お話伺いメモ 2004/4/10
70代後半、女性。「お話することはありません」と訪問を断られたが、エレベーターに乗ろうとしたときに、引き止められた。「ちょっと言いたいことがある」「はい」。あんまり人には言えないけれど実は生活保護を受けている。生活保護が今年になって1万円も減らされた。来年も減らされると言われた。神戸市に理由を聞いたが『国が決めたことですから』と言われただけ。年寄りイジメや! 小泉さんは許せない。小泉さんは年寄りをいじめている。年金もこれから下がるという。生活保護をもらって何もぜいたくしている訳じゃない。このまま生活保護も年金も減らされ続けたら、年寄りは何も食べずに死ね!と言っているようなもんだ。私は小泉さんになるまでは自民党を応援していたが、小泉さんになってから自民党が大嫌いになった。「あんたたち若い人には、年寄りイジメの小泉さんにこの事を言って欲しい」、と必死の訴えをお聞きした。(猪上、華山、藤原)
70代女性お二人と立ち話20分。一人でいる。何も言う事無いけどね−、名古屋にいる子供がいてくれたらねえ。仮設は三宮へ出るのに2000円もかかる北区にいましたよ。家は全壊で、その後ボランティアの人が荷物を持っていくといわれ、全部持っていかれてしまいました。それ以来ボランティアと名乗る人は絶対に信用しません、と強い口調で言われた。近所の人とはエレベーターで会った時に挨拶する程度。最近やっと落ちついたところです。とお二人とも声が大きくお元気そうでした。(矢野、原、堀内)
70代後半女性。震災以来糖尿病でインシュリンを打っている。肺がんといわれてから2年経っている。たまにLSAの人がのぞきに来る。いつ死んでも良いと思う。部屋に非常ベルも全部ついている。神戸には身内は誰もいない。こわいから他の人は家に上げない。男の人もこわいから家に上げない。大きな建物が建って海が見えなくなり面白くなくなったとなげかれる。(増田、須貝)
80代女性。足が悪い、骨粗しょう症。寝込まない程度に病院に通わないといけない。カルシウムをよく摂取。北区の仮設に4年ほどいた。血圧が高く薬を飲んでいる。長生きせなあかんワー。人とよくお話する。楽しい話しは痴呆の予防になるとおっしゃる。(増田、須貝)
60代の女性。夫が職場で倒れ亡くなってその片付けが済んだころ、地震に襲われた。5年間は何もする気にならなかった。その日の生活が精一杯で、その日がなんとか過ぎれば良かった。目標が持てない。周りへのお手伝いも気持ちがついていかなかった。ダンボールもそのままで、必要な物だけを買って来て生活していた。5年間は雲をつかむようだった。5年目にやっと落ちついてきた、といわれる。(東條)
ボランティア参加者よりレター。どれほどの方が「現場」を理解下さるでしょう。例え理解が少ないとしても、現場の人間としましては、出会う方々に心をこめて、ほんの一時でも「気にしてくれている人がいる、独りじゃないんだ」という思いを持っていただければ、たった一人の人でも喜んだ頂ければ、というささやかな願いをこめて、訪問を続けるしかないということでしょう。またいつの日か参加しお目にかかります。
お話伺いメモ 2004/4/24
70代ご夫妻。ここへはこの3月に入ったばかり。地震のあと親戚のいる他県へ行き、しばらくしてから神戸に戻った。神戸にいた兄弟達はみんな地震に会って親戚を頼りバラバラになっってしまった。夫さんは半身不随でほとんど動けない。自分は全身に鉄が入っていて何度も手術をしているがなかなか良くならない。3日おきに近くの病院に通っているがそれ以外で外に出ることはほとんどない。週3回のヘルパーさんが来なければ生活出来ない。今は健康のことだけが心配。(猪上、華山)
80代女性、一人暮し。灘区のマンションで被災。大阪に避難していたが山を見たくて神戸に帰りたかった。神戸に帰ってきて良かった。調子が悪くなったらどうしよう、が心配。ケアライン119を頼りにしている。年寄り同士の友達がいるから大丈夫! ケアの人がいるからとても幸せ。昔のことを思い出して頭の回転を計っている。(原、堀内)
60代後半女性、一人暮し。訪問するとすぐ室内へ招き入れていただき、お話が始まる。切れ目なく2時間40分、今の環境と人間関係の難しさ・痛みを話し続けられた。時に涙ぐみ目頭を熱くして、体の中に一杯溜め込まれていた不満や怒りをはきだされた。今日の訪問では、しがらみのない第三者という週末ボランティアの立場を知って、安心して言葉にして下さったようだ。ここには病院や美術館があるのにスーパーが無いのが欠点で、それが人の交流を妨げているネックであり、商店があることは皆さん望んでいることだ。震災後、良い目を見てる人と苦しんでいる人と分れて矛盾しているなど、具体的なご意見も含めて被災地生活の無数の生々しいエピソードをお聞きした、週ボラ冥利に尽きる訪問であった。(貝沼、増田、矢野)
