11月1日
- 母子2人暮らし。ここでの生活は職場が近くなり、気に入っているが、母は職場が遠くなり、長田に帰りたがっている。しかし、住宅申し込みは母が折れてくれたので西神南に申し込んだ。この棟は自分たちしか住んでいないので恐い。特に夜は静かすぎることがある。(58歳、2人暮らし、担当:石川、亀井、渡辺)
- 去年、子供が産まれたが、障害を持っている。子供の訓練にのじぎくと湊川の学園に通っている。鳴き声や訓練の時に出す声も大きくなっているので仮設では気をつかう。市営住宅にはいることができれば、周りに迷惑をかけることも少なくなるだろうと思う。(?歳、3人暮らし、担当:藤原、井手上、羽田)
- 県営住宅が当たり、3月に転居予定。市営住宅よりも当たるだろうと思い、応募した。だが、共同生活をしたことがないので不安を感じている。長田の土地は資金面でのやりくりが着かずあきらめた。住んでなくても税金だけは取られるし、多少無理すれば建てられるだろうが、この年であまり大変になるのも・・・とあきらめた。地震後、一年ぐらい子供のところにいたが、そこで主人がノイローゼのようになってしまい、食事がとれなくなったので仮設に来た。ここの生活は一歩出ると見えすぎる感じで見張られているようだ。(76歳、2人暮らし、担当:藤原、井手上、羽田)
- 今、一番辛いこと、困っていることは家が当たらない。3回外れている。今回はどうなるのか?先月、定年退職した。地震で一年間長く置いてもらったが・・・。一日中、何もせず、家にいるのは持て余すし、収入の面からも何か仕事をしたいと思う。掃除でも何でも・・・。糖尿病だが内服薬でコントロール中。しかし、甘いものが好きなので、つい食べ過ぎてしまう。ふれあいセンターでラジオ体操など、いろいろされているが初めから行っていないので行きにくい。(61歳、一人暮らし、担当:藤原、井手上、羽田)
- 市はもっと住宅について考えてもらいたい。たとえば民間住宅でも買い上げて住宅を多く建設して、1日でも早く仮設の住民が出られるようにしてほしい。震災で死ぬ思いをした。やっとの事で命は助かったが、ストレスのため頭部がはげてしまった。以前にはなかったことである。(?歳、2人暮らし、担当:小波本、森田、赤松)
- ここは住み心地がよい。買い物は便利だし、公園もある。花を植えたり、散歩したり、毎日暇だが楽しい。隣は空き家だし、いくら音を出してもいい。病気、怪我はしたこともない。ただ年金が少ないだけ。仮設がこんな良いところだとは思わなかった。しかし、ずっといるわけにはいかない。(77歳、2人暮らし、担当:林、盛本、谷口)
- 住宅募集は第二第三希望を書かせているだけ。行政のやり方は汚い。住宅倍率情報のFAX引き出し方が仮設住民全員に伝わっていないのはおかしい。大きい仮設はニュースになったりして注目を浴び、救援物資などが届いているようだが、小さい仮設では全くない。隣が空いたとき、鍵を貸してくれるよう頼んだが貸してくれなかった。市は柔軟性がなく、全く融通がきかん。腹が立つ。最近は、もう腹が立つことさえも慣れたというか落ちついてしまっている。子供が友人から「家はどこ?」と訪ねられる。その時に仮設に住んでいるという事が子供にとてもストレスになっている。そのことは理解しているが、親としては家計のことがあるので腹を割って正直に説明している。ただ、わかってもらっているかどうか・・・。市長選挙、腹が立った。空港なんていらない。4(46歳、4人暮らし、担当:赤西、清重、青木)
- お金が必要。被災者支援法案を何とか実現してほしい。病気の主人を抱え、娘も別の仮設で息子2人を抱え暮らしている。市長選挙、遠いけど頑張って投票に行った。でも、はっきり言って、選挙へ行くのもむかつくぐらい嫌であった。市長・官僚達は私財を肥やしているばかり。穴埋めは一般の市民にさせている。空港なんて今すぐいらない。今必要なことを先ずやってほしい。子供が少なくなっているこの頃、子供にもっと心豊かな環境になってほしい。週ボラの方から年賀状が届き、とても嬉しかった。大事にしまっている。こうやって膝つき合わせて話しができるのがありがたい。こんな話し誰にもできないから。(75歳、2人暮らし、担当:赤西、清重、青木)
