お話し伺い訪問メモより
2003年04月12日
[復興住宅]
- 50代後半女性。須磨区で被災、中学校に避難、西神の仮設住宅に5年住んでいた。震災が無かったらな、と思う。旦那(60代後半)は心臓が悪く、C型肝炎も患っている。ここでの生活の不満は、買い物が不便だということ。(華山・篭嶋)
- 70代男性。兵庫区で被災。若い時から、結核など、体が悪かったが、ここに来てから、68才の時に心臓が悪くなった。病院は、鷹取まで出かけている。ヘルパーさんに週2回、来てもらっている。買い物が不便だと感じる。野球は「楽しみ」だ。(華山・篭嶋)
- 70代男性。兵庫区で被災、半壊状態、今は更地になっている。お姉さんが三木に住んでいて通った。ストレスで胃が焼けて、吐いた。今は、この住宅の庭園の手入れをしている。ゴミのポイ捨てが多いこと、犬のフンの始末をしないことなど、気になる。バイクを盗む中高生が居るようだ。(華山・篭嶋)
- 80代女性、一人暮らし。御影に居て被災(全壊)、仮設に2年居て、ここへ。インターホンで「今、煮物してますから・・・短時間なら、それで良いですか?」と言われ、玄関口で立ち話。小柄で痩せた方だが、お気持ちや表情・声は明るい。「いやもう、病院通いばっかり。退院して2年になるんですけど!」と言われ、何と、食道○○というご病気をお持ちだと言う。「治る、というより、ゴハンが食べられない」「スープとか生野菜とか、ずーっとそういうもの(を食べている)」と話される。「昔から一人。ずーっと一人です。」「一人暮らしだし、なかなか家は当たらなかったけど、まぁ、ここ(の暮らしは)良い。」お友だちと出かけたりはなさらないのですか?と訊くと、笑って、「いや、もう、友だちと出かけるなんて! 外食もでけへんし、退院したばかりだし。」「もう、いつお迎えが来るか判らんのに!」と、そう言われる割には、言い方が明るい。病気のことは気にせず、毎日を過ごそうとしている。みんな、病気やと思えない、と言うけど・・・。球根でも買ってきて、育てて・・・「4月まで生きられるかー(苦笑)、って思ってやってます。」「今つくってる煮物も、自分が食べれるように煮ているもの。(普通の煮方では)のどに通らへんし・・。胃が3分の1無いですからね。」お腹にサッと手を当てて、「ここ切って、開いて手術した。」東京で30年勤め、定年になって出身の神戸に帰ってきた。「私は、ずーっと一人! 我々の世代は、男の人が居ないんだから、戦争で・・・」との話。「私は8人兄弟で、男5人おって、その内、4人が戦争に連れて行かされた。まぁ、無事帰って来たけどね。アンタ、今の人は幸せやけどね!(笑) 私、若い頃、三ノ宮に勤めてたけどね、焼夷弾の中くぐったり、爆撃受けたり・・・イヤヤわ、戦争は・・・。(今のイラク戦争も)早よ終わってほしいわ。昔は、ネギ1本も買えなかったのよ! 今は、みんないい思いしてるけど」と話された。お料理中だったので、このくらいで終わったが、とてもにこやかに、キチッとあいさつしていただいた。(坂本・小波本)
- 70代女性、ご主人が入院中。長田区で被災。震災では家が半壊だったが、よその家に寄せてもらった。すでに糖尿病になっていたご主人が居たので、多くの人がぎゅうぎゅう詰めになっている体育館など(の避難所)には、よう避難できなかったと話される。眠られている所だったらしく、インターホンを押してしばらくしてから、眠そうな表情で出てこられた。「足が痛うてな」と、ひざを曲げて、ずるりと玄関先の地べたに座られる。中に入らせてもらい、玄関先で、目線の高さを合わせながら話す。部屋の中には、全くといっていいほど、タンスやテーブルが無く、雑貨もいっさい無くて殺風景。「今、主人、病院に入っとって。療養中やし・・・」 糖尿病があって、ずっと病院におられるそうです。「私も、足いとうて。私は、足と脳梗塞って言われて・・・薬ようけもろてな。それ飲んだら、眠ーてな。」「よそ行ったら(外出したら)しんどーて、しんどーて! 次の日はな。だから、今日しんどいねん、昨日出かけたし・・・」週に1、2回は友人と板宿に出かけるとのこと。昨日は、それで友人と病院に行き、「ついでに寿司を食べたわ!」と話された。買物は杖をついて(名谷などに)行く。荷物、背中に持って・・・でも、大変やね。でね、よう財布落とすんよ!」と。昨日もおとといも、財布を落として拾ってもらったり、フッと後ろを見たら落としていたりしたことを話される。カギも一度無くしたし、定期も2回無くしたり、けっきょく家に在ったりしたことを話され、(もの忘れについて)少し心配になる。「娘は、名谷の南落合(の住宅)のとこが当たって、そこに来てねんけど、向こうは便利が悪いらしい。換わりたいと言って、板宿に申し込んだら当たった。私も、できたら板宿に行きたい」。たいがい家に居て、寝るかテレビを観ていて、今は趣味も無い。以前はカラオケにも行ったが、今は声も出ないので、やめている。大正琴があるが、しまってあると話される。「週に1〜2回でも外に出かけているので、(それで)まぁええわ!」と言われる。(ものを忘れがち、お一人暮らしなので、少し心配です。)(坂本・小波本)
