お話伺いメモ 2008/8/9
40代、男性。中央区で被災。その日は朝のテレビが、5時45分に目覚ましテレビというのがあって、ふっとついたので起きた。とたんに四つのタンスが倒れてきて、それをケトばした
ので助かった。その日はやっとりんごを1つ手に入れた。近所のローソンやコンビニはシャッターを閉めていた。こんな所に住んでるとコミュニティのなさを痛感する。いま定年になった人や60歳、70歳の人の経験とか、いま自治会の会長の人の経験が大切だと思う。いま何か街がおかしい。店がつぶれていくし安心して住める所ではない。道路作りより人の整備が大切だったのではと思う。
60代、女性。一人暮らし。被災当時中央区の市営住宅に居住,人的・物的被害は無し。同住宅建て替えのため1月半前に入居。65歳の定年まで勤め,マンション販売などをしていた。30分ほどお話をうかがう。
60代、女性。一人暮らし。中央区で被災。長く住んだ市営住宅は,ここより丈夫な造りで震災の被害もなかったが,建て替えのため最近この復興風宅に移ってきた。訪問したボランティアの一人と同い年とわかり話が弾んだ。
60代、女性。一人暮らし。長田の近くで被災,仕事も失う。小学校の避難所→姉の家→息子宅→ポートアイランド仮設住宅→ここへ。姉・息子宅は気を遣うので長居せず,復興住宅入居のため仮設へ。被災当時高齢者でなく現役世代であったため,仮設・復興住宅で優先されないため,希望者が少ない仮設住宅,竣工が遅く入居が先になる復興住宅を選んだ。1年前まで元町で仕事をしていて,この復興住宅から25分ほど歩いて通った。今でも三宮までは歩いて,長田へは三宮から電車で,買い物に行く。西日が入るわけではないが,隣接の建物ができてからは(風が遮られ)照り返すため暑くなった。今は年金暮らし。家賃減免申請で市役所に行ったら,生活保護受給者の方が多くもらっているように思われた。
お話伺いメモ 2008/8/23
70代男性,東灘区で全焼。水が出ず消防もなすすべなく,残骸をじっと見ているしかなかった。避難所では電気が使えず不便した上,天井が高いため寒く,朝しもやけになったことも。仮設住宅には行かず県外の公営住宅へ。仮設住宅解消が優先される一方で,県外避難者が後回しにされたようで,復興住宅になかなかあたらなかった。受験勉強真っ最中の初参加者が,さまざまな話題を引き出そうとした姿が印象的な「お話し伺い」であった。
50代女性,中央区で被災。その時は子どもも小さく怖がってよく泣いていた。一番困ったのは水がないことで,寒さにふるえながら2人の子どもとともに順番を待った。住んでいた文化住宅が古く死んでいると思われたため,友人がみな様子を見に来てくれたのがうれしかった。
70代女性、今は一人暮らし。東灘区で被災。3階建ての2階で、1階の人が5人亡くなった。2階も傾いて逃げようにもドアが曲って開けられなかった。しばらくして近所の人がドアを叩いて「おりますかー、無事ですかー」と言ってくれたので、車イスに乗っていたご主人はお風呂の窓を壊して、そこからドアを工夫して作った板にのせて外へ出してもらった。その日は小学校の廊下で寝た。3日目まで何も食べ物がなかった。3日目に本山のすし屋が酢めしをおにぎりにして売っているのを買って食べた.。ご主人は京都の老人ホームが一時預ってくれるというのでそこへ行った。週末は電車に乗って京都まで通った。よく京都まで1人で行けたと今になって思う。仮設へは一番に入れてもらった。車イスの主人と仮設で暮らすのは大変だった。ご主人は脳梗塞を3回起こして、入居後亡くなった。苦労した事はお風呂とトイレだった。小学校のトイレも水がなく、その後行った避難所も建設中の老人ホームだったのでトイレが無く、禁止されても仕様がないから建物の影で用を足すから悲惨なものだった。風呂も震災から30日後に始めて入浴できた。寒い中銭湯にじっと並んで、やっと入れたと思ったら熱いお湯が少ししか入ってなくて、赤ん坊には熱くて入れない。ぬるくしようとしても洗い場の水がちょっとしか出ないから役に立たなかった。その後自衛隊がきて、ようやくお風呂にゆっくり入れた時はうれしかった。 今度震災に会ったら? とにかく今度は行列の一番に並ぶ。お父さんの面倒を見ていて・・と、笑いながら言う声は、1時間半のお話し伺いを解きほぐしてくれた。
80代男性。灘区で被災・全壊。仮設の後、11年に此処へ。ここは鉄の塊をロールにかけて板にする圧延と言う仕事を36年した。定年後まだ若いからと、その頃あったポートピアの造園の仕事をした。仮設にあった柿の木をこの建物の南のカドに植えたら大きくなって去年から実をつけた。今年も沢山青い実がついている。花桃の鉢植えもうえた。いちじくも大きくなった。年金はいっぱいいっぱいもらい、家賃が27000円介護が12000円(2ヶ月)健保が(2ヶ月)25600引かれる。奉天に軍隊でいってシベリア抑留で3年過ごす。その間パン工場で働いて丸々太ったとか、楽しそうに話しを続けられた。