10月4日訪問
- 天井が浮いたので、住宅供給公社に問い合わせ直してもらったが、電話での
応対が悪かった。妻は心臓が悪く、現在息子の所にいる。娘が10日ごとに仮設に来
てくれるが、私としては公営住宅よりも老人ホームに入りたい。一人ぼっちで誰にも
気付かれずに死ぬのはイヤだな……。今はダンスを教えたり、書道などしているが先
のことは……。(担当者のコメント:先週、週末ボランティアが来ることを知ってい
たが、外出しなければならず残念に思っていたので「今日来てくれてとてもうれしい
」と喜んで下さった。(87才男性、一人暮らし、担当:清重(智)、米田、向井)
- 現在妻子と別居中。4月に胃ガンの手術(胃を全摘出)。今はリハビリ中の
為、仕事が出来ない。以前は重機関係のとび職をしていた。会社の保険は6月で切れ
てしまい、医療費に不安を感じる。7月までは貯えで何とかなったが「これからは病
院にも行きにくい」。収入がない為、水道などの光熱費が滞納になっている。ポスト
の中に督促状が数枚入っている。水道代については「10月6日迄に払って下さい。
未納の場合、水道を止める」との内容であった。(担当者のコメント:すぐに被災者
連絡会に電話し、10月6日午後訪問してもらうよう手配した。生活保護を受けるこ
とが出来ればだいぶ楽になると思うが。)(46才男性、一人暮らし、担当:赤西、
内海、脇山)
- 少し前迄、神経科に通院していた。障害2級。今回の住宅募集のことを考え
るとノイローゼになる。私はここでもう満足しているのに不便な所(三田や北区等)
に行かされるなら自殺しますわ。「住宅申し込み案内」を見る度にイライラする。(
63才女性、一人暮らし、担当:赤西、内海、脇山)
- 今回の住宅申し込みの件だが、どこに申し込んでいいのかわからない(話が
複雑になっているので)。第3希望まで書いても「無効になるよ」とヘルパーさんに
言われた。当たる気がしない。ここは環境もいいから、別に引っ越ししなくてもいい
。私は喘息持ちだから、空気の良い所がいい。年寄り優先やとか言いながら、嘘ばっ
かりや。住宅当選の基準はどうなっているのか?。かえって一人暮らしはなかなか入
れてくれない。
- ある部屋をお母さんが使っていたようだが、今は娘さんや息子さんが使って
いるようだ。居るようだが、ずっとは住んでいないみたい。電気は切られているが、
鍵は開けたまま使っているので、ご近所の方々も気にされている。せめて鍵だけでも
かけるようにしてもらいたいとの事。(近所の人、担当:脇山、内海、赤西)
- 3日前、気が付くと☆印のマークが家に付いていた。訪ねて来た西区の職員
に聞いたところ、若い一人暮らしの人に付けているとの事。そして「今度市営住宅に
当たらなかったら、自分で努力して下さい」と言われた。私が若いからといって、被
災者としての扱いをしてくれない。好きで家を失った訳ではないのに……。余裕があ
ればとっくにマンションかどっかに行っている。(45才女性、一人暮らし、担当:
赤西、脇山、内海)
- 灘区に土地があったが、神戸市から公園にしたいので提供して欲しいとの申
し出があり、東灘の市営住宅に入ることにした。離婚して、子供は夫側にいる。その
為か、周りの人は自分のことを良く言わない。また、ここに居てもしっくりいかず、
とにかく早く落ち着きたい。(64才女性、一人暮らし、担当:祝、青木、小林(好
))
- 1年8ヶ月入院。心臓と肝臓が悪く、2週間前に退院したばかりとの事。「
ケアライン119」と「ベルボックス」の資料を渡した。長期入院の為、近所に知り
合いもなく、ケアラインなどの安否確認先になってもらう人がいないので、申し込み
は難しいと言われた。警報ブザーを用意して非常の時は押して下さいとお願いしまし
た。今は身の回りのことを自分でしているが、ちょっと動いたらしんどくなるので、
その都度休むようにして生活されているとの事。(65才女性、一人暮らし、担当:
祝、青木、小林(好))
- 9月30日に奥さん退院→退院後が気になるので訪問。奥さんは人工透析の
為2ヶ月ほど入院されていた。退院しても1日4回の腹膜透析が必要で、ご主人が面
