お話伺いメモ 2007/3/10
60代後半女性、夫と子供と3人、灘区で全壊。商売を再建できず廃業した。震災後に夫を亡くし今も働いている。家賃が安いからなんとかやっていけてるが上を見ればきりがない、と明るく気丈に振舞われる。震災で高血圧になり、はじめて行く西区の仮設から灘区の病院に通ったご苦労など、これほどまでと考えさせられたお話し伺いであった。
70代男性、家族3人暮らし。灘区で被災。自家の工場が全壊で大変やった。震災後に出来た借金を返すための生活をしている。家賃が安いからやっていける。年金は月8万円。借金に月6万円を返す。あと借金は200万残っている。市長はもっと大変だよ、空港作って3千億円から借金してそれ払わないかんのやから、とご自分を忘れて同情的。医療費が高いのにはビックリで病院には行ってない、とのこと。白内障もお金が溜まるのを待っている、といわれる。あと10年もすれば、この辺で走り回っている子供らが大人になって、それでようやく街らしくなるんやないか。私らやったら誰とも付き合いがないけど、子供らの親同士はクラスや学年が一緒とかで、友達づきあいができるからね。と、示唆に富んだ40分の訪問であった。
お話伺いメモ 2007/3/24
30代女性、ご家族多数と。長田区で全壊。10年経ったので言える。他人に話すのは初めて。マスコミ取材は今でも拒否。と40分の貴重なお話しは、母と子と震災救援の感動物語であった。乳飲み子と子供たちを抱え、乳も出ずミルクも無くお風呂に入れない避難所暮らしのなかでの、ボランティアやいろんな人々の助けに感謝していると。子供たちにも命の大切さを伝えていると。地震は弱い方々を傷つける、2度と起って欲しくないと。
70代女性、80代夫と2人暮らし。灘区で全壊。近くのデイホームの避難所を経て2年間の仮設ぐらし。同じ仮設からここへ何人か一緒で近所づきあいも多いが、9年もたつと近所で亡くなられる方も増えてきてさみしいと。前向きで非常な元気を感じさせて頂いた。
70代ご夫妻、灘区で全壊。周辺に死体が多数の被災地であった。現在も地元でボランティアをしている。12年経ってのボランティアのご苦労やアドバイスを伺う。重要なご意見は現場でのご苦労を反映。同感できる点多数の貴重なお話し伺いであった。
70代女性、灘区で全壊。震災のことは忘れたと思っていましたが、こうして話してみると次から次へ思い出しますね。仮設にいる時「いつまで甘えてるんや」といわれて、情けなくつらかったことも今思い出しました。向かいの家の火災の耳塞ぐ悲劇など40分伺う。
80代男性、ご夫妻で闘病中。灘区で全壊。震災ではご親戚のご夫妻を亡くされた。600軒もある仮設で自治会のお世話を、ここに来ても自治会のお世話を。私も体がよくなったらあなたたちの仲間に入れて欲しい。もっと勉強して、社会の役に立ちたい。と感動の半時間。
60代男性、一人暮らし。灘区で全壊。避難所では大勢の方のお世話をし、郊外の仮設では回りの民家の方々に良くして貰った、などなど。震災とご家族と趣味のお話は玄関を出るまで続く。震災の年の春、妻と子が帰郷されそのままと、気になるお話しも床に車座で1時間。
70代ご夫妻、3世代と、長田で全焼。火が出たが来ないと思っていたが12時間後、最後に燃えた。「火が走る」状態を見た。何も出せず何も残らなかった。「いざいうたら、頭どっか行ってまうんよ」。知り合いも5人死んだ。一人は下敷きになっても持ち上げられず「私は死んでもいい!」そういって焼け死んでいった。人間は薄情なもんや、いま住んでいたとこ戻っても誰も知らん振りや。あの時だって助けてくれたのは金髪の若者たちだった。「バカにするだけのモンちゃうな」年寄りのほうが自分勝手。仮設で親切にされたときのうれしさも忘れていない。「死ぬまで恩は忘れない」とご夫妻でうなずきあわれた。感動の1時間のお話し伺い。