お話し伺い訪問メモより
2003年08月09日
[復興住宅]
- 60代・女性・一人暮らし。見るからにしんどそうで杖を使っておられたので、こちらからの申し出により部屋の中にてお伺い。足が悪く身体障害者の指定を受けている。正座出来ない。倒れてしまい、4ヶ月も入院していた。一週間前退院。仮設は花山の団地(北区)→西神第7住宅へ。買い物が困る。買い物が一番不便。こうなって(足を悪くして)10分足らずだったのが倍以上かかる。介護保険もまだ受けられず買い物しても重たくて持って行けない。コープの戸別配達に申し込んだが(一応こちらからチラシを配布)、8月末からでないと使えない。痛み止めの薬を服用。歩いたら痛い。でも仕方無い。時間が経てば止まるかも。主人も10年前から身体障害者で面倒を見ていたが、今は専用の施設に預けている。中央市民病院に勤務している娘さんが連絡している。最上階なのでゴミ出しが大変。2台のタンスを動かすボランティアがあれば(要連絡)。入院した時は、周りの人に何も言わなかったので、周囲の人に「死んだんとちゃうか」と思われた。4月に「うつ」になり、近所の人と会いたくなく、しゃべりたくない事があった。自分自身死ぬ事しか考えられなかった事も。十年間夫の面倒を見て精神的に切羽詰っていた。そういう状態が1ヶ月も…近所の人と話しても、一人になると急に…役所の人に「ご主人よりあなたが心配だわ」と言われる。今も市民病院の精神科に通院している。主人に相談しても聞き入れる人では無く自分勝手で、自分で言えなかった。(今年の)2、3月頃がピークであった。夜に夫に起されるのではないかという思い。晩が近づくにつれて恐いという思いが夕方頃から。周囲の友達ともそういう話はせずに相手の話を聞く程度。(病院に勤めている娘にもそういう事は分かっていなかったと思う。本気に思ってくれなかった。ただ今となっては過去の話。だから話せるのではないですか。( 矢野・佐藤)
- 20代・男性。震災で長田の小学校で2,3ヶ月程避難。重工業で働いているが、あまりええ話は聞かんなあ。今日は昼まで休んでました。今は住みやすいですよ。まあまあ。(ご家族の方と思われる5人の方が来訪されたのでその時点で打ち切り)(ボランティアでは無く、何かのアンケートだと勘違いされているようだ。ただ淡々と話されておられました。)(矢野・佐藤)
- 女性・一人暮らし。持病で掃除に出られない。ここの前はワンルームだそうだ。震災が原因でここに来た人ばかりではない。むなしさをかんじおられるようだ。堂々といきたいと思う。現代でこんな声が聞こえるとは思わなかった。いや現代のこのご時世だからこそだろうか。震災は一部損壊だけ。雨漏りが酷くて。よその県から来たんでしょう。修理下手な業者が来てね。お金使って人が困っとう時にそんな事しよう人もいるんやなって、寂しい思いしたね。こっちから連絡してもつながらなかった。遠慮しなくて良いよ。主人と離婚したんで、それで生活しているんですけれども。身体ちょっと持病があるんで仕事ができなくて。年は若いかもしれんけど体力が無いのよ。持久力が無い。通院してる、自律神経の。両隣に話したプライベートな事が全然関係のない棟の人に知れてたり。月1回掃除がある訳よ。隣の人とは付き合わないのよ。外で会っても。何やかんや気まずい事あったら困るしと思ったりもした。田舎(九州)で育ってきた環境が拭えないっていうのかな。ヘルニアがひどくて…今ましになってるけど。人生って色々あるわ。生きる限り頭ぶつかる事ばっかり!田舎にはも両親はいないから帰ることは無く家はそのまま空家。(坂本・松本・籠島)
- 前に11/18お会いした。体は動き辛そう(出てくるのに時間がかかった)。体が震えていた。話が聞き取り辛かった。家族は何人かは分からなかったが、もしならきついだろうなあ。車椅子。(坂本・松本・籠島)