倒を見ている。退院後も身体の調子は優れず具合が悪いとの事。手足がむくんで「痛
い」と。家事は以前からご主人が担当している。1日4回の透析の合間を縫って買い
物に行かれたりと、とても忙しい毎日を送っているとの事。看病の為にご主人は腰を
痛めてしまったが、奥さんを心から支えているという印象を受けた。ご主人の奥様へ
の温かいまなざしは本当に愛されているというのが伝わってくるほど。奥様もご主人
に心から元気づけられているという感じがしました。奥様は体の具合は相当悪いが、
顔には笑顔がこぼれていて、心の支えっていうのは生きていく上で本当に大切なもの
であるなと感じました。息子さんが1人おり、2週間に一度の通院の時、車椅子を押
しに来てくれる。息子さんは昔から1人で暮らしていた為、3人で暮らすのは不可能
の様子。シルバーハイツに申し込む予定だが、ご主人が年配である為、いつ体の具合
が悪くなるかと不安を持っている。ホームヘルパーのお話をしたが、2人で出来る限
り力を合わせて頑張るとの事でした。(74才、2人暮らし、担当:盛本、藤原、十
河)
- 引っ越しをしたいが心臓病で無理が利かない→荷造りの手伝いで訪問。7月
21日心筋梗塞で倒れ、25日間入院。その後ニトログリセリンを服用して小康状態
だったが、ちょっと無理をして動いたら9月16日に再発。西神医療センターに5日
間入院したが「もうこれ以上治療のしようがない」と言われ退院。入院費用は30日
間で45万円。「何ぼ金があっても足らん」と言っておられた。医療費は社会保険(
発病までタクシー会社勤務、現在休職中)なので2割負担だが、会社を辞めると国保
で3割負担になるので、辞めるに辞められない。休業補償は月117,000円。3
日前ダイエーへ買い物に行ったが、帰りに手がしびれ仮設の人に持ってもらった。「
半人前の体や。歩くのも恐い。そーっと歩かないと」と言っておられた。目も悪くな
ってきて、視点が定まらない。寝られないので睡眠薬を服用しているが効かず、平均
睡眠時間は3時間。奥さんは市営住宅に戻ったが、骨粗鬆症でほとんど寝たきり。週
2回ヘルパーさんが来るが、それ以外はたぶん姪が面倒見ているのでは……。妻が携
帯電話を持っているので、時々連絡を取り合っている。心筋梗塞になるまで病気らし
い病気をしたことがなかったのに。市営住宅への移転が決まり、勤務が終わってから
仮設から市営住宅へ夜中荷物を運んでいた。「その時の無理がたたったのかも」と。
発病後10キロやせた。「後1年生きられるかなぁ。持たんやろな」と悲観的な見方
をされていた。「病気とだましだましやっていけば……」と助言はしたが……。何と
か1日でも長く生きて欲しいと思った。(62才男性、一人暮らし、担当:亀井、矢
萩、井手上)
- ラジオ付懐中電灯の修理を依頼された。そして簡単に修理が出来た。「市営
住宅では猫を飼えないので悩んでいる」「とりあえずは空家を申し込むつもり。身寄
りが近くにいないので、引っ越しの時出来れば手伝って欲しい」と言っておられた。
(担当者のコメント:身内の方が近くにおられないようなので、少し寂しそうでした
。じっくり自分の話を聴いてくれる相手がとても必要なのかなと思います。)(70
代女性、一人暮らし、担当:木村(俊)、奥田、岩崎)
- 復興住宅申し込みについて:「申し込み案内書」の内容がわかりにくい!と
いう声がしきりにある。作成する側にも事情や言い分はあるだろうが、現在仮設在住
の6割強が高齢者であり、また在日の外国人も少なくない。@字が細かい。しかもび
っしり書かれていて見づらいA振り仮名がないB図解がほとんどないC説明が事務的
D見たい内容が見つけにくいetc−などで悪戦苦闘しながら読んでおられる方が多い
ようです。Q&Aのような形式で高齢者にもわかりやすい冊子などがあればと思う。
我々もただ詰め込んだ知識を並べて話すのではなく、難解な言葉や役所言葉を使わず
に説明したいものだ。それにしても、今回の募集が“最後の募集”と信じ「これで外
れたら……」と言われる方が目立った。(担当:赤西)
→私達は市の職員ではな
く、ましてや毎週来れる人がいるとは限りません。完璧な返答を用意していこうとい
