お話し伺い訪問メモより
2003年11月08日
[復興住宅]
- 70代女性、一人暮らし。(10.26再訪問) 仮設住宅は西区。最近高血圧気味で通院がしんどい。ヘルパーさんに週一度来てもらっている。週2回来ていただく事も出来るが1回にしている。通院の付き添いや掃除などして頂いているが気を使ってしまい、余りいろいろと頼めない。住みにくい世の中になった。今の政治は無茶苦茶や。疲れた様子で横になって話される事が多かった。(赤西)
- 60代女性、ご主人は70代、お二人暮し。兵庫区で被災。震災時近所は火事になった。近くの団地に住む息子が駆け付けてくれた。幸い息子の家に被害はなかった。ポートアイランドの仮設住宅に入るまで、福岡に住む長男の家に世話になったり次男の家に世話になったりした。子供達は世帯を持っているので長く世話になる事に気を使った。仮設住宅の生活は、暑くてギシギシ音を立てるし隣の物音が聞こえてくるなどプライバシーが守れない生活なので辛かった。今は二人とも元気で安心して生活が出来、ここに入れて有難く思っている。この棟には自治会がなく不便を感じているが、他の棟の自治会に入れてもらって近所の人達とのコミュニケーションを図り、付合いも多く楽しく暮らしている。特に問題がなく今の生活に満足の様子でしたが、私達の訪問に感謝していただいた。(山口、鹿島)
- 60代男性、一人暮らし。灘区で被災。昨年不整脈で立ちくらみを起し、救急車で労災病院へ入院した。7日間入院した後2ヶ月通院した。山口県の妹が心配して来てくれた。9万円の年金生活では医療費3割負担はキツイ。人間どこまで耐えられるか。ポートアイランドの仮設住宅に4年半、最後までいた。同居の女性は2年前にガンで亡くなりいまは一人暮しだ。「この年になれば、人と人が支えあうことの大切さがいやでも見えてくる」と言われた言葉が印象に残った。(原、華山)
- 60代男性、一人暮らし。兵庫区で被災。突然の病気で右腕と両足が麻痺になり、今年の4月から車椅子生活になった。「人間って何が起きるか、わからん。自分で出来ることはなるべく自分でやる」とヘルパーさんは呼ばずに一人で生活をされている。買い物は、坂が多くて不便だが自分でしている。寝る時は左腕しか使えないので一苦労する。毎日、やる事がないので酒ばかり飲んでいる。故郷は和歌山県だが、横浜などあちこちを転々として神戸に来た。震災で神戸の街は変わってしもうた。この8年間で総理大臣が5人入れ替わったがその間に生活が低下した。特に消費税が痛い。街には障害者が多い。工事でうるさい冷暖房は使ったことはない。と、生活の荒廃の反面、気力の強さが声から感じられた。(原、華山)
2003年11月22日
[復興住宅]
- 60代女性、一人暮らし。中央区で被災、全壊。ご主人は2年前、脳出血で入院し病院で亡くなられた。震災直後は親類宅に世話になった。その後は仮設住宅には入らず、一般の民間住宅を借りて住んだ。生活は年金で凌いでいるが、私のことより子供の将来の方が、年金が貰えるのか心配です。一人で家にいると暗くなるのでよくでかけるようにしている。実家は教会で、宗教が私の精神的な支えになって自立心が出来ていると思う。毎朝団地の体操に二ヶ所参加している。バスに乗らずに歩くように心がけている。バスは遠回りして時間がかかり過ぎるせいもある。この団地の私の部屋は障害者用対策になっていて、部屋で倒れたら消防署に連絡が入るようになっている。今はまだ必要無いが将来安心です。震災直後は枕許に震災グッズを置いて寝ていたが今はしなくなった。一人暮らしの不安を感じさせない元気印いっぱいのお話を伺う。(奥村、鹿島)
- 80代女性、一人暮らし。灘区で被災、全壊。2階建てのアパートに住んでいて地震で一階が倒壊した。幸い私は2階に住んでいて無事だったが、1階の住人は後から助け出された。六甲アイランドの仮設住宅に入った。そこでうつ病になり一時入院した。75才まで働いた。65才ぐらいから足が悪くなり歩くのが困難になった。要支援1級の認定を受けている。ヘルパーさんに週一度掃除に来てもらっている。両親は徳島県出身で長田に移り住みそこで震災に遭った。戦死した弟は骨すら戻らなかった。仮設住宅で世話になったボランティアが今も訪ねてきてくれる。この団地で知り合いも増え楽しく暮らしている。(奥村、鹿島)
- 66才男性。ご夫婦二人暮らし。東灘で被災、全焼。商店街に住んでいた。当時取材が多くあった。震災までは客も多くあったが今は少なくなった。震災直後、高松の公営住宅へ入った。救援物資は全く来なかった。まるで島流しにあったように思った。100世帯ぐらい移り住み、今も30世帯ぐらいまだいる。この団地はシルバー住宅でトイレの水を12時間使わなかったらLSAからガードマンが駆け付けてくれるようになっているが、以前に24時間警報装置が鳴りっぱなしだったことがあった。(矢野、華山)
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