80代男性、一人暮らし。腰とか足が悪く病院に行っても直らない。電動車イスがあるが1回教えてもらっただけで練習が出来ていない。通りまで行きたいなア。慣れて来たら買い物にも自分で行けるようになりたい。掃除はケアセンターの人がしてくれる。昔は港の中の仕事や土木工事をしていた。震災後は西神の仮設に4年もおった。ここへ来たのは去年。官僚連中といっても大したことない。自衛隊がイラクに行くなど、今は内閣自体がおかしい、などお話しを伺う。(原、堀内)
60代女性、夫婦2人暮らし。中央区でマンション全壊被災。年齢的に中途半端だったし商売をしていたが、神戸市は商売への援助は一切無かった。350万貸してくれたが毎月2万円返すのが大変。国民年金のことだが、40年支払ってきて7万円の年金。フッと思うことがある。これは生活保護の金額よりも低い。一生払ってきて生活保護より少ない? 生活保護の方が年金より良い? 商売のお客さんからもそんな声が多い。震災10年と言うが人間は忘れてしまう。全国で津波の被害が言われているが、対策は無いだろう。忘れた方が良いのかも。(佐沢、東條)
70代男性、一人暮らし。パジャマ姿でお腹を抱えながらドアを開けられた。「しんどうて、玄関に出るだけでたいへんや。病院にもいけなくて。新開地のアパートで全壊で……話し出したら切りが無いで。協力はしたいのやけど、これでゴメン」に、有難うございましたお大事に、と心から大きく頭を下げて辞す。(佐沢、東條)
70代前半男性、一人暮らし。要旨「被災したときは60少しでまだ働いていたのですが、10年もして70代になりました。10年の間に2度も入院して手術し、今は外出も一人で出来るようになりました。体が不自由になったらどうしても人の助けが要ります。今は世の中全てがメディア化されてしまい、少し厄介なことになっているのではないでしょうか。何か言えば、笑われてしまうのではないか、ひいては家族にしかられてしまうのではないかと心配して、結局は無口になり、何も言わない国民になっています。」との本人書きこみを頂く。ご訪問は2時間におよぶ話しこみとなった。メディア戦争。メディアと国民との戦いなど独特の話題でボランティア、勉強になりました。(猪上、原、華山)
60代後半女性、夫と二人暮らし。長田区で被災、ドーンドーンドーンと3つ音がしてうつむいたのだけを覚えている。母と三人で埋まった。気がついたら真っ暗ななかで「お父さん、どうしたら良いの?」「助けてもらわなしょうがない」。外の人の声は聞こえるので、エネルギーを残して大声で叫んでいたら、あのおばちゃんの声だ、と近所の人に8時ごろ掘り出された。50年住んでいただけあってご近所の助けはありがたかった。みんながよう助かった奇跡的に、と言ってくれたが一人の怪我も無く感謝せねば。だが、何に感謝すれば良いのか分らない。子供が出張中で、三人とももうだめだと思っていたという。親戚も名前が出ないのは生きてる証拠と思おうとしていたという。ケイタイをかけて見たら「生きてたー」。8時ごろ火が出た。助かって10年ここまで来た。想い返して今年はじめて東遊園地に行かしてもらった。亡くなった方々を見て、知って、自分たちが助かったと言う実感がした。祈りたいと思った。泣いた。1.17メモリーは必要だ。助かった方にも亡くなった方にもなおのこと。9年まで自分の生活だけであわただしかった。こうして家もあって年金で細々と暮していて。これも人生の一つかナ。自由業のため夫の年金は月6.5万円ぐらいで私の年金の方がちょっと多いぐらい。それもどちらか死んだらなくなる。いくらひっそり暮らしても最低の費用は必要。神戸空港など要らない。但馬空港も税金でもっている。原口さんのころに作っておけば良かった。神戸空港への批判は多い。後のこと考えて、子供らにどないしたら良い? 神戸は大きな工場を外へやってしまった。産業が無い、税金が入らない。震災は予想外だった。思いもかけなかった。他人事であった。神戸には来ないと思っていた。雲仙や奥尻への援助との差は大きい。被害者が少ないからか? 仮設は西神、子供の時から生まれ育った神戸が良い、静かで住みよい町と言われる。わずか40分の立ち話で、書ききれないほどの人生を伺わせていただいた。(佐沢、東條)