うのは、無理があると思います。私達の知っている範囲でしか答えられないという気
持ちで訪問した方が良いと思います。(担当:若菜)
10月11日訪問
- 震災時、奥さんは八幡(神社)さんに体操に行っていた。皆でおしゃべりをしていた時、揺れが来て立っていられなかった。崩れた建物を見て、とっさに「主人はもうダメじゃないのかと思った」と。震災前、奥さんはゲートボール・民謡・婦人会などあちこち動き回っていたが、仮設に来てからはふれあいセンターにも余り行かないとの事。もっと気軽にゲートボールなどに出掛けられるような場所や仲間があればと思う。(81才、2人暮らし、担当:福濱、盛本、亀井)
- 震災で夫を亡くし、その後長男も進行性の癌で亡くなった。息子は脳性小児麻痺。本人は高血圧。息子の介助に苦労しているとの事。「でも私はその息子の為に、息子がいるから生きているんです。私が死んだら、誰が息子の世話をするんでしょうか」と言っておられた。「一体、どういう基準で仮設内での住む場所や転居順を決めているのでしょう」「障害者・高齢者などのハンディを背負ったものを優先的に便利なようにして欲しい」。(担当者のコメント:震災で夫を亡くしたときの状況、進行性の癌で亡くなられた長男のことを話し終えた時、彼女の目に涙が浮かんでいたことに気付きました。)(78才、2人暮らし、担当:南口、西川、丸笹)
- 1匹の犬と2匹のうさぎが居る。息子が飼っていたものだが、市営住宅が当たった為、自分が世話をしている。もし自分も当たれば、ペットと別れねばならない。西神の仮設に来て2年間のうちに、三度狭心症で倒れたが、それ以外は健康。55才の定年まで働き、72才まで警備員の仕事をやっていた。家でじっとしているだけだと生活・体のリズムが保てなくなる。「やっぱり働いている方がいい」。近所で良い職場が見つかればいいのだが、西神の方ではあまりなさそう。やっぱり三宮あたり。縁側でほのぼのとした訪問になった。(75才男性、一人暮らし、担当:福濱、盛本、亀井)
- ベーチェット病(特定疾患=難病)―15年前から。最終的には失明する可能性が50%。また心臓が悪く、足のむくみがある。母(82才)は、脳梗塞による言語障害及び白内障であるが、年の割には健康です。母の病気に対する医療費と自分が難病ということもあって退職後の生活が気掛かりです。(56才、2人暮らし、担当:南口、西川、丸笹)
- 寝たきりの主人に2週間に1回、看護婦が来てくれる。私は眼科・歯科・循環器科・泌尿器科に通院。9月から医療費が一気に上がって、8月までの約3倍のお金が掛かっています。大変です。(74才、2人暮らし、担当:南口、西川、丸笹)
- 灘の方に住宅を申し込むつもり(祖母の病院の近く)。腰椎ヘルニアがあり、薬を飲んで痛みをやわらげている。32才だが定職が決まらない。ラーメン屋で寸胴鍋を持ち上げてヘルニアになった。労災の証明をもらうため医者に行ったが、書類不足だというので再申請しなかった(労災にならず)。気さくな感じでよく話す人だが、言いたい事をその場でズバッと言ってしまうとの事。職場でも上司に直言したりして長続きしないようだ。自分の性格や状況は把握されているようだが、特に就きたい仕事もなく、将来の見通しもないようだ。頭の回転の速そうな人なので、何か仕事なり目標が見つかればと思う。運転免許がなく、年齢も30才過ぎているので仕事の選択の幅が狭くなってしまうようだ。(32才男性、一人暮らし、担当:瀬戸、矢萩、尾崎)
- 震災後、長女と末娘夫婦の家に4ヶ月ほど世話になった。ご飯代くらいはと思い払った。やはり気を遣うことが多く居づらかった。長女と一緒に住んでいるが、娘は10月からやっと職に就き、安心した。しかし、仕事の場所・内容について全く教えてくれないとの事。子供の頃から口数が少なく、自分で抱え込んで悩んでしまうタイプのようで、仕事も嫌になるとすぐ辞めてしまう。それが心配。だが、朝・夕の食事はしっかり作ってくれるので感謝している。(79才、2人暮らし、担当:瀬戸、矢萩、尾崎)
