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お話伺いメモ 2004/12/11

50代女性。灘区で全壊。三日間は歩道にゴザを敷いて、壊れた家から木材を持ってきて24時間たき火をし、そこで寝ていた。風呂に入ったのは14日目、梅田に5時間かけて電車で行った。震災ルックだったのでタダで入れてくれた。苦しい思い出だが夢みたい。

70代男性。ここへ来て5年になるけど誰も顔知らん。仮設のときの知り合いも誰もおらん。家族が死んで、親戚が離れて、頼る人がおらん。ボーナスとか働いていた頃が懐かしい。楽しみは火曜日にセンター行ってご飯食べておふろに入って、と2時間のお話し伺い。

70代男性。借金してたてた家が全壊。近くの高校に避難したが3日間のまずくわずだった。仮設には入れず大阪でマンションを借りて住んだ。「ボクらの人生、戦争と災害でメチャクチャや。」「間違いなく孤独死、それだけは覚悟している」と2時間のお話しを伺う。

お話伺いメモ 2004/12/25

70代男性。年と共に衰えが目立つ、冷たい世間では独り者は衰えも早い。他人は怖いです。ここに来て何度も言い書きしてきたが、結局何も変わらなかった。

70代男性。灘区で被災、文化住宅2階の自分は助かった下の3人が亡くなった。戦争では軍需工場でもっと怖い目にあった。しかし戦争後の仕事がない食べるものがないにはもっと苦労した。奥さんは40台で亡くなり自分も震災後に大病をしてやせ細った。となりの奥さんが部屋で倒れて亡くなられたが発見は10日後だった。電気がつきっぱなしでおかしいとなった.自分も朝起きてバタンと倒れた事が有る。ボタンは押されへんし、押してもカギをしているので入られへん。昔は助け合いだった、地震がなければと思う。電話番号をお伺いしたが断られた。自転車に防犯のスローガンをはってあり、何かの役に立つだろうとおっしゃる。


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