お話伺いメモ 2004/3/13
60代女性、夫婦二人暮らし。被災時お店を2軒経営していたが、トアロードと大開の2店とも全壊して借金だけが残った。今もその借金を払いつづけている。今はご主人が労働をしてくれており慣れない力仕事から喘息を発病している。国民健康保険が高いのでまとめて払えず一ヶ月ごと更新している。肺がんの検診も長いこと受けていない。検診で余計な病気が見つかると困るので行かない。今度病気になったら医者には行かないつもり。この住宅ではご主人がアルバイトの仕事から帰ってくるまで一言もしゃべらない。廊下に出ても、1ヶ月程も人にあわないことがある。エレベーターで一緒になった人にセーターの袖をつままれて「えーの着てるんやねえ」と嫌味な口調で言われると気が重くなる。震災の時、持ち出す荷物に限りがあるから良いもの選んで持ち出した。お客さんにもらったものとか。今は新しいものを買う余裕がないのでそれらを着ているだけ。ご主人が仕事の帰りに、しゃべるぬいぐるみを買ってきてくれた。(物音がすると笑う人形、モオーッと鳴いて モ・モッ・モッと笑う牛の人形など、見せてもらった。テーブルにつまづいても アッハハ!と笑う声がするので気がまぎれる、と言われる)。ご主人や子供達との数奇な出会いと生き死にを越えた今日までの物語を2時間20分に亘って伺う。「こうして自分の事を振りかえって話したのは初めて。まあいろんな事があったものだわ。小説みたい」と言われるご様子に、訪問ボランティア達も感動をいっぱいに受けてお部屋を辞した。(増田、堀内、中山、戸田)
40代男性、一人暮らし。中央区で被災。金のないヤツは死ねと言うようなもの。インスタントラーメンしか食べていない。滞納で追い出された者もいる。生活再建というけれど絵に描いた餅。空論だ。本当に救うべき人が救われていない。40代となると就職がない。生活保護を求めているがダメ。ここは須磨や長田からの人が多いが、三宮が近いという理由で移って来たが失敗した。引き続き頑張って下さい、と。(高橋、矢野)
80代女性、一人暮し。健康でどこも悪くない。「おはよう」と声を掛け合う。地震はどうしょうもない。寝てたらドーン。一瞬の間もない。いざとなると何も出来ない。何が何処にあるか判らない。ドーンと来て何処においてもダメ。タナもどさっと落ちる。懐中電燈おいてもダメ。ガーとなって戸が開かず、生きた心地しない。足元がガラスとガラクタでいっぱいとなった。にいちゃんがカベをよじ登ってくれ窓に隙間があって助かった。窓から入ってガラス破って来てくれた。何を持ち出す余裕もなく頭の中真っ白のまま手ぶらで家を出た。帰ったら何もなかった。ドロボーが昼間から何人かでトラックで来て持って行った。タンスの中はカラッポ。それ以降タンスはカラッポ。仮設の時も不自由せんかったし、何も要らない。この住宅は心地良い。(矢野、高橋、東條)
70代女性、一人暮らし。訪問時数名の女性が部屋で集まってお話しをしていた。別の階から来て、ボランティアで気晴らしの持ちよりお茶会をしている由。西宮で全壊、仮設住宅、民間借り上げ住宅のあとこちらの復興住宅へ。先日二日ほど意識をなくして室内で倒れていた。24時間水道を使わないので警報装置が「緊急事態発生」「緊急事態発生」と百回ほど音が出ていた。となりのご主人が「緊急解錠キースイッチ」で入ってきた助けられた。これが無かったら死んでいたと思うとのこと。もっと他にも、引っ張りで消防に通じるようなスイッチが欲しい、としきりに言われる。簡単な音の出るものでも効果があるだろうと考えさせられた。地震はいつ来るか判らない。大事なものは集めておいたが最近ではバラバラで、気がゆるんでいると笑われた。部屋のお友達からまだ〜、と声がかかり、良いお仲間に恵まれた明るい生活を感じた。(矢野、高橋、東條)
50代女性、子供二人。ご主人は地震の前に亡くなっているが、その3ヶ月後に発病し半身不随の車椅子の生活。東灘で全壊被災。大阪へ避難した。震災後の苦労は忘れてしまった。今の希望は、国民年金が少ないので生活を何とかしたいこと。しんどいですねと、半身不随ということで何度か言葉に詰まる場面があった。しかし、なるべく多く話して分ってもらいたいという気持ちが伝わってきました。(矢野、高橋、戸田、東條)
50代男性、兵庫区で全壊、一人暮らし。本人記入の支援シートを郵便入れで頂く。「何時も気にかけていただきありがとうございます。仮設にいるときは糖尿病の合併症で全身が痛く苦しんでいましたが、良い薬にめぐまれ痛みも取れました。現在は仕事も出来るようになり、頑張っております。本日は仕事の都合で失礼します。震災10年目で忘れてならないことばは『備えよ常に』、市政で続けてほしい事は『見守りサポーター』『住居費の補助』、市政で止めてほしい事は『神戸空港』、交通についての要望事項は『バスの便数を増やして欲しい』(本人自筆)
80代女性、本人書き込み。阪神・淡路大震災、もう9年余り。その後の生活などのことで書きこみ用紙を持って来て下さっておりますが老齢の為無理。他のお家で書いて貰って下さい。震災は東灘区、もちろん全壊でした。それから神戸の西区に1年、北区の仮設住宅に4年と現在のマンションに5年となります。9年余りになりましたが現在は90才近くずっと一人暮らしですが時々息子の嫁が訪ねてくれます。(本人自筆)