- ガスが止められ、電気も止まっている。あまりボランティアと話したくない感じを受けた(正直、少し気持ち悪かった)。ご近所で聞くと、戸や壁を叩いたり、大声で意味不明の話を夜中や昼にわめき散らすので、眠れなくて迷惑しているとの事。また家の中にゴミをためているようで、悪臭がし、ネズミが出て困っているとの事。(?才男性、一人暮らし、担当:小野、脇山)
- 心臓が悪く、肝臓も悪い(4年前から)。炊事場でこけて、胸の骨が2本折れて3ヶ月程入院していた。近所の話によると、アルコール中毒で他にも2名同じ人がいて、3人でケンカしていたとの事。回りに迷惑をかけたり、警察沙汰になったりと大変だったようです。(?才、一人暮らし、担当:小野、脇山)
- 震災前は、住宅の環境が悪く、よく病気をしていたが、仮設に来てから環境が良いのでとても元気になった。娘がよく来てくれて、何でもしてくれるので、とても助かっている。また、1年くらい前に一度倒れてから、近所の人がいろいろと面倒をみてくれるのでとても良かった。(86才女性、一人暮らし、担当:武内、道行、浦口)
- 換気扇の修理を頼まれた。補修完了。(?才、?人暮らし、担当:小山、井手上)
- 息子と二人暮らし。動脈瘤で2週間に1回、病院より往診あり。ヘルパーさんが週2回来て、掃除・買物などしてくれる。食事はおかゆのみ。堅いものは食べられず、耳も遠い。息子は腰を痛めている。早く家に当たりたい。入院していたが、病院で死にたくないので、ここに帰ってきた。息子のことが心配。二人ではいずり回って生きているのは、私達ぐらいではないでしょうか。地震がなければ、こんな事にならないのに。家具は連絡なしに家を壊され、持ち出せなかった。娘が3人いるので時々来てくれる。肩で息をされていて、しんどそうであった。「今度来られる時まで、目をあけていられるように祈ります」と言っておられた。希望住宅の順番を間違えたので、変更できるのだろうか。(93才、2人暮らし、担当:浦口、道行、武内)
- 復興住宅へ11月頃転居予定。今まで、子供の通学費で電車賃(1日4,000円)がかさみ、「ただほど高いものはない」と痛感した。不満をあげるときりがないが、空港を作ることが一番不満。投票に行くことが楽しみになる選挙にして欲しい。(?才、4人暮らし、担当:祝、谷川)
- 年金35,000円/月、外国籍。ここは家賃がただだが、市営は料金掛かるので心配。(74才女性、一人暮らし、担当:祝、谷川)
- 震災時は大変だった。思い出も何も地震でつぶれ、頑張りようがなかった。夢を持つ暇もなかった。家を再建するメドがつき、少し心に余裕が出て来た気がする。がんばらなしゃーない。後は子供(3才)のことが心配である。子供が泣くと回りに迷惑がかかると思い、泣かさないようにしていたら、喋らないようになってしまった。(40才、3人暮らし、担当:祝、谷川)
- 国会議員や市会議員は、自分の利益のことしか考えてない。年俸の1%か2%でも寄付したら、そのお金でかなり被災者支援が出来るのに、誰もそれをしようとしない。競馬や競艇などの売上の2%ほどを国が取っているそうだが、それを被災者に回せばかなり助かるのに……。福祉を受けている為、言いたい事も言えない。(?才、?人暮らし、担当:比嘉、藤原、青木)
- 住宅のことが心配です。今度住宅に当たらなければ、どうしようと思うと毎日が不安です。本当に何とかして欲しいと思います。空港よりも住宅を。(68才、2人暮らし、自筆)
- 年金は一銭も上がらないのに、消費税は5%も上がり物価は高く、生活は苦しい。個人補償をお願いします。空港を作るより、被災者を助ける方が先だと思います。いつまでも仮設にいたら体が悪くなります。冬は寒く、腰も足も悪くなり、早く住宅に変わりたく思います。いつも落選ばっかり。老人は優先だと聞いていましたが……。仮設で死にたくありません。(81才、一人暮らし、自筆)