- 仮設ではない。生きるためには人生色々あるけどさー、ここに入れた事は感謝してるけどさ、亡くなった人もいるんだから。そんな事考えたら贅沢言われへん。震災の年に主人が亡くなった。震災のショック→糖尿病で死去。続いてる訳よ。ショックが…こつこつ働いてたのに。全壊ならパーよ…住んで4年になるが、未だにどこにどの人がいるか分からん。(挨拶しても)返事せん人もいる。仮設ひとくくりで入っている人もいて、それなら関係もあるけどこういう老人階は1ヵ月にいっぺんの掃除ぐらいであうくらい。役所の人が月1回来るけど誰も相談する人おらへん。無断で猫飼ったり餌やったりする人がいて困る。結局…言うても直らんのかな。仮設から来てるから捨てられずに飼ってる。私も18年間飼ってから分かるよ。かわいいのは。だけど人に迷惑かけたらあかんのちゃう。どーしよーもないね。ここは2Fやから上がりやすいからノラ犬4匹連れて歩いている人いるよ。私も役員おりたから何やけど注意して欲しいわ。会長もいるし役員もいるんだから。共同生活という事が頭にないんちゃう? (ノリのいい人だった。色々なお話が聞けた。話すのも聞くのも話すのも好きだと思う(坂本・松本・籠島)
- 男性・一人暮らし・30代。仮設は北区鹿の子台。震災の時は独身。家族2人。別居中。長田区にて被災。全焼。当初は奥さんと同棲していた。体の調子が悪い。仮設の時に体を壊して仕事が出来ない。大工をしていた。神経系を痛めている。薬で抑えている。病院へ行っている。無理をしてはいけない。生活保護を受けている。皆さんがいい人ばかり。新しい病院を紹介してもらった。親切な人多い。(長船・華山)
- 女性・70代・一人暮らし。(我々を)変な人と間違えた。暴力団とかまで近くに来たりして。インターホンでは分からなかった。耳が聞こえにくくてねえ。元気にしてますけどね。東加古川仮設より入居。加古川に息子がいたから。でも息子に迷惑をかけないよう公営に入った。ええとこ当たって良かった。灘区にて被災。当時の知り合いがいないのが辛い。散々バラバラになってしまった。加古川生まれで加古川は知っているけど、灘区は40年以上いて友人いてたくさんできた。西へ来たのははじめて。夫は平成11年肺気腫で死去。長男が身の回りを手伝ってくれる。こんないい所入れてくれたんやからみんな仲よせなあかんな思うて。みな辛い目におうてきたんやから。毎日少しずづでも歩くようにしています。じっとしているとお腹が空かないので買い物を少しずつしています。みんなで仲良くしていこう、あいさつしていこう。これくらいしか出来ないけれども宿命で入ったのだから。もう少し言いたい事があったらよろしいねんけどね。(華山・長船)
- 西神16仮設にて2回訪問済み。覚えておられた。その時はクーラーの掃除をしました。当時はまさかあんな山奥にと思った。ここにきて4回手術。退院直後。震災前から飼っていた猫が今も元気にしている。足は痛いが仮設では手術したくない。と当時訴えておられた。「何気なしに覚えておられますよね。人間は」と。駅が近いので仮設に比べて助かる。ニュースとかで当ボランティアとかは見ていて、知っておられた。5年で終わると思っていた。来てくれて嬉しかった。今もみんなにお世話になってるんです(楽しそうに話す)。今でも仮設の人と電話したり名谷(須磨区・垂水区)で会ったりでここは便利いいなと。誰かが声をかけてくれるのが嬉しい。ここを選んで良かった。駐車場のコインだけが煩わしい。
2003年08月23日
[復興住宅]
- 70代男性。須磨区で被災。入居後至極元気に生活を営んで居ります。当号棟の方々は本当に良い人達で,草木の手入れ等色々と世話を頂き,気持よく毎日を過ごして居ります。週末ボランティアの方々には感謝して居ります。これからも体に気をつけて,楽しい日々を感謝と共に暮らしてゆこうと思います。有難う御座居ます。(本人記入。猪上・華山・松本)
