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お話伺いメモ 2004/2/14

70代男性、妻は入院中。兵庫区で被災。家は全壊ではないがグチャグチャになり、仮設には行かず家に住んだが、ひびが入り何もかも壊れていた。地震から一切何ももらっていない。妻が介護センターに入っており週に五回見舞に行く。何も食べないので困っている。ジュースのパックを一本飲むのに1時間もかかる。自分も脳梗塞で、ちょっとしか無い年金だけで暮らしている。神戸には30のとき福岡から来た。神戸は建築ラッシュでいろいろな仕事をした。毎日の努力はためになる。一生懸命やったことは身につく。本を読むだけやったらあかん。と、元気だったころのお話にも励まされ、みんなで約1時間のお話しを伺う。(塚元、矢野、戸田、増田、佐藤、中山)

70代女性、一人暮らし。中央区のマンションで被災。震災の直後ドサクサの中でダンプに轢かれた、とのこと。膝の皿を割っており腕の骨を折っている。自転車に乗れないのが辛い。ここは買い物がごっつ不便と嘆かれる。何とかして欲しいとみんな言っている。たった一軒のコンビニは酒やお菓子は多いがおかずが少ない。貨物線の跡地に駐車場を作っているがそれより買い物が出来る所を作ってほしい。地下鉄が出来てバスの本数が減りタクシー代がかかってかなわん。海岸線はこしらえる必要あったのか?混むのは朝夕だけ。「さっき乗ったけど、一人だけやったで」とのこと。ここは夜中にホームレスの人に「金くれ、メシくれ」と追いかけられた事がある。暴走族が多く、勝手に入ってきて走る。うるさくて弱っている。見知らぬ人が入ってきて酒盛りをしていることもあって、それからカギを閉めるようにした。ホームレスの人が中に入ってエレベーターの後ろで寝ていたこともある。など、短い時間に多くのお話しを伺う。(塚元、矢野、戸田、増田、佐藤、中山)

40代男性、家族は用事で帰国中。震災時は留学生であった。1月15日に一時帰国から戻ってすぐに被災した。すぐ手前のマンションで十数人死んだ。留学生の友達も二人死んだ。安いマンションで4〜5万くらいで風呂付だったから、留学生が多く入っていた。当時のことは「思い出したくないですね。でも日本人の人間性を見た。何も無いでしょう。でも皆ガマンして、何も不祥事を起さなかった。震災の時、不思議だった。みな、ルールを守っている。その時見た人間性の良い面がもっと日本全体として広がっても良いんじゃないですか」と貴重なお話し。「避難所では、あなたのものは皆のもの、皆のものはあなたのもの、として使っていたし、当り前の様に年配の人、女性、子供は校舎の中、寒くても男性は校舎の外。優先は言わなくても守っていた。それは素晴らしいと思いますよ。若い男性は運動場におります、寒いのに。」外国の常識では考えにくいとの具体的なお話し。神戸が好きだ、新しい建物も建ったしこれからの神戸が楽しみだ。が「これからもっと大切なのは人間性、スピリット(精神・魂)を人々がもっと持つほうがいいかなぁと思っている」と期待を述べられた。震災後は各所に文章を書いた。「あーいう人は何故、自分の事を忘れて、人を助けるのか、それを教えなければいけないので事実を書いた」。この建物には若い人は二人しかいない。高齢者住宅で一人暮らしのおじいさんおばあさん達のこれからは大変だとおっしゃる、若い元留学生被災者から力を頂いた、長時間のお話し伺い。(井上、葦原、堀内)

60代女性、一人暮らし。中央区で全焼。「思い出したくも無い。神戸は金が出なかった。もういい!、もういい!。」(永田、猪上、佐沢、東條)

お話伺いメモ 2004/2/28

60代女性、一人暮らし。施設内を見せていただきながら多くのお話しを伺った。「市場をつくらなければ住宅ではない」との格言をいきなり伺う。県や市の連絡員も来ない、LSAも来ない。死亡しても連絡すべき人が居ない例がゴロゴロある。この棟54人中この4年で8名が亡くなった。全て高齢者。この場所の問題点は住んでみないと判らなかった。掃除しにくい、手すりや階段が危ない、来客用の部屋が無い、事務所は使われていない。公共の場所がやたらと広くて部屋が狭い。外に非常階段があるが犯罪の可能性があり目潰ししてあって使えない。行事はなにもしていない。世話見る人が高齢化している。高所の掃除など公団は自治会でやれというが、金が無いのに出来ない。他のコレクティブも見学したがLSAも常駐しているし、ケアもし、来客用の部屋もある。ここは設計ミスだ。こんな中途半端なものは作るもんじゃない。居住者のことを考えていない。高齢者を甘やかす必要は無い。して欲しかったら自分で言って来る。など約1時間、貴重なお話し伺い。(増田、佐沢、東條)