- これといった身寄りの方もおられず、現在生活保護を受けておられるとの事。ギャンブルが好きだが「地震の時に死んだ方が良かった」「まじめにしたら良かった」等とも言っておられた。腸が悪いという事だが、お腹はパンパンに腫れていた。入院するよう勧めたのだが(回りにも言ってるようで)、病院で死にたくないと。病院にいたらタバコも酒も……自由がなくなる。痛かったり・苦しかったりするが、自由のない病院で死ぬのはイヤだと。医者ははっきり言わないが、自分で先がないと自覚している。「死ぬまでに公営住宅に入れたらいいな」という気持ちで応募すると言っておられた。それ以上、何も言えませんでした。小さな頃から働いて、働いて……だったので満足に学校にも行けなかったとの事。ただでさえ字が小さく、わかりにくい住宅の申込用紙であるが……書けなかったようである。お手伝いして、後は印鑑を押せば投函できるようにしました。ただ当たったとき、また書類に書き込みがあるので大丈夫かな?と心配してしまいます。(64才男性、一人暮らし、担当:長船、里村、橋本、若菜)
- 今度入る市営住宅は、家賃が4万ちょっと。私の年金では払っていけない。極端に言えば、家賃を払って私が食べないでいたら丁度です。家賃減免制度について詳しく知りたい。(68才、一人暮らし?、担当:赤松(由)、石川)
- 今年2月、出勤する為歩いて行いたところ、足を付け根から骨折してしまった。労災を使っています。1回目の手術は失敗でくっつかず、2回目の手術がようやく成功。現在松葉杖です。本当なら今頃は治っているのに長引いています。この年でリウマチ、骨粗鬆症と年寄りがかかる病気になってしまい、将来働けるかどうか心配で、そのことを考えると不安で一杯です。同居の方には、避難所にいたとき、それ以前と大変お世話になっているそうです。(35才、2人暮らし、担当:赤松(由)、石川)
- 市長が直接自治会のふれあいセンターに来て、自治会の役員の方と話をして欲しい。アルコール中毒の人と実際に会って現実を見て欲しい。1ヶ月でも一緒に暮らせばわかるはず。生活保護の制度を勧めると、かえってその人の自立の芽を摘んでしまう場合もある。自分が難民で保護を受けるのが当たり前みたいになってしまっている。生活保護を受けるべき人が、頑張って無理して仕事しているのに矛盾を感じる。仮設に残っている老人のことが気になり、今まで住宅に申し込まなかったが、今回ようやく申し込んだ。(68才、2人暮らし、担当:赤松(由)、石川)
- 地震の為、日課であったジョギングが出来なくなり、体力が衰えている。病院に行こうにも、医療費が高く行けない。生活費は年金だけ。一度は水道代も払えず市に止められたが、同じように止められ孤独死した人が報道されてから、水道は通じた。(67才女性、一人暮らし、担当:久保山)
- 最近食欲がなく、何をするのも億劫である。トイレを我慢することが出来ずに、漏らしてしまうこともよくある。今まで二度公営住宅に応募したが、神戸市内は当たらなかった。同じ町内に住んでいた人が孤独死で亡くなり、つぎは自分の番だと毎日寝るのが怖い。市役所にも直談判に行ったことがあるが、門前払いされた。持病の気管支炎が再発しそうであるが、医療費が高いため、医者に掛かることが出来ない。(75才女性、一人暮らし、担当:久保山)
10月18日訪問
- 再訪問・・・当たった公営住宅の家賃が年金で払えそうもない。減免制度について知りたい。すでに家賃と敷金を払い込んでいるが、家賃減免制度が適用されているかどうか分からない。当選や入居手続きの際に何も知らされなかったと言われていた。申込書を見ながら計算してみたが、減免制度を受けていれば、今よりかなり安い金額になる。どうも通常の家賃のようであった。市住宅局の電話番号を教え、「すでにお金を払い込んでいるが、今からでも減免制度の申し込みが出来るか」と問い合わせるように勧めた。(担当者のコメント:住宅申し込み説明書には、公営に当たったら、対象になる方は申し込んで下さいとあったが、目立つところに書かれておらず、この制度を利用していない人もいるのではと思います。)(69才女性、一人暮らし、担当:川口、矢萩)
- 再訪問・・・申し込みの際、希望住宅の順番を間違えた。変更できるか。変更の仕方の説明に行くと、住宅の申し込みを民生委員の人に手伝って書いてもらったが、自分の希望と少し違った内容の申し込みとなった。第一希望が、来年10月に入居予定という所なので、当選してしまうと、その間に回りの人がどんどん減ってしまって寂しい。「早く出たい」ので変更したいと言われていた。また、目が悪く、文字が書きにくいというので、お手伝いして変更希望の届け出を作成、投函できるようにしてきた。(担当者のコメント:お母さんは心臓が悪く、息子さんも杖を使わないと歩けない。こういう事情なので、仕事も出来ず、生活保護で暮らしているとの事。ヘルパーが入っているが、住宅が当たってからでも、この先心配だなと思った。)(93才、2人暮らし、担当:内海(貴)、盛本、矢野)
