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第500回 お話伺いメモ 2010/2/13

70代男性、1人暮らし。東灘区で全壊。糖尿病のため週3回ポートアイランドまで通院したり、2日に1回買い物をしたり以外はあまり外出しない。行政に対してもあまり期待していない。政権が変っても私たちの者の事は考えてくれていないと思う。だから人に迷惑をかけないよう、1人で前向きに生きるしかない。

60代男性、夫婦2人暮らし。灘区で全壊。「テント村1年、仮設住宅4年」の後この復興住宅へ入居したが、旧公団から神戸市が20年契約で借り上げた部屋なので「その後の住まいが心配」、「今の住宅に住み続けたい!」と、自ら記入された支援シートをもとに、切実な訴えを伺った。

70代女性、1人暮らし。灘区で全壊。退職後移り住んで1カ月で被災。近所では火災も発生し何人か亡くなったが、同じ建物に住んでいた男子学生に助け出された。最後くらいに当たった西区の仮設住宅で4年余りを過ごしてこの復興住宅へ。長く住み込みで働き一人で生きてきたため、近所づきあいが苦手とのこと。はじめは震災のことは想い出したくないとのことだったが、話しながら表情が明るくなっていき、40分にわたるお話し伺いに。

20代女性、中央区で被災。被災後両親と加古川市の親戚宅へ身を寄せた。震災のときは9歳だったのであまり覚えていない。1月17日に男児を出産したと聞き、思わず「おめでとうございます」と言った。

60代男性、中央区で被災。下着の中に食料品が入っていたりするなど、支援物資は使えなかった。近くの私学での避難生活をしていた間、住所がなく仕事ができなかった。やっと当たって入居したポートアイランドの仮設住宅は「人間のゴミ捨て場」。まるで「貧乏人は要らない」、もとのところへ帰りたければ自力で、といわんばかり、とのこと。地震でも震災に関する資料を集めてアルバムにまとめている。

30代女性、家族3人暮らし。中央区で自宅・店舗とも全壊。仮設住宅になかなか当たらなかった上、この復興住宅へは旧公団に申し込んで、家賃の減免が全くない条件で入居。

第501回 お話伺いメモ 2010/2/27

60代女性、1人暮らし。灘区で延焼、全焼。六甲道で被災されました。「まさか、神戸に地震は来ないだろう」と思っていた矢先のことで、娘さんと共に着のみ着のまま家から脱出されたそうです。仮設住宅は都賀川の公園で、桜の風景等が美しく、意外にも楽しいことも多かったとポジティブに語ってくださいました。また、当時の様子として、人間の善と悪が共存―不足する物資を親切に提供してくれる人間がいる一方で、物資の強奪まがいのことが起きていたことなども語ってくださいました。私にとって特に意外で興味深かった話は、食事中にマスコミがその風景を取材に来たり、アマチュアの人間が無許可で写真を撮りに来ることによる『プライバシーの縮小』に困ったという話でした。現在の家は抽選の最終選考でようやく当選されたそうです。家賃は「新築ですから」高い。現在は年金も受給されていますが、家に篭りきらないようにするのも大事と、介護の資格を生かしてグループホームなどで介護の仕事をしているそうです。沢山のお孫さんにも恵まれ、1番上の孫は18歳。元気そう。震災の話題は現在なかなかしにくいと、話に来るのがありがたいと今回の訪問をとても喜んでいらっしゃいました。1年ぐらいはボランティアもしていた。震災時の水配りで足を少し痛める。楽譜をプレゼントされて喜ぶ。被災され、辛い思いをされたこともあるようでしたが、「人生長ければ苦労は誰にでもある」とそれを笑い飛ばす快活な笑顔が印象的な方でした。


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