70代男性、奥さんと二人暮らし。お世話役。東灘区で被災。全壊。梁の下敷きになり意識不明となる。戦争中は乗っていた艦船が攻撃で沈没したが助けられる。この住宅について「ここは非常に恵まれたケースで、問題もほとんど無い。しかし、これからが心配だ。平均年齢は確実に上がる。今後自分たちだけでやって行けるか不安がある。」とお世話役の立場からご心配をもらされる。44世帯中ヘルパーさんが来ているのが7世帯。ゴミは週1回フロアーの一斉清掃。月に1回大掛かりな掃除。参加者は半分だが「みな高齢者だからあえて強制はしない」とのこと。入居以来8名の方が亡くなられたとのこと。スーパーも無く不便な住宅であり、役所にもいろいろ言って行こうと思っている。これからも来て欲しい。と長時間のお話しを伺う。(山中)

60代女性、一人暮らし。表札の男性名は用心の為。中央区で全壊被災。斜面の家が倒れた時に屋根の土が落ちて扉をふさいだ。駆け付けた息子が「もうダメだ」と思ったがケガひとつせなんで、涙を流して喜び合った。ところが親戚の家に避難しているとき震災ノイローゼに悩まされ、回りに迷惑をかけ、気遣いで声が全然出なくなった。だから西神の仮設があたったときはほんとうに嬉しかった。しかし仮設で目をわずらい、同時にあらゆる病をした。この復興住宅はしっかりした作りで安心だが、セールスが多いのでうっかり戸はあけられない。インターホンで「来客中」と言って断る。働きすぎで主人が亡くなってから17年になるが、子供二人は世帯を持ち地方に居る。遺族年金で暮しているが病院代が嵩む。こういう立派なところ入れてもらって有り難い。地震の時も色々頂き感謝している。国にも力があったからこれだけしてもらえた。今度、南海とか東海とかの地震があったとき国も借金が増えており大変な事になるだろう。震災のおかげで苦労もしたけど良い人達に巡り合えて良かったと思う。仮設のふれあい喫茶で「仮設をもらえて良かった、ありがたいことだ」というと、こんなことで満足していると何もくれなくなる、といって文句を言われた。口実を作って行かなくなった。ここでも人付き合いは難しい。怖い人もいれば日によって機嫌が良かったり悪かったりする人もいる。こんにちは、と常識的なあいさつをしてそれ以上踏み込まない。こちらは年寄りだしうるさがられてしまうだろう、と。ただ、もっと身体が悪くなったら福祉のほうへいかなならんようになると思う。ここは60才から70才くらいの一人暮らしの男性がブラブラしているのが不思議、など。清潔なお部屋の中で、コーヒーやお菓子を出して歓待してくださった。こんこんと湧く泉のように話しがつきず、2時間があっという間にすぎた。予告チラシを冷蔵庫に貼って、忘れないようにして待っていて下さっていた。同行の若者が、大きな感動を受けたと興奮の2時間のお話し伺い。(葦原、華山、堀内)

70代男性。夫婦と息子3人暮らし。中央区で家潰れ、裏の酒屋さんが氷水を解かしておかずを炊いて持ってきてくれた、涙が出た。加古川の仮設に3年いた。全国からお世話になった。今の日本人は怒りを忘れていると多彩な政治談義の後、次の依頼を述べられた。「下のベンチで座っている人に声かけてやってくれ」。市場で通り掛かりの人に「元気か」と声かけてやってくれ。ごっつちがうで。高齢化社会では声かけが大事。一人でいるとうつになる、言葉をかけてやってくれ。「絶対さびしい思いしてるで」。(矢野、井上)

60代男性、一人暮らし。ここは入って5年になるが年寄りには不便なところだ。売店は1軒しかなく独占で品ぞろい悪い。振動・騒音・悪臭耐えられる者だけが入っている。仮設解消の最後の者が入っている。自殺者もようけいる。知り合いも死んだ。借金ようせん人間は餓死する。階段の踊り場で話しかけられる。(矢野、井上)

70代女性、一人暮らし。中央区で被災。最近ボケ気味で顔も覚えられず。息子が来て泊まっていきます。最近頭の毛が抜けてそれが恥かしくって悩みです。社交がヘタで外に出るのがイヤで。集会所も行った事が無い。となりはどんなことしているのかなあと気になるが、勇気が無くて声をかけられない、とおっしゃる。こんな話ししたのが初めて。また来てください。と玄関先でのお話し伺い。(矢野、井上)


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