- 再訪問・・・年金35,000円との事。家賃減免と生活保護について。日本に昭和19年徴用された主人の後を追い、来た。主人は山口県の炭鉱で2年働いたが、体の具合が悪くなり、終戦と共に退職。昭和52年に肝硬変で亡くなった。地震の時は、2階建ての持ち家(借地)に住んでいたが、「もう、広い家はいらん」と。韓国へは3回帰ったが、もう帰国するつもりはない。「日本で骨を埋めたい」と言われていた。気さくでよく話される明るい方でした。在日ということで、色々な苦労があったことと思いますが、そういうことは表に出さず明るく振る舞っておられました。公営住宅に当選したら、家賃減免制度があるので、必ず申し込むよう勧め、生活保護の書類を渡しました。日本語の読み書きが不自由なので、減免申し込みも孫と相談するとの事でした。(74才女性、一人暮らし、担当:川口、矢萩)
- 再訪問・・・子供が泣くと回りに迷惑を掛けると思い、泣かさないようにしていたら、喋らなくなった。そっとノックしたつもりだったのですが、お母さんから「子供が寝つかない」と怒られてしまいました。ものすごく神経質になっていて、ノイローゼかもしれません。3才だという子供は確かに話すことはせず、2才くらいの感じです。おむつは取れていないし、本当は外で遊びたいのだと思いますが、昼寝しないこと、外に出ることに対して、体を叩かれて怒られていました。喋らないことに加え、表情がなくなっています。このままではかわいそうです。女の子もお母さんも。書類は(子供への不安・疑問などの電話相談が載っている公報のコピー)渡せなかったので、手紙を付けポストに入れました。(40才、3人暮らし、担当:白岩、南口、木原)
- 弟と2人暮らし。その弟はアル中。兄弟は他に3人いるが、誰も面倒を見ようとしてくれない。震災以来、一緒に暮らしているが、もういや。公営住宅に当たっても、もう一緒に暮らしたくない。震災時、弟は明石の姉の家にいたので、罹災証明書がない。だから弟1人で申し込むことが出来ず、かといってこのままの状態で放り出すことも出来ない。頭がおかしくなりそうだ。→長船・若菜フォロー@公営住宅を一般募集で申し込み、現状収入がないので生活保護申請する。A身内の同意があれば、専門病院へ入院できる。(65才、2人暮らし、担当:寺野)
- 韓国→下関→神戸と27年前に来た。身内はほとんど韓国にいる。糖尿病、高血圧で通院中。住宅の申し込みは今日済ませたが、日本語が十分読めない。(76才、?人暮らし、担当:寺野、藤原、原、亀井)
- 仕事をクビになったときの不安。仮設の住人が少なくなっている。公営住宅になかなか当たらない。通勤にかかる時間など言いたいことがある。税金ばかりふんだくって、こんなに家が当たらないのなら、税金払うのがバカバカしい!!(61才、2人暮らし、本人自筆)
- 家はまだ当たってないけど、当たったらラッキー。外れたら残念としか思わない。外れたとき、がっくり落ち込むと体を悪くするから。(?才、2人暮らし、担当:石川、加藤(純)、森田)
- 震災時、母・本人・娘・妹と暮らしていたので、罹災証明書は1通しかない。移住時、母・妹は加古川の民間アパートへ、本人・娘はこの仮設に来た。通勤が少し遠くなったが、ポートアイランドの職場まで通っている。パートタイムで時給800円。生活サイクルの違いから、2世帯に分離。だが母は神戸生まれなので、慣れないところでの生活は精神的につらいと。市内に戻りたがっている。役所に世帯別で申し込みたい旨、相談するが担当者によって答えが違う。また5時までの役所ではパートに出ている人間としては、じっくり話すことが出来ないと困っておられた。(27才、2人暮らし、担当:長船、赤松(由)、保坂)