- 80代女性。長田区で被災。滝川中学校へ避難,西神の仮設住宅で4年2ヶ月過ごし,ここへ入居。仮設住宅にいた時,クーラーをつけすぎて冷房病になった。ここにきてからは冷房はいらない。訪問した時たまたま在宅していたが,普段は運動するよう心がけているので外出している。阪神水害も経験。かつては畳を作る仕事をしていて,今は年金暮らし。生活苦に泣いたこともあったが,民生委員に頼るのは情けないと思い,働きに働いてきた。おかげで子どももしっかり育ってくれた。今では子どもや孫がたくさんいる。大正から平成までを振り返って「日本はこれでええんやろかって思っています」とのこと。また,働くことの尊さや働けることのありがたさなどを語ってくださり,「生きていくには自分がしっかりしないと…」と,筋が一本通っているなと思った。(猪上・華山・松本)
- 70代女性。70〜80代の3人で暮らす。「家内一同元気にしております。特に心配等もありませんのでよろしく。(本人記入)」とのことだがお話伺いさせていただいた。須磨区で被災,家は全壊。98歳の姑さんがいたため市営住宅に入居,姑さんが亡くなられた後,改めて申し込んで今の住宅に移る。「良い住宅に住まわせてもらった」と感謝している。(東條・佐沢)
- 母娘(姉妹)3人暮らし。入浴中だったため時間を改めて再訪問。須磨区で被災,自宅は全焼。親戚宅や妹さんが勤める会社の社宅に住んだ。妹さんの勤め帰りが遅く,近所つきあいがない。自宅跡には今何も建っていないようだが,近くに市営住宅ができたらしい。(籠島・坂本)
- 70代男性。兵庫区で被災,自宅は全壊,西神の仮設住宅へ。1939(昭和14)年に満州に渡り,戦後は5年間シベリヤに抑留された。内モンゴルの農業大学を出ていたことから,農業技術の知識を買われ,抑留中の待遇は過酷なものではなかった。戦後は農業指導の講師をした。アルバイトのような仕事であったため,年金はあまり出ない。引揚船の中で引揚者間の対立をおさめたり,仮設住宅の自治会役員をしていた時4回も住民を旅行に連れて行くなど,統率力を発揮されたとのお話しを伺う。(籠島・坂本)
- 60代?男性。長田区の長田神社近くで被災,灘区の仮設住宅を経てここに入居。はじめ,地震に関しては「いつまでも引きずるのは何かと…」とあまり話したがらなかったが,次第に被災時の状況などを話してくださった。兄弟が今も長田区にいる。難病を抱えているが生活に特に問題はない。(木下・原・上野)
- 70代男性。兵庫区で被災。戦災とあわせて今までに2度兵庫区で家を焼かれた。妹さん宅,息子さん宅での避難生活を経て,西神の仮設住宅に。ここには5年前の8月15日に入居。「(震災)当時は悔しかったけど,今はさっぱりして良かったわ」と言われる。パチンコ・社交ダンスなど多彩な趣味をお持ちで,奥さんもまた別の趣味をお持ちになっている。午前中は趣味のサークルに行くことが多い。もともと酒をたしなんでいたが,震災後は夜だけでなく昼も半分ヤケで飲むようになった。(木下・原・上野)
- 60代女性。長田区で被災,西神の仮設住宅を経て,何度か応募してやっと当たったここに入居。長崎県出身で関西には約40年在住。子どもは西区の仮設住宅から北区の高校まで通った。今は病院に勤めているので心強い。障害者の夫は施設にいる。その介護に疲れ鬱病になり,自殺を考えたこともあった。かかった医者に「死なんといてな」といわれて気が軽くなった。転倒して足を怪我した時の痛みが激しく,それどころでなくなり,鬱が吹き飛ばされた感じになった。屋内外共に杖をついて歩く。以前は駅前まで買い物に行っていたが,今はコープの宅配サービスを利用している。依頼された家具の移動をお手伝いしながらお話を伺った。(木下・原・上野)
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