お話伺いメモ 2007/10/13
80代女性、灘区で全壊。4時間生き埋めになった。となりの男性は亡くなった。1階は商店のため人が居なかったがペチャンコ。娘が助けにきた。西区の仮設に3年間。お寺もありウグイスもなき、芋掘りやカラオケやお友達もいた。田舎のお寺や近所の小学生たちから慰問やお返しの訪問などもあった。ここは近所が良い人ばかりでカラオケも合唱もあって良い。ボケないように手芸もしている。新しい被災地の方に、災害で貧乏になるが、元気で頑張って下さい。亡くなった方の冥福を手を合わせて祈っています、と。手芸品を頂く。宝のような。
70代男性、灘区で全壊。奥様が落ちてきた屋根や天井にはさまれて大怪我をし、3ヶ月余り入院。歩けなくなるほどだったが今は杖を突いて歩ける。ご自分も震災前の大手術の薬から内臓悪化、透析の手前まで来ている。「困った事といえばやっぱり身体のことだね。」と。
80代女性、灘区で全壊。戸口まで出て来られたがベットまで戻られ、4人でベットを囲んでお話しを伺う。ゴーという音がして飛び起きた。ネコが飛んで逃げたがそのまま戻らない。2階が落ちて1階の床下から顔を出してとなりの人を呼んでいた。何が何だかわからなかった。助けられて外に出てはじめて、隣の家もひっくり返っている事がわかった。道端に座っていたら息子が来ておんぶして北区の家まで連れて行ってくれた。それきり勤めていた会社も辞めて息子の家にいたので、被災地の様子については判らない。親戚に守られてつらい思いもしていない。フツーできた、しあわせ、とシッカリとためらいないお話をベットからみんなで伺う。
80代男性、灘区で被災。学校で避難所生活、仮設に3年いてここにきた。各所でお世話役をして、いまもここでお世話を。地震の日に助け合い、埋まっている人を掘ったり、食料を分け合ったりしたのは近所の人達だった。住民の力、一人一人の力、近所友達の絆がいざという時に力になる。まちづくりは一日や二日では出来ない。一人一人に話しをしなければ。何でも聞いてあげて、その人の良いところに乗ったらよい。良いところだけでつながる。ダメならあとで。電線も地下に入れて消防も入れる、建物はオーケー。あとは人間づくり。見本になるまちづくりを、と多くの実践をみんなでお伺いした貴重なひとときであった。
お話伺いメモ 2007/10/27
※メモが残っていませんでした、すみません。