お話し伺い訪問メモより
2003年10月11日
[復興住宅]
- 60代男性。一人暮らし。長田区で被災。地震で周辺建物は倒壊した。横倒しになった建物から9名程を救出した。壊れた幼稚園の建物から園長を助け出したがすでに亡くなっていた。自宅のマンションは鉄筋だったので倒壊しなかったが、周辺は古い木造の家が多く倒壊した。被災当時、寝るところが無く公園にテントを張って寝ていたが盗難などに悩まされた。後で自衛隊がしっかりしたテントを提供してくれてそれから安心して寝れた。震災前までは大阪空港のパイロットだった。震災直後、交通事情が悪く通勤が大変だった。その後、脳内出血で左半身付随になり車椅子生活になった。リハビリで3年前に話しが出来るようになった。リハビリで、自分と同じようになった人や震災で悪くなった人や脳の病気で悪くなった人を多く知った。神戸空港は自分のパイロットの経験から、安全を確保するために発着数を減らさなければ飛行機は飛ばせない。神戸市の計画には無理があり今止めないと大きな市民の負担になる。(人の面倒見が良く、声を良くかけられる。週末ボランティアの訪問活動にも、ご自分の部屋の使用提供を言われた。)(増田、東條)
- 80代女性。一人暮らし。灘区で被災・全壊。灘区の仮設住宅にこの団地に入るまで住んだ。震災前から一人暮らし。公害が原因で喉の具合が悪く公害年金を受けている。近所付き合いはあまりなく近所の人の顔を良く覚えられない。ガス漏れをした時、音声しか出ないのでどうして良いか分からず、誰も来てくれないので怖かった。ただ家の近くウロウロするだけだった。(増田、籠嶋)
- 70代男性。一人暮らし。しんどいから話しはできへん。1年前から心臓にペースメーカー入れている。お腹も手術した。ここは一人の人が多いで。他にも大変な人多いで。そう言いながらペースメーカーを入れている胸やおなか縦10センチの手術跡を見せていただいた。急に具合が悪くなった時は、身内が駆け付けてくれるから心配せんで良い、と言われた。(籠嶋、鹿島)
- 70代男性。ご夫妻二人暮らし。中央区で被災。住んでいたアパートが全壊。傾いた程度だったが何故か全壊の判定を受けた。観光名所にあるアパートだったので早く壊して立ち退かされたように思う。眺めが良く長く親しんだ住まいだったが、住めないのであきらめた。仮設住宅には入らず、塩屋のアパートを借りて住んでいた。妻は今、身体の具合が悪くて寝ている。私は足の膝が少し悪いだけで身体は悪いところはない。いま元気なのは若い頃の軍隊経験があるからと思っている。軍隊へは志願して入った。志願兵は出世が早くあまり殴られずに済んだ。中国の南方に配属された。人を撃った事もある。撃たなければやられるから。、それが戦争だ。戦闘は本当に怖い。戦争はしないようにしないと。戦争が終わったらすぐに帰れると思ったが1年中国に抑留された。中国南方で良かった。北方だったらシベリア抑留で帰れなかったかもしれない。この団地にはようやく慣れた。いろいろあったがやっと乗り越えた。買い物は自転車で行く。市場は遠いので団地のスーパーで済ます事が多い。10才は若く見える、奥さん思いのご主人にお出かけ寸前の戸口で伺う。(籠嶋、鹿島)
- 70代男性。ご夫婦二人暮らし。2年前、NHKの取材に応じていただいた。震災ショックで生きる意欲を失っていたが、人の世話をする活動をつうじて元気を取り戻した。当初から自治会の立ち上げに積極的に関わり、今も重要な役割を担ってる。8年たって住民の高齢化が進み、にもかかわらずコミュニティが思うほど進まない現状に心配と悩みが絶えないと苦労話を伺う。給食サービスでコミュニティーを進めるが世話人が不足している。一人暮らしの閉じこもりが今も多い。昼間はLSAの人がいるがよるは何かあると私のところへ電話がかかる。時が経てば住民の生活が良くなるわけではない。今のところ孤独死が出ていないがこれからも心配です。住民から頼られる自治会役員として日々奮闘するお話しを伺った。(籠嶋、鹿島)
2003年10月25日
[復興住宅]
- 60代女性、一人暮らし。灘区にてお好み焼き店をしていたが震災により全焼。10円も持ち出せず、全財産がパーや!! 二階から飛び降りヘルニアをわずらう。100kgの和タンスが倒れたが、何故かその前の仏様にもたれかかっていた。全焼し更に延焼するもガレージが食い止める。その後11日間風呂に入らず。仮設住宅は王子動物園近くで4年半、最後まで取り残された。震災のニュース見るのも嫌やねん!! 東遊園地での(1/17の)イベント行きたい。気持ちは分かるが思い出してしまう。死んどったら良かったと思うわ。ノイローゼになる。それ以降すぐに出れる為に、服を着たまま寝る。懐中電灯は常備。リュックサックに入れています。仕事4時間ぐらいでも行きたいが、痛くて出来ない。生活保護で7万ぐらいしかもらえず、食うだけや。7万なんぼで生活できるか!1日2000円や!今着ているのももらいものでチンチクリンや。こんなしんどい目にあうんやったら死んだ方がましや。何の楽しみもない…。自分の国も出来んくせによその国をだして!! 9年も経って 乞食のかっこうや! 今タバコ吸っているが、タバコ吸うと700円/1日で生活しなければならない。日本の政治家何しとんねん!!! 外国にはええかっこしよって!! 金・米をやりよって! 国に対して腹が立つ。誰が総理でも一緒や! 1日に千円も使われへんような生活嫌や! ノイローゼの時、何百回自殺しようとしたか。死んどったら良かったとズッと思っている。最後は固く握手して分かれました。(東條・森井・矢野)
