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第520回 お話伺いメモ 2010/12/11

60代男性,一人暮らし。中央区で被災。被災後も同じところに住んでいたが,やがて同区内の知人宅へ。そこに居続けることが困難となったため公営住宅入居を申し込み,5〜6回申し込んで,3〜4年前に,やっとこの復興住宅へ。5級の障碍者なので障碍者枠での入居とのこと。

80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。被災時はケガもなく元気だった。北区でご主人(2年前に亡くなった)・息子さんと暮らし,5年前にこの復興住宅へ入居。家賃減免を受けている。訪問時は来訪してきた友人との麻雀の真っ最中だったため,お話し伺いは短時間で切り上げた。

とくに困ったことはない。震災当時は大阪に住んでいたので被災者として入居したのではないといったことを,インターホン越しにお話し伺い。声の様子ではお元気そうな印象。

70代女性。足が悪く出てこられないとのことで,インターホン越しにお話し伺い。

訪問時お留守だったが「本日急用が出来ましたので…」と書かれたメモがドアポストに。

第521回 お話伺いメモ 2010/12/25

70代男性,1人暮らし。中央区で全壊。初めは何が起きたのかわからなかったが、テレビが飛び始め、初めて地震だと気づいた。真っ暗な中、表に飛び出すと、通りの家々の2階が、積み木崩しのように前に倒れ込んで、1階だけが残っている有様でした。その頃は丈夫でしたので人助けに走って、何時も押し入れで寝ている人を助けたり、避難所はテントを張って、近くの倒れた家から煙が出ているのを消火器で消し止めたりしました。2ヶ月してから新築のマンションに入居,7万のうち4万の家賃補助があったので助かった。
 その後、高いところから落ちたせいで、ここに入ってから、身体の故障が相次いで見つかり,大腸ガンの手術は成功したものの,腰の手術の結果はいまだに非常に痛いと訴える。そのせいで長い事座って居られない。この不自由な体で私たちを迎え入れてくれた事に深く感謝して、お礼をして家を出た。

70代女性,2人暮らし。灘区で被災。被災後1週間は近くの高校に避難したが,あと岡山県に移ったため,申し込んでもなかなか当たらず,この復興住宅に入居して8年。目と足が不自由で,毎日必死で生活している。頭がフラフラするので,おせちは百貨店のものを買うつもり。めまいがして救急車で搬送されたことも。ケースワーカー週2回が廻ってくる。最近2度自転車事故に遭ったが,それでも自転車を歩行器やショッピングカート代わりに使っている。ここは段差がなく歩きやすく,あちこちに呼び出しベルがあるので良いとおっしゃつていました。

90代女性,長田区で全壊。息子さん(60代)と2人暮らし。息子さんは今も働いている。自身も女性で賃金が安かったからと,50〜70歳まで土建屋で働いた。神戸で生まれ育ち,大阪の女学校ではスポーツが得意。百貨店に勤めたあと,神戸に戻って劇場勤務に。戦時色が強まる頃で,スターに会う楽しみはなくなり,最後にはニュース映画だけに。夫の故郷・熊本へ子どもと疎開,戦後神戸に戻り,倉庫や焼け跡に住み,間借り生活になっても炊事は台所を使えず外でした。今は目が悪くテレビも見ない。10年前膝関節を手術したが,足も悪くあまり外出しなくなった。週1回のショートケアが楽しみ。隣近所ともめったにしゃべらへんから、嬉しかったと喜んでくれた。訪問者も、ご高齢者の方とお話ができ、大震災だけでなく戦後の話もお伺い出来、大変貴重な話をして頂いた。

90代女性,1人暮らし。中央区で全壊。震災では家族全員無事だったが,戦争のときの神戸大空襲や学童疎開,避難所生活などのたいへんさも想い出される。10年前にご主人を亡くした。かつて30年にわたり神社の奉仕に出ていたが,今は足が悪く,掃除が出来ず,買い物も手押し車を押していく。週2回ヘルパーが来てくれている。子どもさんが時折弁当をもってきてくれるのがうれしい。田舎育ちで身体を使って働くのが大好きで,持病もないとのことで,年齢にあわず元気。持病が無い人は元気なのだと痛感しました。


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