お話し伺い訪問メモより
2003年07月12日
[復興住宅]
- 80代・男性。長田区で被災。焼け出された。三軒長屋、家がペッシャンコに潰れた、奥さんは無事。何も持ち出せなかった。着の身着のまま娘の所に2週間いた。2時間後に火がまわった。消防が来ず水も出ず、ただ見てるしか出来なかった。震災のこと話したら何時間でも足らへん。その後東加古川仮設住宅に入る。1000戸あって当時は役員をしていた。奥さんと2人暮らし。介護保険に入っておられ要支援。神戸老人大学の同窓会で幹事を14年努められ神戸市長から感謝状を頂いたと誇らしげに言う。その後相談役へ。老人大学は年寄りが金を使わなくて遊べるところと思っている。50代から様々な団体の役職についている。奄美大島生まれ。台湾戦争の前、小学生のうちに神戸にきた。敗戦時軍隊から帰るときに奄美大島を見た。軍では通信兵であった。奥さんの足が悪く医者に見てもらっている。趣味は体を動かす事で弓道・バトミントン・卓球をやっている。(長船・華山・村上)
- 60代・女性。今は忙しい。兵庫区上沢にて被災。全焼。最初の地震では大丈夫だったけど、火事で全焼。コロッケ屋してた。自営業だから本当に困った。火災保険かけてたけど、5%しかもらえなかった。地震保険をかけていなかった。地震が起きるなんて思わなかったから。避難先の体育館で肺炎になり1ヵ月入院。体育館では水が出なくて困ったが、ボランティアの人の協力により食料・水・衣類・の配給、顔見知りが多く心強い。元気。西神第七仮設住宅に長い間いた。はじめは恐い所だと聞いていた。避難所にいたときは「行きとうない」と思ったが、行って良い所で良かった。空気が良かった。のんびりした所でよかった。薬をもらいに月1回西神中央の高瀬クリニックになつかしい。夜は戸口の椅子に座ると見晴らしが良い。ここは気に入っていますわ。ええとこ当たって良かった。カラオケ大会、ショーとかあった暑かった。5000円で一泊旅行、バス内でカラオケした。これらが一番楽しかった思い出。今は買い物が便利(電車が近い)。まだ70なってないからバス代要ります。年金は下がるし。生活がむつかしいですね。平成10年8月入居。あっという間にすぎてしもた5年だったと。1.17から1円も収入が無く、蓄えを使い果たしても入ってこない。自営なのでサラリーマンのような援助は無かった。(長船・華山・村上)
- 女性。やけてはいないけど、全壊。仮設は東加古川。ここはいい。駅前で便利も良いし。仮設はあつ〜て、もうすごかった。蚊が多くてね。仮設に入って3日目でムカデにかまれました。そういう意味ではここはまし。近所は仲が良い。田舎の人が多くて、私鹿児島、となりとその隣も鹿児島。神戸の人はとっつきにくい。ブラインドを拾って夏は開けっ放し。泥棒が来ても盗むものないやろ。震災の時なんかは貴重品は備えとかなければいけない。お金すら何も持ち出せない人も水とか買いだめをしとかないと。「明日の朝だけでええわ」ではだめ。地震の年に生まれた子(小3)が今来ている。(矢野・坂本)
- 女性。アパートが全壊で。出なあかんから。ここ来て5年経つかな。借金だらけやわ。年金に入っていないからもらえない。家にじ〜っとしたら病気になるわ。足が悪いけど。(足はしっぷだらけ)。病院は元の所(震災前まで通っていた所)まで。ここら辺の人も行ってるんとちゃうんか。40〜50万もっていた人が20万へ、リストラへ…色々あるわ。(矢野・坂本)
- 女性。仮設は総合運動公園の市の子公園でちょうど3年。子供の事件が起きるたびに「子供というのは大人の協力が必要。」子供の握の根は小さい時につんでおかなくては…」。子供が子供を生んでいる。平成11年から自治会ができたけど、問題が出てそれ以降したがる人はいない。元のところで住みたいが年金ぐらしで…。そうじに出なかった人へ罰金制度(1000円)を…そうもしないとなかなか出ない。(罰金を課しても)なかなか出さない人がいる。閉じこもっている人がいる。(道で)声をかけても知らんぷり。(無視する人は)女性の人が多い。電車の中で女子高校生はマナーが悪いね。男性の方がいいね。女性専用車について周りはみんな怒っている。態度が大きくなってしまう。ご高齢の人が乗れない。私は乗らない。あれは考えもの。恵まれすぎ。(矢野・坂本)