「いつも有難うございます!! あいかわらず元気にて過しております。時々カラオケなどに行って楽しんでおります。今日は出かけますので、ごめんなさいね。(本人自筆)
お話伺いメモ 2004/3/27
60代女性、一人暮らし。震災翌年の5月ポーアイの仮設住宅で広告紙の裏にメモした手記を見せていただく。見せていただいた手記を以下に転記します。
「私は6時半に目覚まし時計を合わせていたのですが、地震の為に時計が狂いました。ドカンと音がしたと同時に時計がリンリン鳴り響き渡りました、ベルを止めるのが必死でした。その間、震度7の揺れはすごかったです。何分か何秒かは判りませんが時計は止まりましたがでもまだ揺れています。ふとんにもぐりました。その間の長かった事。ゆれはようやく止まって、布団の上に座りました。どうしようかと思いました。そうだ、身軽なものだけ持とうと思いました。一度先に窓だけ開けてみようと思いましたが窓は動きませんでした。窓ガラスを破るしかないなあと思いましたがカナヅチを取る気力がありません。身軽なものをと思い、時計5個(後で見せていただきました)、会社へ行く用意をしてあったハンドバック、貯金などが入っている袋が身近にあったのでそれを取り、どこから逃げようかと布団の上に座っていると南西の上の壁がつぶれていくのをみて、そこから逃げることを最後の手段として残しておこうと思いました。なんだかのんきそうですが、これはほんの短い時間でした。
そのときです。外で中年の男性が大きな声で、「みんないま助けてやるからな」と声が聞こえたので、わたしも助けてもらおうと思いました。がそのあとすぐ「あれ、これなんや、火事か」と言う声がして何処かへ行ってしまいました。その時窓を見ると煙りとうすい火が写っていました。
あれ、このままでは死んでしまうと思ってすぐ先程の壁の場所にいって壁穴に頭を突っ込もうと思いましたが背が足りません。一回目は失敗です。その時、後を振り返ると煙りがほとんど50cmぐらいのところまで来ていました。人生楽しくないし、ここで死のうかと半分思いました。でも頑張ろうと思いもう一度頭を突っ込みました。するとからだが外へ出てあれと思いました。パジャマを着て足は裸足のままでした。
(平成8年5月19日、日曜日。ポーアイ仮設住宅にて、快晴で良い気持ち)
60代女性。一人暮らし。灘区で被災。娘さんが40代で高校生を先頭に4人のお孫さんがいる。年金で食べているが働きに行きたい。ここに来てこもっていてもいけないので宗教に入った。賑やかなお葬式をしてくれるので入った。車を見送るのが2~3人と言うのはさびしいから。でも宗教は気が狂ったみたいになる。宗教と政治が一緒というのはおかしい。まあいいか、で一票を入れる。訳わからずに入れている。こんなの言うのおかしい? 内部で言う人は少ないですよ。だから口には出さないが批判している人は多いです。口に出したらエライ事。大体10軒に1軒はそうです。と気さくなとらわれないお話となった。(佐沢、東條)
70代女性。夫と二人暮らし。灘区のアパートで全壊。木造住宅が全部北へ向って倒れた。数日息子の家にいたあと県外へ避難したがポーアイの仮設へ戻った。この県営復興住宅へ移ったのは5年前。狭いが三宮に近くて便利。ここにはいろんな人がいる。お互いに助け合った昔の隣保の付合いと違う。我が良ければそれで良い、と言う付き合いだ。子供のマナーなど問題。ヘタに注意も出来ない。コレクティブは入りにくい。エレベーターで出てきて欲しい、と言う家だ。募集していたがイヤだった。お話中に上の階のお世話役の方が来られ、長い打合せになったので辞去した。比較的戸数の少ないこの棟はお付き合いも多い明るい感じを受けた。(佐沢、東條)
50代前後の女性。年齢のせいで仮設に入る前の避難所に何年も居た。仮設暮らしも長かったです。ポーアイの学校は独特の雰囲気で子供がなじめないで困った。不況で仕事を減らされて仕事探しが大変だった。いまは子供もようやく落ちついて高校を卒業したが、なかなか仕事が見つからない。いろんな壁ってものすごく大きいです。弱者に対して壁がある。矛盾が沢山ある。こう言う事があっても負けないでなんとか前向きにね。どっちが勇気付けられるとかじゃなくって、お互いに支えあって生きているんだ。神戸にはお金があるからこういうところにこそ使うべき。外回りはすっかりきれいになっているが、窓を開けると高速道路の排気ガスが入る。切々と約1時間のお話伺い。(塚元、永田)
インターホン越し。「90ナンボになっていますわ。皆に色々お世話になっています。いま、週三回のデイサービスに通っています。ここに変なセールスとか来るので、息子から『やたらドアを開けるな』と言われてねえ。すいませんねえ。私一人では出ないことにしているんですよ」とお声はお元気で若そう。それではお元気で、とこちらも元気でインターホン越しのお話し伺い。(赤西、矢野)