- 住宅が当たるのを楽しみにしているだけ。震災で会社は倒産。2年間、職安に通っていたが今は行っていない。どっちみちないやろ、いい年だし。今まで、30年以上勤めていた、その貯金で何とかなるか・・・?誰も見てくれる人がおらんし、健康だけは気をつけている。(56歳、一人暮らし、担当:加藤、長船)
- 着の身着のままで外に出た。潰れた先から火が回ってきた。従兄弟は七ヶ月の子供をかばおうとして家の下敷きになりながら、子供を必死に抱いていたが息ができんで死んでしもうたと悔やんでいた。鷹取の駅に死んだ人を並べて・・・、須磨寺も死体置き場になって・・・。5000人もなくなった。みんな大国公園に逃げたけど、火が回って来るかもと駅に逃げ・・・、そして鷹取中学に逃げ込んだ。先生が一番頑張ってくれた。4ヶ月もいた。最初はうっとおしいと思っていたボランティアも、そのうちに慣れると甘えてしまう。「家のことどうしよう」と思っているときに「お体はどうですか?」では・・・。それにしても市会議員なんか一度ものぞきにこんかった。一言ぐらいねぎらって、自分も同じ立場やといってくれてもいいのに。マッサージ20から30分してくれる人が廻ってきてほしい。年寄りとか満足するのに。(63歳、担当:加藤、長船)
- 住宅を申し込んでいるがなかなか当たらない。内縁の妻であると申し込みをしにくいので、父親と自分の名で申し込んでいる。妻は失業保険をもらっているが年齢的に就職は難しいだろう。公営住宅が当たらないので最大の関心事となっているが、その辺り、行政なりの対策はどうなっているのだろうか?(28歳、2人暮らし、担当:矢萩、島原、小林)
- 震災時、一部損壊だったので大変不利だと感じている。前に住んでいたところは、仮設が当たったため追い出されてしまった。私が仮設へ入居した翌日にはもう新しい人が荷物を運び入れていた。自分は一般の申し込みと同じになってしまい、西区、北区などにしか行けない。(73歳、一人暮らし、担当:林、盛本、谷口)
- 80歳の時に腰を骨折。83歳の時に右大腿部を骨折。その時の主治医の先生から考えていればぼけないと教えられた。昨日食べた食事や秋の七草などよく質問された。本当にいい先生だった。今でも何か忘れたら思いだそうと必死で考える。耳が悪いので若い人にはよく怒られる。新聞はよく読んでいる。特に医療福祉に関心を持ってみている。(91歳、2人暮らし、担当:島原、小林、矢萩)
- 地元のボランティアは生きているか死んでいるか見に来るだけ。自分は裏の戸を開けているから死んだら隣の人が気付いてくれる。そんなボランティアはいらない。どうせならちゃんと見てくれ。病院を探してほしい。西神医療センターは入院するのに2ヶ月待ちだ。2日半埋まっていたが、人間はしにそうなとき腹が減らない。これだけは言っておく。寒くて寒くてたまらなかった。ふとんは目の前にあったが手が届かず。寒さで死んだ人もいたはず。左右の家の人、多く死んだ。自分もあの時、死んでいたら良かった。そしたら今のようなことはない。しかし、助かったとなると、後はなかなか死ねないものだ。以前、大工をしていた。仕事をすれば一滴も飲まない。今は仕事がないからしょうがなくこうして飲んでいる。道具は瓦礫処理で全部もって行かれた。ただし、西宮の方の人に預けている道具が少しある。住所、電話番号を書いた紙も全部なくなっているが、その人の友人宅を知っている。「道具を取り戻したら、また大工やるかね?」と言うと、嬉しそうに「ああ」と言った。(65歳、一人暮らし、担当:佐沢、東條)
11月8日
- 平成11年の3月、5月に入居予定の公営住宅に申し込んだ。みんな出ていったのかなと不安になるけど、周りを良よく見渡すと、洗濯機などがおいてあるのでほっとする。第一希望は灘の超人気のところに申し込んだ。やっぱり帰りたい。ちょっと風邪をひいただけでも慣れた医者がいい。今の心配はとにかく住宅だけ。(70代、一人暮らし、担当:仁井田、加藤、合田)
