第512回 お話伺いメモ 2010/8/14
一人暮らしの80代女性。震災の時は東灘区で大工のご主人と二人暮らし。自宅が全壊したため、大阪に住む妹の子供が迎えに来てくれたとのこと。大阪で10日ほど過ごした後、被災者の受け入れをしていた島根県の市営住宅に移り、神戸に戻るまでの4年間をそこで過ごしたそうです。島根は奥様の故郷だったそうですが、「電話をしたらすぐに来いと言ってくれ、良くしてくれましたよ」と言われていました。ご主人が地元紙に取り上げられるなど、島根県のメディアが取材にきたこともあったそうです。島根に来る際、「県外へ来たら(神戸に)帰られないかも…」と考え、覚悟していたそうです。島根は住みやすかったそうですが、50年を神戸で過ごしてきたこともあってご主人が帰りたいと言うようになり、それを聞いた知人が帰れるようにしてくれ神戸に戻ってこられたそうです。「戻ってきてから12〜3年が経つけどやっぱり神戸が一番」とのこと。現在は市が10年間借り上げている住まいに住んでおり、家賃は少しばかり安いそうですが、もうすぐその期限が来るために公団の家賃料金に切り替わるのだと話して下さいました。3年前にご主人がガンで亡くなられたそうです。私たちが心の支えにしているものはありますかと聞くと、50代の娘さんが一人いて、時々顔を見せにきてもらうのだと答えて下さいましたが、「一人はさみしいものですよ…」としみじみと語られていました。また現在不安に思うことはありますかと聞くと、「年だから老後と、今は足が心配」と呟かれていました。足が痛い時は買い物などを手伝いに来てくれる人に頼んでいるそうですが、そうでないときは一緒に買い物に行くようにしているそうです。80代にはとても見えないほどの若い印象を受けましたが、言葉の節々に長年経験してきた様々な思いが込められているようでした。胸の心情を吐露するかのようにこぼれた言葉が、今でも私の記憶の中に強く残っています。この方は「仮にまたあのときのような地震が起こってもどうしようもない」と言われていましたが、そのように考えている人も実際は多いのではないかと思いました。
90代女性。あまり震災のことは覚えていないとのこと。震災時は中央区でご主人としっかりした息子さんの3人家族で住んでいたそうですが、ご主人は病気で亡くなられたそうです。ここに来るまでに仮設で過ごしたこともあると話して下さいました。訪問している中で、この方は震災をあまり覚えていないのではなく、思い出したくないのではないか、という印象を受けました。
80歳女性。東灘区の自宅マンションにて被災。ご主人は被災時既に亡くなっていたとのことです。自宅マンションは全壊でしたが、建物自体は残っているそうです。上の階に住んでいた若い女性と共に近くの小学校へ避難されたそうですが、隣接するガスタンクからガス漏れの危険があるということで他の小学校へと移ったそうです。その後、東灘の仮設住宅にて五年間を過ごされました。華道の要職に就いていた関係で、お弟子さんの安否確認を優先し可能な限り長く仮設住宅にとどまっていたそうです。仮設住宅ではお弟子さんに安否確認の手紙を出し、その枚数は1000枚を超えました。また、生徒さんの家を訪ねて歩いて回ったりもしたそうです。その事について、まだ60代で、気が張っていたからできたことと当時の事に想いを馳せていらっしゃいました。その中で、三人の方の死亡が確認され、その事を嘆いていらっしゃいました。現在の住居には十年前に入居されました。現在の住居は交通の便や環境もよく、また市の住居費減免処置の為家賃も安くとても住みやすいとのことでした。現在は特に不安もなさそうで、お元気そうな様子でした。
80代女性。1人暮らし。東灘区で被災。揺れて無事なにごともなく。毎日が神様からの変化球。すっかりと抜け落ちてしまいました。(自筆記述)
第513回 お話伺いメモ 2010/8/28
80代女性,一人暮らし。中央区で全壊。仮設住宅で3〜4年暮らした。地震のことは思い出すのもいや。夫は10年ほど前に亡くなった。今の楽しみは近所でやっているラジオ体操に通うことで,もう10年続けている。自分の身体さえ元気なら,今心配なことはない。住宅内にある住宅にある福祉センターから時々来てくれる人がいる。地震の話題では表情が暗く見えたが、それ以外では笑顔で話をしてくれた。年より若い感じであった。
60代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。現在無職だが被災当時は建設業。ポートアイランドの仮設住宅に少し住んだ。お母さん(中央区で全壊)の介護が必要になり同居。約10年介護を続けたが今年6月に大腸ガンで亡くなった。生前,ユニセフに寄付をしたり,人に何かをするとき見返りを求めてはならないと説いていたことなどを,涙ぐみながら語ってくれた。丁度訪問時に、母の供養の品を持って玄関を入る所。「人のためになる事をしたい」と言われていた。
80代男性。中央区で被災。現在入院中で近日退院予定である旨を,同居の方が支援シートに記入してくださった。
30代男性,一人暮らし。中央区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅に一時いたが,会社が借り上げた住宅に長く住み,この復興住宅に入居して2年半。建設業に従事して,給料を多くもらっていたこともあったが,現在は無職。震災でいろんな経験をしたが、あまり震災の事を引きずって居ない。しかし外見は明るく振舞っていたが、中身はつらそうな気がしました。
70代女性,一人暮らし。東灘区で被災。親族宅や生まれ故郷近くの島など,北区の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居するまで5カ所を回った。40代で亡くしたご主人も昨年33回忌。働き続けてきた長年の無理がたたり,多くの病気を抱えていて,体重も28kgしかない。ケアハウスに入っていて,帰宅したばかりのところへの訪問となった。今まで力一杯に生活してきたので悔いはない。自分に負けずに生きたい。最後にみんなと握手をして別れる。服も料理も手作りにこだわつており、筋の通った感じのする人であった。