- 70代・女性、妹さんと二人暮らし。(インターホンを押して2分ぐらい経って出てこられる。最初は顔だけを出される程度で何度も話が終わりそうになったが約45分間続いた。また話が進むに連れてご本人様がどんどん玄関から前に出て話をされていたのが印象的であった)。体悪くてね。せっかく来てもらったけど立てられない。60代から、腰が痛い。関節リウマチ。白内症。65までは元気やったが。地震は怖かったなあ覚えておきたくない。聞かれると思い出されてしまう。はよー死にたいわーと思う時がある。家は全壊、仮設は港島。市民病院で手術し、目から目やにが出て気持ち悪い。ただ目は良く、予告シートの小さな字も読めた。小説をよく読んでいる。また近くをよく歩くようにしている。当時は自分の事で精一杯で他人の事は覚えてないし、今もとなりの人の事を聞いても知らない。あと何年生きられるか分かれへんけど、自分のすきなように生きたい。電話番号を聞いた所、本人が知らないというのが少し気になった。(東條・森井・矢野)
- 70代(妻)・80代(夫)、エライ目におうた震災、灘区の家は全壊。が、空襲の時の方が大変だった。大空襲と過去の東海・南海地震で犠牲になり、数年には福井地震でも大被害に。南海地震は、丁度親戚が高知県に住んでいたという。やっぱり阪神大震災よりも空襲の爆弾がはるかに恐かった。震災時は暑いのでお布団を蹴飛ばして天井見てたら家が「ガター」いうて縦に揺れ、思わず孫を羽交い締めにして布団に包まったが2階の床が落ちて動けず、明るくなるのをじっと待った。玄関のガラスを割ってもらって助けられ、外へ出てビックリ。3日間着の身着のままどないして過ごしたか記憶にないんですよ。ラジオで星影のワルツが急にかかって、この世に音楽があったのかと初めて思った。それからなんか生き返ったようになった。車を出して高知へ10時間走った。終戦の年、神戸は全部焼けてしまっていた。13才だった私は月の光を見ながら泣きたいだけ泣いた。兄貴が戦死した事もあって死にたい死にたいと思っていた。友達に「あんた、死にたい思うんやったら、やる事全部やって死んだらどうや?やりたいことやらな!」と言われてがんばってみることにした。今の若い人に言いたいこと。ハングリー精神で日本の将来のためにがんばって下さい。わがまま言っても駄目。だが出来ればもっと早く戦争止めて欲しかった。父も日露戦で犠牲に。今度起きる大地震では死んでも良いと思う。書き尽くせないお話しの2時間をあっという間に過ごした。 (佐沢・塚元・猪上)
- (70代男性、一人暮らし)幸せすぎると、却って人生がつまらないと言われる。連絡手段は手紙しかない。酒屋ずーっと回ると時間が刻々と過ぎると。夜中に酒で目が覚めるくせが出ている。せっかくどっさり買った野菜・材料だが、飯はなかなか食えず、ほかすくせが多い。もちろんカレーも漬物も一人で全然食えないと言う。一人暮らし。しかも永年。だから後は死ぬのを待つだけ。この住宅ができてすぐに入居。今回の震災で何もかもを失った。もう今は寝て、暮らすのみ。宗教団体の勧誘多し。浄水器の探査も。早起き会に行けない。今は無職で年金生活。ビール毎日飲めて幸せ。もう体壊してもいい。よく居酒屋へ行くタイプ。近所の方と会うのが苦手。お茶と酒はきらしてはダメ。余り飯も食えない。しかも1日を通じて米1合もとっていない。3、4人友達が来る。酒を飲み終えて、横になって、しかも電気を消さずにそのまま目が覚めると朝というくせが。タバコを1度吸えばやみつきになって、止まらないという。(佐沢・塚元・猪上)
- 60代女性、夫さんと2人とワンちゃん。宮本小学校(中央区)の近くだった家は半壊。89歳の姑さん面倒みている。仮設に藤原台(北区)・岩屋(灘区)と移動した。買い物が不便で日曜日に買い物。50歳の時に喘息になった。ダンナさんも喘息になった。仕事が無い。( 華山・籠島)
- 80代・女性、一人暮らし。春日野道で被災。仮設はポートアイランド。身内は近くに住んでいる。大阪に住んでいた息子さんが亡くなった。ここに来てから喘息になった。病院に行っている。バスでダイエーへ週2・3回。午前に行くバスが1時間に1本。生活保護を受けている。(華山・籠島)
戻る