お話伺いメモ 2008/12/13
80代女性、一人暮し、東灘区で被災。玄関に通じるふすまが開かなかったので、窓の鉄格子の間から辛うじて脱出。高知の実家に避難したが兄夫婦に気兼ねしてまもなく神戸に戻ったら、避難中に自宅が解体され、家財道具などを持ち出せなかった。戦中から戦後にかけて、洋裁の内職で徹夜したり、自分の食べる分がなくても子どもに食べさせたりするなど、苦労しながら5人の子どもを育て上げた。そうした経験から「自由とわがままの違いが解っていない」など、「今の家庭教育はなっていない」と厳しい意見も。内職で貯めたお金も夫の葬式代で消え、今は年金だけで暮らす。腰を痛めて外出に歩行器を使う以外は、長年病気知らずで、顔色や肌のつやなど、その年齢とは思えないほどのお元気さだが、家族でにぎやかに過ごした日々を懐かしみ、「このごろしんどい」と、自立生活の継続に不安をのぞかせる。
60代女性、夫婦2人暮し。兵庫区で被災全壊。揺れと同時に子犬を抱いて立ち上がると同時に今寝ていた場所に家具が倒れてきた。子供が2階から叫ぶ。ご主人は無事だ。左隣の家は人が埋まっている。小さな鋸を出したが適わない。右の角の家は親子3人が母親に抱かれたまま亡くなった。メモを取らずに聞いてたために、記憶は正確ではないが、1時間半のお話しは、地震2年後に脳の病気で倒れてからご主人がしゃんとなられ、今日までやってこられたこと。人の命の大切さなどのお話しでした。
お話伺いメモ 2008/12/27
70代女性、1人暮らし、中央区で被災。自宅は住めた。1時間ほどの上がりこみ。復興住宅へは入居2,3年。うつ病の薬を飲んでおり、記憶がはっきりしない。震災後、ご主人と喧嘩し、今は協議離婚。息子が暴力をふるい、生活費を持ち逃げされた。今は生保。以前は年末、貯金が少したまったが今はほとんど残らない。(神戸市では04年度から市単独の見舞金がなくなった。夏6300円、冬7600円の合計13900円。その外生保では正規の年末一時扶助1万円?ほどがある。その外老齢加算が全廃になり1万数千円が削減された。高齢者の場合そうとうな生活扶助費の削減である)どうなっているのでしょうか。教えて欲しい。腰が悪く、障害1級だ。毎日、ヘルパーに来てもらっている。これまで1日2時間だったのが1時間半に減り(介護保険の生活支援は1時間半に削減された)、買い物だけで、料理する時間がないので、いつも出来合いのものばかりだ。栄養も偏る。腰で整形病院に通院している。灘区のデイケアサービスにも行っている。ここの住宅にもデイケアがあるが器具がなく、リハビリができない。一人で不安だ。今日は話ができてうれしい(と言って若い女性の顔を触ったり、拝んだりされた)。誰とも話していない。12階に一人話ができる人がいるだけだ。35年ほど前に神戸に来た。生まれた北九州の小倉。物忘れがひどくなった。薬のヘルパーさんに1回ごとに分けて小さなビニール袋に入れてもらっている。書類もこのケース(テーブルの上においてあった)にいれて保管している。今日が何日か分からなくなるので、カレンダーに毎日斜線を引いて消している。何かあったら、連絡してもいいですか。(週ボラのチラシを再度渡し、東條さんの電話番号を赤いボールペンで囲った)帰るとき足が不自由だが、ドアの外まで見送られ、何べんも握手をし、別れを惜しまれた。
70代夫婦2人暮し,中央区で全壊。都心近くの商店街で長年家具屋を営んでいて,今もご主人が製作した,長年大切に使われてきた数多くの家具に囲まれて暮らしている。店の跡地を月極駐車場にしているが,周囲がさびれていて,空きが出ると次がなかなか決まらない。避難所での最初の夜は気が張っていて寒さを感じなかったが,次の夜は寒さで震えが止まらなかった。ポートアイランドの仮設住宅では,いろいろな人に助けられてありがたかったが,夏の暑さ,ベニヤ板のホルマリン,大きなネズミが動き回る物音などに悩まされた。4年前に脳梗塞で倒れ右半身が不自由となり,外出することがいっそう少なくなったご主人にお話し伺いをしていたところに,買い物から帰ってきた奥さんが加わり,新聞2社の取材が入りながらの,2時間半余りにわたるお話し伺いとなった。