50分くらいかけてまとめて買物に行く。一人息子が今の嫁と明石で暮らしていて孫が3人いる。だから一人で楽に用事ができるとのこと。なんでも一人でやることにしていらっしゃる。部屋の近所付き合いは80過ぎで元気がなく少ないが会合があれば行かれる。親戚が大阪で病院経営をしているため万が一、体に何か異常があっても安心できると思っていたが、つい最近亡くなってしまったと、とても残念がっていらっしゃいました。(佐沢・東條・阪口)
- 60代御夫婦。お話は奥様に伺いました。最初は「お元気ですか?」とか聞くと「いえいえ、健康は・・・健康じゃないです」や「困ったこととかってあります?」と聞くと「困った・・・ということはァー、困ったことはないです」など、少し困惑したような控えめな感じでしたが、ちょっとずつ話しているうちに話が弾んでいきました。「チョットカーってやってるの知ってます?」とたずねて見ると「あぁ、知ってます。知ってます。よく見かけます」と言って下さりました。震災のときは、マンションだったそうですが、賃貸だったため仕事も無くなってしまったから、こっちのほうに入れてもらった。「主人も病気になってしまってね。向こうで寝てます」と部屋のほうに視線を移されました。「たまに主人の気分のいい時は二人で散歩に行くんです」「あぁ、二人手ぇつないでね」と親父くさい感じに週ボラメンバーが反応すると「あはは〜・・・」と照れているような風に笑っていらっしゃいました。昨年まで仕事をしていらしたけれど、集中力がなくなってしまいできなくなってやめてしまった。「急に何かガタガタ〜ってきましたね」と今は、市からの援助で食べていくだけがギリギリの生活。「働けるときは働いたほうがいいですよ〜働きたくてもねぇ、働けないから・・・」と苦笑され、先のことを考えたら真っ暗です。今まで仕事一筋だったから辞めてしまうと何もなくて習い事をする余裕もなく、ご主人と二人だからケンカしながらでもやってこれたけど一人になったら・・・と淋しそうな不安な感じでした。(小波本・阪口・佐藤)
2002年12月28日
[復興住宅]
- 70代女性一人暮らし。震災当時も一人住まいで、家族はなく子供もいない。電車・バスは無料なので今は不満はない。(中山 坂口 近藤)
- 60代男性。補欠で当たってすぐ。食べ物も不便。犬を飼っている。免許大型2種もっている。コントローラーゲート開けてちょっとカーが出入りできるようにしてほしい。各棟の入口までしてほしい。(中山 坂口 近藤)
- 70代男性一人暮らし。東灘に居た。マンションは初めてで入居して2年半。泥棒も2件あった。ここに住んでもいいことない。交通も不便。入院中にも泥棒にあった。今も通院している。不審な人も多そう。金貸せという人間もあり、早く出たい。ちょっとカーも特定の所だけでこちらにメリットが無い。不公平。(中山 坂口 近藤)
- 50代男性。家は全壊し、ポートピアランドの仮設に居た。趣味はパソコン。インターネットを楽しみにしている。就職もインターネットでやるつもり。パソコンにお詳しく、我々が逆に教えていただき、話もはずみ楽しい時間が過ごせてよかったです。元々猫が好きで、震災前から飼っていて、仮設入居後もしばらく落ち着いてから飼い始めて現在に。部屋から花火を見ることができて、夏は涼しい。マリナーズのイチローのものまねをして素振りをして見せたら喜んでいただけました。(小波本 天野 原)
- 老夫婦の2人住まい。奥様に話を伺う。入居は3年くらい前のこと。「こちらの生活はどうですか?」との問いかけには「いいですけど買物とか・・・。私たちはね、散歩がてら買物とかできますけど・・・。」としんどいけれども、しんどいとは言わないと言わんばかりの様子。「息子たちは一緒に住もうと言うけど2人で何とかできるうちは元気な間はねぇ、2人で〜。」とまだご主人さんも引退後仕事をしているらしく、当面は2人で暮らすんだという意気込みが感じられました。(井上 籠嶋 佐藤)