- 再訪問・・・高齢者の一人暮らし。福祉の人が「公営住宅の見学に行くなら、平日行った方がいいですよ(トラックなどの通行状況がわかる為)」とアドバイスしてくれたとの事。交通の便などよく研究されているようだ。(87才、一人暮らし、担当:長崎、脇山、青木)
- 再訪問・・・ストレスで肝臓を悪くし、食欲なくやせ、フラフラで歩けず。主人はストレスがたまっている。住宅が当たらない為。家は全壊。隣家が倒壊し、その巻き添えに。築10年。「一生そこでいけるやろう」と思っていたのに……。もう再建できないから更地。市の人曰く「ここは立ち退きしなくていいから最後まで残る。だから当たりにくい」そうだ。しかし、これでは「主人が持たない」。抽選だから仕方ないとはいえ……。主人が弱っていくことを思うと……。震災前までは元気だったのに、震災時の水汲みで腰を痛めてからだ。家の軋みや隙間が2年経つとひどくなってきた。これから先、台風の時が不安。(68才、2人暮らし、担当:長船、赤松(由)、保坂)
- 再訪問・・・障害認定2級。住宅募集のことを考えるとノイローゼになる。最後に当選したら、不便なところしか残ってなかったなんて、どうしようと思う。こればっかり考える。とにかく毎日のことだから、買い物が便利なところに移りたい。(63才女性、一人暮らし、担当:加藤(純)、石川、森田)
- 再訪問・・・胃ガン手術で全摘出。リハビリ中のため、仕事も出来ず。社会保険も切れ、光熱費も滞納。水道も止めると言われている。アル中が進行している。昼夜逆転。身内、近隣とも接触はほとんどない。扉・窓・カーテン閉めたまま、呼べど応答なし。隣人に聞くと、1)保健所、自治会、民生委員など色々な人が接触中。2)アル中で入退院を繰り返している。3)お金があればお酒を飲んで暴れるとの事。(担当者のコメント:結果として、保健所などが入っているので連携した方がよい。専門家の力が必要と思う。)(46才男性、一人暮らし、担当:大滝、藤沢)
10月25日訪問
- ここは色々なボランティアが訪問に来る(大半は安否確認)。ぜいたく言えばキリがない。タダで住まわせてもらっているので。しかしこうも空き家が増えてくると取り残されている感じがする。(85才、2人暮らし、担当:赤西、藤原(正)、小田)
- 仮設への移転のため、退職した。今は自分達が食べて行くだけの年金で生活している。遊びに行ったり娯楽に手を出すとやっていけない。働きたいけど60歳以上ではなかなか見つからない。職安にも行くが、ユニック(トラックとクレーンが一体となった特殊車両)の運転の仕事はどれを見ても60才までだ。支援金は5万円を2回貰っただけ。100万でもまとまって貰えば家でも借りてるけど、10万だけでは……。(65才、3人暮らし、担当:藤原(也)、長船、盛本)
- 糖尿病。血糖値が300以上あり、常にアメを所持しているとの事。仮設住宅では、友達がたくさん出来たが、今後住宅を移転すれば、また人の関係を一から作らなければならず、寂しい。(68才女性、一人暮らし、担当:西畑(稔)、坂本(佳))
- こっちの方が仕事場に近くて良いと思うが、兄弟やらがたくさん灘にいるのでぜひ帰りたい。その方が安心。(54才、2人暮らし、担当:加藤(純)、丸笹)
- 仮設では回りがどんな人かよくわからないので、挨拶程度の付き合いしか出来ない。ふれあいセンターには余り行かない。長田には心を許して話が出来る友人がいるので、どうしてもそちらの方へ行ってしまう。娘は全身のリンパ腺が腫れている。CT、レントゲンを撮ったり、入院したり「いつ、どんななるかわからん」状態。爆弾を抱えて生活しているようなもの。でも会社勤めは続けている。(担当者のコメント:お母さんは80才にしてはとても若く感じるが、娘さんがそんな状態なので、自分がしっかりせねばという気力を感じた。)(80才、2人暮らし、担当:武内、亀井)
- 私(母親)は、糖尿病、ぜんそく、アレルギーがあり、心臓が悪くなると顔がむくんでくる。息子は精神障害があるので「しあわせの村」の施設に通っている。元住んでいたアパートが建築中で、年内には入れるかもしれない。(担当者のコメント:病院帰りで少しお疲れのようだった。息子さんが自立出来ないので、自分がしっかりせねばという感じが受け取れた。)(64才、2人暮らし、担当:武内、亀井)
