お話伺いメモ 2009/1/10
※この日は「震災被災者とボランティアの集い」開催のため、訪問活動はお休みでした。
お話伺いメモ 2009/1/24
80代、男性、一人暮らし。震災の時は、朝早くから三宮の店に行っていた。自宅は住める状態だった。インタホーンごしに話をするとすぐにドアを開けてくれ、部屋の中に入れてくれた。歩くのが少しご不自由のようだったが、椅子を持ってきてくれ、テーブルに座りゆっくりお話ができた。この県営住宅は単身シルバー専用の住宅だ。6畳の部屋と2畳ほどの板張りの台所がある。週2回ヘルパーが来る。食事も洗濯も自分でやる。荷物がないから散らかしようがない。どこもこんなものでしょう。女房が10年ほど寝込んでいたので自分で家事をやり、介護もしていた。月に2回、医院から往診に来てくれる。心臓病の薬を一日三回のまされているが、朝しか飲んでいない。残った薬はほかしている。薬を飲みすぎるとくしゃみがして調子がよくない。一日一回でも健康だ。2、3年前女房が死んだ時、大家から出て行くように言われ、区役所の職員とも相談し、ここに応募した。この部屋しか空いていなかった。運がよかった。県営だから全県から来るので、知り合いもできないし、ほとんど部屋を出ない。近所との交流がまったくない。家にいてテレビを見るくらいだが、面白い番組が少なくなった。ここに来て部屋の中で2回転んで骨にひびが入った。そういうこともあり、できるだけであるかない様にしている。出るときは歩行器をおして歩く。一六歳の時、赤羽の工兵隊に入った。兵隊検査は甲種合格で中国の南京に行き、その後南方の(リン鉱石の島)で終戦を迎えた。引き揚げの時、船の炊事当番だったので日本についたら食料品を持ち出そうと思っていたが、神戸のドックに入ったとき船員が全部持ち出した。晩酌は毎日2合と決めている。以前は1升平気で飲んでいたが。まったく身寄りもなく、天涯孤独のみだ。(机の上には週ボラの「今週の資料」が置いてあり、はじめから話す気で部屋の中に招じ入れたようだ。)とても貴重な時間を共有した。