- 4人家族。奥様と2人のお子さんに話を伺いました。震災は垂水区で、ここには募集で入居された。「どうですか、ここは?」と聞くと「ここは来るところじゃないわ〜、恐いわ〜、う〜ん。何があるかわからへんし、どんな人が住んでるかわからへんし・・・」と前に住んでいたところではなかったことで、どうしたらいいのかと不安な面持ちでした。学校も近いし(子どもさんは後ろで「学校遠い〜」と笑ってました。)、友達がいるから相談も出来て何とかやっていける風でした。買物は車で、とにかく治安が悪いとのことでした。(井上 籠嶋 佐藤)
- 70代老夫婦の2人暮らし。被災地は、長田区。燃えなかったけど全壊してしまったとのこと。「燃えなんだだけ、出せる分は出せたけどな。」と、衣類だけでも出せた分良かったと、語られました。ご自分で出されたのかと思っていたら、「若いもんが出してくれた。ワシらだけでは、どうにもならんからな。こっちに住んでいる、親戚やら、若いのが、手伝ってくれた。」と語る。仮設は春日台。「仮設の頃は、働いていたため、市営住宅が当たらなんだ。年金やら、給与で、市営住宅に入れるには、オーバーしていた(月間所得)」とこぼされたので、詳しく聞いて見ると、「相談しに行ったら、"他の有料賃貸住宅しか入れないよ"と言われた。"それが嫌やったら、1回他へ入って、しばらくしたら、また、申し込んでくれ"と言われた」との事。仮設の頃70才をこえても現役で働けた為働いていたら、月間の所得が復興住宅に入る水準をこえており、最終的には仮設を取り壊す段階で仕事を辞めて、所得水準を下げてこの復興住宅に入らざるを得なかったとの話。行政が一律に所得でボーダーラインを引っ張っていたことに対して「今後のこともあるし、いつ仕事を辞めるかわからないのに一般の賃貸住宅にはとても入れなかった。」と強く不満を感じられている様子。現在の住環境を聞くと、「ワシは山をやってたから大丈夫。やけどもう家内は参ってるわ。長田やったら(平坦なので)ブラブラ買物もできたけど」と名谷駅までホントは歩いて買物に行きたいのに行けないのが残念だとかなり健脚であるみたいでした(笑)。ただ、将来に対しては不満があるようで「来た時は元気やったけど、足腰悪くした人もいるワナ。」と周辺の地形によって年寄りが歩けなくなり、それが原因で足腰を弱くするとの考え。この時奥から足を悪くされている奥様が玄関まで心配そうに様子を見に来られました。足腰が弱くなる事から、他の住宅へ移ろうと考えたことがあるとのことでしたが、「市営から市営へ移られへんからそれもちょっと堅苦しいワナ。公団とでも家賃は高いわ。年とると坂がだんだんキツなってくる。家内はバス停からエレベーターに来る坂で参ってしまう。〜2号棟の人でも頑張って歩いている人もいるけれども、そういう人もいつ倒れるか分らない。口は口で福祉してます言わないかんけどお金はかけられないから・・・」と話されました。最後に近所付き合いについて尋ねると、「清掃やら何やら若い人が出てけーへん。こういう住宅におって公共の場所を清掃するとか言っても出てくるのわ70代以上の年寄りばっかりやわ。」と苦笑されました。「近所付き合いはできへんな。顔はわかってても名前がわからへんわ。いちいち聞いてもすぐ忘れてしまう(年なので)」とまんざら近所付き合いが無いわけでもなさそうですが、昔のよき時代に比べれば減ったという感じでした。息子さんもお嬢さんも遠方で暮らしており、自分はお酒が飲めなくなってきて・・・と歓談をしていると奥さんが心配そうに玄関を覗き「あなたいい加減にしときなさい。寒いのに・・・」と声をかけられ辞退させて頂きました。かなり色々な事を考えている様子で、頑張っている人が救済される行政を望んでいるが、半ば諦めているようでした。お別れしたその後下で集会していると夫婦そろって散歩に出られたようで会釈を交わしました。(井上 籠嶋 佐藤)
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