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お話伺いメモ 2004/5/8

60代女性、夫と二人暮し。六甲道で被災。3時間生き埋めでねー。大丈夫です、元気です、って言うてもヘリの音で聞こえないのよ。近くで300人も死んだと後で知って慄然としたわ。「不足は言いたくない、生きているし」。でも語り部の人の話しなんか聞くと、私のほうがすごいなあ、と思う。長田、長田言うけれど、燃えたのが大変だったが、地震で大変だったのは六甲道。瞬間に亡くなられた人、沢山おります。被災後すぐに、掘り出された履物と水一杯やっと手に入ったのがうれしかった。、近所の人が持って来てくれた。亡くなった方の家族が上着を貸して下さって、9年たっても捨てられません。今思うたら夢の中や。地震は頭の中でどんどん小さくなって行くが、今でも月に2、3回は元の町に行きます。仮設住宅は鈴蘭台やポーアイなど4年半も遠くにおった。夫は仮設店舗でがんばり過ぎて、半年入院。私も交通事故で半年入院。この棟でも若い女性の飛び降りがあり、今も手を合わせる。住みにくかったのか心がすさんでいたのか。孤独死も当時多かった。今はみなさんの顔もだんだん分って来て。当時はみんな孤独だった。「話すことは何もない」と言われながら、約一時間のお話し伺いは、9年前の失った自宅と店のことが、まだ尾をひいていることを切々と感じさせられた。(佐沢、猪上、阿久沢)

60代女性、夫と娘3人暮らし。灘区でマンション全壊、打ち身だけで助かる。4年間奈良県の県営住宅へ県外避難していた。年もとりずっと神戸暮らしだったので帰ってきた。奈良は人情の厚いところだった。親切な方が多く野菜がポストに入っていたりした。今も年賀状やメールでの付合いがある。神戸に帰ってきて余計それを感じる。後から遅れて入ったので、あいさつに来ないなど言われた。月1回の掃除にもほとんど出ない。奈良では必ず出る。出ない人はお金を出してバランスをとっている。ここでは急の引っ越しなので1歩外に出れば判らない。いろいろな集まりがあるが急には無理なのではないか。地震は「自分には無い」と思っていたことが振りかかる、「悪いものは来ない」と思っていることにも準備する事を知った。年配者は閉じこもりがちになる。ボランティアが訪ねて行ってやって欲しい。自分もいつそうなるか判らないので気をかけてやって欲しい。と優しい気配りのあるお話しを伺う。(華山、東條)

70代女性、一人暮らし。長田で被災。地震の時も一人でねこと一緒だった。いま困ったことは無い。写生や絵や習字など考えないで集中できることが好き。友人とストレス発散に外出はよくする方。いま孫が来ているので、と元気そうで楽しそうな雰囲気でした。最後に、近づく参議院選挙の宣伝をされておられた。(増田、若木)

50代女性、夫と二人暮らし。兵庫で被災。家がつぶれて娘と二入抱き合ってい田。近くの塔が倒れると、着の身着のままで避難した。家に戻って過去帳とおわんと鍋だけ持ち出して、とここまで話されて声を詰らせ目を赤くされた。「ゴメンナサイね、地震の話しになると涙が出て」。震災後、死にたいと思ったこともあったけど、友人からもらったペットに癒された。何回も救急車で運ばれ、市場で倒れたこともあった。地震の後遺症なのか、足の裏から工事をしているようなダダダダッという振動が脚にのぼってくる。気持ち悪いが原因は判らない。精神科にも通っている。「地震前は、私はちょっと高くから人を見ていた所があるけれども、地震の後はボランティアをしたり自治会の役をしたりするようになった。」両隣の方もほんとうに良い人達で、それは助かっている。近くの働きに出ているのも良いのかもしれない。人前では元気に振舞ってしまうので、「どこが悪いの?」と言われてしまう。ペットに癒されていると何度も言われていた。地震の話しになると涙ぐまれ、本当に辛い体験だったのだなと痛感させられる約1時間のお話しを伺う。(大森、原、堀内)

50、60代ご夫妻。中央区で被災し家は全壊したが怪我は無かった。夫は入退院を繰り返し今は妻のパートで生計。何が困っていると言って、金が無い。上の階から飛び降りようかと思うくらいですわ。と、戸口でのお話し伺い。(猪上、佐沢、阿久沢)

60代男性、一人暮し。地震の時は京都にいた。神戸に来て4年。大津でリストラに遭って渡り歩くうち、やくざに年金の証書や手帳を取られ警察からも見放されて脅され、ホームレスとなって神戸に逃げてきた。ハローワークへ通っていたが全然仕事が無く、神戸の冬を支える会に炊き出しでお世話になり、おにぎり2個もらって話を聞いてくれ、一生懸命世話をしてくれて、2年前にここへ入った。奥さんは亡くなり病気を抱えて身内も無く、年金の不足分をもらって福祉の世話になった。近所との付合いは無く月1回の掃除ではそんな話しは出ない。ボランティアのみなさんへありがとう。夜回りのみなさんへ、礼もようせんと申し訳ないと伝えてくれ、とのこと。部屋は清潔に片付き、ベランダに花の植木鉢もみられ、訪問者もうれしく感動して部屋を辞す。(矢野、東條)

50代女性、子供たち夫妻と孫と生活。母子家庭で4人の子供を育て、震災でここへ入るまでが大変でしたけど、震災前は小さなマンションに住んでいたので、ある意味震災のおかげでこんな新しいところに住ませてもらって、震災は無かったほうが良かったけど震災が無ければ今どんな暮らしが出来ていたか判らなかった。震災時は子供がみんな学校に行っていたけれど、今は卒業してうち二人は結婚して孫も一緒に住んでいる。みなさんにはお陰様で、と感謝をされた。(猪上、原、佐沢)

お話伺いメモ 2004/5/22

60代女性。3時間生き埋めで、大丈夫です元気ですって言ってもヘリの音で聞こえない。「不足は言いたくない、生きているし」震災は今思うたら夢の中、と言われながら9年前のことがまだ尾を引いていることを切々と感じさせられた約1時間のお話し伺い。

60代女性。4年間の県外避難から帰って、県外の人情の熱さを改めて感じた。ここは年配者が閉じこもりがちになる。ボランティアが訪ねて行ってやって欲しい、と心遣いの訪問。

50代女性。着の身着のままで避難した地震の話しになると涙ぐまれ、本当に辛い体験だったのだなと痛感させられた。地震後遺症への癒しのコツを聞く、約1時間のお話し伺い。

60代男性。リストラ、病気、職無し、ホームレスから復興住宅で病気療養までを、ボランティアのみなさんありがとう、と感激のお話伺い。


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