- 80代女性、仮設は、西神中央の春日台。「一人(暮らし)です。」「あの頃はね、付き合いよかったですけどね。ここでは、扉閉めたら、話できへんし。でも、よう、付き合わしてもらってます。」歩くのは平気ですけどね、頭イタが1〜2月、続いていたんです。でも、それが取れたから・・・。この、頭クラクラは、持病ですから。もー治らへんて言われた。デイサービスも、週2回行ってますし。(坂本・小波本)
- 70代後半、女性。一人暮らし(市内に身内(子ども)が居て、今日も来ている。)長田区で被災(当時から一人暮らし)。全壊で、火事にはならなかったので、「明日、荷物を取ろう」としていたら、当日の夕方に出火。地震の最中は、頭が真っ白、「何で止まらへんのやろ!」と、その時は思った。怖い思いすらしなかった。「丸焼け! うちだけやないから、落ち込んでもしゃあない。」避難所は、神港。その後、西神第一の仮設へ。「ここが当たるまで、(仮設は)数ヶ月一人だったが、怖くも淋しくもなかった。根が呑気な方だからね。」ここには最初に入った方で、4年目になる。「今になって、やっと落ち着きました」と。「病気は、2つ3つあるよ。お医者さんと仲良し! 病気と上手く付き合うこと」「もう、長生きしても、(病気で倒れて)人の世話になるのも仕方ないし・・」と笑う。が、元気。ここに居る人は、80代でも元気な人が多い。「こんな所におったら退屈やし、出られるときに出とかんと・・・」と、よく、友だちと名谷に出かけ、遊んだり、ついで買いの買い物など。「私は、不良ババです!」。回りの条件は、今よりも仮設のときの方が良かった。「バスも電車も終点だったし」「買い物は、どうしても名谷まで出ないといけないのが不便。ローソンは、若い人には便利だけれど・・・。生鮮食品の買えるスーパーが近くにほしい。」下りの坂道は、足に力がかかり、歩くのに負担がある。ここへ来て、敬老パスのありがたさがわかった。いつもバスを使うようになったから。震災前は、バスに乗る用事もなかったが・・・。長田区内のバス路線が不便になったのが、困っていてはるみたい。ここでは、垂水方面へのバスが不便。名谷駅へは、充分ある。「入った時のことを思ったら、便利になりましたわ。」「外へ出て、人と話すようにしている。家で一人で居ると、何も考えないから・・・」(長船・佐藤・水野)
2003年04月26日
[復興住宅]
- 80代男性一人暮し。長田区で地震に遭い、6時間閉じ込められた。戦争にも遭い、背骨を爆弾でやられ入院した。19年前に妻が亡くなった。いつも孤独な思いで夜が怖い。昼間も寂しいのでよく出歩いて知り合いを回っている。部屋にいると牢屋に入っているみたいで孤独になり、身体がガタガタ震える。自殺しようとしてベランダに乗ったがとなりの住人に止められた。(華山、近藤、籠島)
- 40代女性。兵庫区で地震に遭い、家は全壊した。近くの公園の集会所に避難し、その後は親類宅にお世話になった。抽選に当たりこの住宅には当初から入っている。ここは環境も良いし私は慣れました。前に住んでいた所は、国道2号線沿いで車もすごく空気が悪かった。都会の割には近くにスーパー等がなく、買物などはバスで東須磨あたりまで出かけるので不便だった。不便さは今も同じ。しかし、月に2、3回は都会の空気を吸わないとね。バスの定期も買っている。三宮は楽しいが交通費がかかりすぎるのが悩みです。子供の通学定期も月に5万円もかかり大変です。お茶を飲みにいったり、ちょっと買物に行ったりするのが楽しいが、交通費がかかると思うと出る気を無くして引きこもってしまう。私の住んでいる部屋は日が当たらず、上のほうの部屋やから出るのもおっくうになる。やっとこの間「しあわせの村」へ覚えて行った。あそこはタダやから助かる。気分転換にもなる。でもバス代が250円もするんよね。(長船、坂本、佐沢)
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