- 前は運送会社の社長をしていた。今は年齢の関係で、働くところがない。現在は生活費がなく、空しい。しかし皆さんも同じような生活をされているので、何とかやっていきたい。子供もいるが、今はなかなか顔を出さない。公的支援があれば立ち直るかもしれない。(66才男性、一人暮らし、担当:小波本、井手上)
- 三宮に夜働きに行っている(年金5万円ぐらい←2ヶ月間)。近所付き合いはほとんどない。中央区の土地は娘さんに任せ、公営住宅を申し込んでいる。仮設住宅に一人でいると気が滅入る。働きに行ってる方が気が晴れる。中央区に出来れば戻りたい。公営住宅に移ったとしても、引っ越しのお金がない。(担当者のコメント:最初は戸口を少しだけ開けて話をされていたのですが、「中に入っていいですか」と声をかけると、「どうぞ中に入って」と色々お話を聞くことが出来ました。やはり一人暮らしは寂しい感じで、お部屋の中ではとてもリラックスされ、お話しされていましたが、お金の問題は切実だと思いました。)(69才女性、一人暮らし、担当:清重(智)、南口)
- 「みんな良くしてくれるけど、夜になるとガタン、ガタンと音がして寝られない。すぐ起きてしまう。昼はみんないるからいいけど、夜が怖いねん。明日選挙だけど、すぐに帰れると思ってたから、住民票移さなかった……。1人で住んでいて、どうしたらよいか迷うわ……。落ち着けへんもん。何も出来ないし……」とずーっとつぶやかれていた。この辺をとても怖がっているようです。(64才女性、一人暮らし、担当:加藤(純)、丸笹)
- 仮設にいると気が落ち着かない。いじめがあったりして、人間関係が嫌だ。早く住宅に当たって仮設を出たい。震災時、右の踵の骨が2本折れて、5ヶ月入院した。今も通院しているが、右足をかばっているうちに、左膝が悪くなった。今は、区役所からの補助を受けて生活している。神戸空港は必要ない。空港作るお金があったら、被災者の復興のことを考えて欲しい。国内で困っている人がいるのに、海外にばかり寄付するのはおかしい。国内で困っている人のことを第一に考えて欲しい。(61才、一人暮らし、担当:西畑(律)、青木)
- 息子(学生さんと思われる)と2人暮らし。地震前から主人の両親と文化住宅の2階と1階に住んでいた。だから公営も同じ所か近いところに住みたいが、両親は共に70才以上の世帯で、自分達は40代、20代の世帯。待遇が異なる為、望みは叶えられないだろう。地震の少し前から、それまでの貯えを少しずつ削って生計を立てており、働き手はいないとの事。(担当者のコメント:「今のところ、何とかなってます」と言われていたが、漠然とした不安を感じた。)(40代、2人暮らし、担当:佐々木、矢野、寺野)
- 今は住宅さえ当たれば……という思い。ここは他の仮設と比べると部屋も別々だし、作りもしっかりしている。これ以上ぜいたくな事は言えない。孫が大阪市大なので、阪和線で堺の方まで通っている。私1人ならどこでも良いが、孫の交通の便を考えると三宮あたりで暮らしたいと思う。(担当者のコメント:とっても遠いところまで通ってますよね……。私なら休みがちになります)(60代、2人暮らし、担当:加藤(純)、丸笹)
- 市の高齢者融資で返済は大変ですけれど、元の場所に家の再建を頑張ってみます。返さなくても良い公的支援を心から待ってます。西神南の公営住宅を見せて貰ったが、窓の網戸と鉄柵は自費でするようです。洗面台はお湯が出ず、水だけとの事でした。せっかく21世紀に向かって建てたというのに、もう少し行政の暖かさが欲しいと思いました。ここの仮設でさえ、お湯が出ますのに。西神中央駅の近くは、駅や病院、商店も近く、住むのに便利です。ここら辺りに、市営住宅が建って欲しいと思います。(本人自筆)(担当者のコメント:自宅再建は来年末との事。それまでに近所の方が全て引っ越され、新しく入居する人がいないのではと心配されていた。また高齢者融資は10年間無利子というものの、10年後に完済しなければ、土地・建物を担保として取られるとの事で、かなりリスクも大きいなと感じました。)(73才、2人暮らし、担当:寺野、矢野、佐々木)