第518回 お話伺いメモ 2010/11/13
70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。近くの小学校へ避難。寒さはこたえたが,水や食料には不自由しなかった。中にはテント生活していた人も。大倉山近くの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。仮設住宅の方が楽しかった。仮設住宅のときの友人も亡くなり,1人だけ残った友人のところに遊びに行った。いろいろな病気をしている上,今夏は熱中症でいっそう弱った。困ったことがあると電話をすればすぐ駆けつけてくれるという優しく頼もしいお孫さんの話などで話が弾んだ。
70代女性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。六甲アイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。震災までは自営だったが震災後は働きに出た。2年前,パーキンソン病が発症,転びやすくなるなど脚が思うように動かなくなり退職,現在では転んで頭を打って何針も縫うケガをしたり,トイレに行くのも大変に。夫婦で交替でデイサービスに出かけている。訪問時も5分以上かけて手すりを伝って玄関に出て,お話し伺いに応じてくださった。
70代男性,一人暮らし。兵庫区からこの復興住宅に移り住んで3年目。ギャンブルが好きで,午前中は在宅しているが午後は外出している。今度来たときは寄ってください。訪問時お留守だったが,夕方,電話で連絡をくださった。
第519回 お話伺いメモ 2010/11/27
70代男性、長田区で被災、全焼。一番腹が立つのは焼けてすっきりしてよかったね、と言われること。避難所は行かず、仮設に当たるまで子どもの家と親戚の家を回って、6年前に入居してきた。奥様がパートで働いているが、年がいっているのであまり収入がない。どちらかが亡くなった時、家賃が高くて・・・と言われていた。家賃は10万円払っているから引っ越したいと思っているが、今さら越すことも考えたくない。
ご主人は病気療養中。とても元気そうだがよく聞いてみると、白血病の一歩手前で血小板がすごく少ないそうだ。初めのうちは大阪からいろいろな人が来たが、今はもう来なくて、近所のコミュニケーションがないのが淋しい。それと友人が次々と年に一人くらいいなくなっていることも原因だ。今さら子ども達とか若い人達とは暮らしたくない。だから、他の人にも最初から一緒に暮らせと言っている。昔は兵庫の奥で百姓をしていて、60sの俵を両手で持ったこともありますが昔のことです、と苦笑されていた。
「西のほうから東のほうに来て知り合いもいない。老人会でもあればと思います」とシートに書かれていた。
70代女性、東灘区で被災、全焼。自分のいた2階は無事で、下の一階の方は母娘が亡くなりました。近くの小学校に避難していましたが、ガスの臭いがしたので出ました。
本人は姉のすむ所まで歩いて行かれ、仮設が当たるまでいました。六甲アイランドの仮設では市から立ち退かされるまでいました。ここに来て11年になります。今はまだ借上げのことを言われませんが、9年先の事をくよくよしても仕方がないと開き直って生きています。今は70才半ばですが、神戸に来るまでは姫路にいました。一人暮らしで、主人は震災前には亡くなっていました。昔の福原がなつかしい、と遠い目をその時されました。仮設での友人が一番多くてなつかしく、何度も出逢ってますが、一人減り、二人減りして淋しい限りです、と言われた。よく笑う、とても明るい人でした。
70代男性、長田区で被災。がけ崩れで全壊。山を崩して建てた家だったので、すごい勢いで崩れましたが、ご夫婦とも元気で無事でした。市場を持っていたが全壊で仕事もなく、病院に通っている。借り上げ期限まであと10年と言われても病院に近いところに越せればいいが、赤十字と公園の近くの医者に通院しているので、もし引越しとなればこの近場がいいが、これだけはどうなるかわからない。
パーキンソン病といわれている。リースで車を使っている。小さな声ながら少しでもとお話し下さいました。奥様を呼んでくださいましたが、料理をしているとかで、お話できませんでしたが、チラッと見ましたところお元気そうで安心しました。
70代女性、灘区で全壊で長屋の枠だけが残った。近くの小学校に避難して、ポーアイの仮設に最後までいて、ここが当たった。子どもさんは2人。ご主人様はお元気ですかと言いますと「元気ですよ」と答えられた。私は膝が痛いので、今年から腰掛けのついた手押し買い物カゴを持って、買い物に行っていますとのこと。借り上げの件は、何としても最後までいたいと言われました。
70代女性。入居11年。灘区で全壊。娘さんと70才のお母さんの二人暮し。お話は娘さんから聞いた。三木の方に行きましたが、仕事に不自由を感じたのでこちらに引っ越してきて、今は母と二人暮し。兄一人、姉2人。母は元気ですが、借上げ住宅に住んでおり、これから知らないとこに引越しはしたくない。コミュニケーションが又減るから、と少し心配げに答えて下さいました。
70代男性、灘区で被災、全壊。避難所は学校に半年いました。それから仮設に3年いました。ちょうどお孫さんが生まれて、うれしさを表しながら帰ってこられた時にお会いしました。奥様は59才で亡くなられた。急死なので淋しい。死に目にも逢えなかった。苦しまなかったからこれは救いです。34才の娘さんは男の子と1週間前に生まれた女の子の母親です。犬と一緒に暮らしています。1日に1時間は歩いています、とても元気な声でした。