- 男性。全壊。自分は自力で、家内は助けられた。(当時は)ボランティアが全国からきて、日本も捨てたもんじゃない(と思った)。3月までは避難所だったか仮設に一番に当たった。3年いた。ここに来て4年。中央幹線の近くにいて車の振動で悩んだ。仮設の時は蚊が多くて…ここは静かだし7Fなので蚊もまず来ない。買い物は便利。垂水のあそこは見たけどあかんな。ここから出る気はない。隣の人とは、長田の時隣同士だった。震災前から高血圧・腎臓病と持病がある。75歳からインターネットをしている。シルバーの個人授業を受けている。(矢野・坂本)
- 女性。別に変わった事がなくて足が悪くて、買い物はつえをつけて、いっている。家の中はきっちりと出来ませんが、ぼちぼちやっています。お世話になる事はないですけど。荒井(高砂市)の仮設住宅にいた。電車で6:05発の電車で40分かけて神戸まで通った。立ち仕事で足を悪くなってしまった。買い物の荷物が重い時は椅子に置いて。主人は脳梗塞で今も後遺症で左手が動かない。主人は若い頃からタバコを吸っていたが、吸わなくなって1年経つ。(矢野・坂本)
2003年07月26日
[復興住宅]
- 60代女性。「たいへんやねぇ,暑いのに」と気遣ってくださった。灘から鷹取(長田区)に引っ越して5年目に被災。震災後の後片付けがたいへんだった。避難所ではプールの水や荷物などを運んだ。垂水区の仮設住宅を経て入居。鉄工所で材料を台の上に置く作業など,重い荷物を運ぶ仕事をしていた。その会社も2年前に倒産。在職中こらえていた膝の痛みは,辞めてから急に悪化し,2ヶ月前には歩けなくなるほどに。膝に水がたまる。シルバー人材センターで仕事を探しており,「膝が治ったら働きたい」とのこと。じっとしているのがいやだが,無理をしたら釘で刺されたような痛みが走る。近くの道は,夏休みの夜中になると暴走族が走るのでうるさい。でも緑が多いのがいい,眺めているとすっきりする。明石海峡大橋も見える。階段脇で見える,ヤフーBBスタジアムでのオリックスの試合の時にあがる花火が綺麗だった。(華山・矢野)
- 60代女性。いったんはインターホン越しに「結構です」といわれたがお話伺いさせてくださった。兵庫区で被災,自宅は全壊。避難所を経て半壊の妹さん宅に1ヶ月身を寄せ,賃貸住宅に移り半年過ごした。ここでは孤独さと心細さを感じる。夜が怖い。鍵をドアの鍵穴に差したままにしていて,少ししたらなくなっていたことがあり,また夜中風もないのにドアをカチャガチャ鳴らされたりしたので,鍵を取り替えた。隣の人とはあいさつ程度のつきあいで頼りにはしていない。無言電話やセールスが多い。膝が痛いが,たまにアルバイトにいく。湊川に姉がいるのでよく行く,できれば兵庫区に帰りたい。(華山・矢野)
- 70代女性。夫婦2人暮らし。長田区で被災,南落合の仮設住宅で3〜4年過ごした後,2,3回目の応募でここに入居。白内障で通院しているが,生活にはとくに支障ない。風通しもよく,冬も暖かで過ごしやすい。(瀬尾・谷川・原)
- 70代男性。九州から神戸にやってきて港湾荷役の仕事に就く。家族を呼び寄せて住んだ長田区で被災。須磨区の仮設住宅に入居。酒が好きで,若い時には1日に焼酎1升飲んだが,今では晩酌に少し飲む程度。同世代の人もいるので,近所づきあいはある。そんなに寂しいと思ったことはない。(瀬尾・谷川・原)
- 70代男性。夫婦2人暮らし。以前タクシー運転手を25年していた。最近も車の運転は時々するがしんどい。ちょっと元気がなさそうな印象を受けた。(瀬尾・谷川・原)
- 70代男性。夫婦2人暮らし。自治会長や老人会長をつとめたが,「みな自分のことばかり考えとる」,「被災者であることを忘れとる」ので気力をなくし,今はすべて辞めた。毎朝散歩を欠かさず,数キロ離れた娘さん宅方面へ自転車で行くなど,いたって元気だ。高血圧には注意している。16歳の時から酒とタバコをたしなんできたが,酒はかなり以前にやめ,今ある銘柄はすべて吸ったというタバコも,今回の値上げを機会にやめた。これまで取り組んできた被災者運動や,神戸をめぐる政治情勢などについて,熱をこめて語ってくださった。(瀬尾・谷川・原)
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