- 3時間近く家の下敷きになっていた。避難所では毎日出血が続いて、一ヶ月後、巡回の診察がきたとき、血圧が高い方なのに、80しかなかったので救急車で運ばれ40日間入院した。今も夫婦そろって医者通いだ。詩吟を教えているが、ここだと遠いので弟子がたくさん辞めた。本業の電気工事も体がこんな状態だから、そこそこしか動けない。収入は大変だ。妻もパートで働いているが、生活は苦しい。仮設は光熱費もただ、と思われているようだがそうではない。交通費と光熱費で家賃以上かかる。周りも出ていってさみしくなるなぁ。生活に直結したことをもっと市にやってほしい。詩吟で声を出しているから、今まで何とか元気にストレスなくやってこれたと思う。(二人暮らし、担当:西畑、長船)
- 隣が先月末に亡くなって、しばらくは風呂に入るのも恐かった。2軒おいて隣の人が以前は1日4〜5時間きてくれてよく喋ってくれたけど10月13日に引っ越したのでさみしい。真正面に住んでいた人も9月に引っ越した。夜が気持ち悪いので、深夜までテレビと電気を点けっぱなしにしている。また若い女の人から2、3回悪戯電話がかかってきたので恐い。「○○(私の名を呼ぶ)のおばあちゃん、私、大西よ!」と話し掛けてくる。全然面識もなく、心当たりがないので恐い。(85歳、一人暮らし、担当:藤原、青木)
- 胃腸が悪く、月2回三宮まで通院。白内障で目が霞み、腰痛でコルセットをまいている。生活保護を受給しているが、生活は苦しい。震災後、融資(10万円)を受けたので、来年から毎月、3000円ずつ返済することになっている。引越し支援金について、中央区と西区の職員の言うことが違うので困っている。どうしたらいいのか?今はたばこを吸うことぐらいしか楽しみがない。近くに買い物に行っても、途中でしんどくなって座ってしまう。家賃一万円ぐらい払ってもここにいたい。もう引っ越すのは嫌!(68歳、一人暮らし、担当:武内、矢萩)
- 公営住宅、申込はしたが、当選する気はしない。人間はただ屋根の下に住んでいればいいということではない。ここに居ると島流しにあっているようです。私たちの声を伝える場、訴える場がもっとほしい。このように話を聞いてもらえると少しは気分が落ち着く。選挙のとき、選挙カーのボリュームがやたらうるさかった。選挙前だけやなく普段来んか!と思った。冬、ドアが凍って開かないのでお湯をかけてから開けます。(40歳、3人暮らし、担当:赤西、森脇、亀井)
- 震災後は「人間がよく見えた(不信)」。被災しなかった年輩女性が「仮設で3日乞食したらやめられないらしいね。いろいろともらえて」と口にしているのを聞き、悔しかった。これでも人間かと思った。(84歳、2人暮らし、担当:赤西、森脇、亀井)
- 今年の9月まで、土地をガレージとして貸していて月30万円の収入があったので、今回の住宅申し込みは収入基準をオーバーして申し込むところがなかった。今は、年金の収入しかないので、生活が苦しい。銀行もお金を貸してくれない。(72歳、一人暮らし、担当:藤原、青木)
- 今は生活保護を受けているので、役所の言うとおりにしている。何もすることがないので、運動のためと思って近所を歩くようにしているが、帰るときには足が疲れる。去年から足が痛くなった。今回は藤原さん(週末ボランティア、91歳のメンバー)に会えて嬉しかった。藤原さんが活躍しているのを見て元気になりました。自分ももっとしっかりせなあかんと感じさせられました。(85歳、一人暮らし、担当:藤原、青木)
- 平成2年、脳梗塞のため、足が不自由になる。車椅子の生活。障害一級。担当者のコメント:家がとてもきれいで、趣味を感じさせる家。とにかくとても素敵なおじさん。声が元気ではりがある。ビーズで絵を作っていらした。(57歳、一人暮らし、担当:加藤、合田、仁井田)
- 元の土地への住宅再建はいろんな関係であきらめ、市営住宅に申し込むことに決めた。生活は年金でどうにかしている。夫婦とも趣味を持っていて、ご主人は将棋が得意でふれあいセンターで、いろいろ楽しんでいる。奥さんは三味線などで活躍している。また、自治会の役員をするようになって人間関係も上手くいっており、むしろ、今後、住宅が変わって新しい生活が始まる方が不安。(64歳、2人暮らし、担当:西畑、加藤、佐沢)
- 早く当たりたいです。一人ですし・・・。急に病気になっても困るし。灘まで1時間かかるんで・・・。肝臓が悪く、胃潰瘍。ストレスのせいらしい。みんな当たって、空き家になっている。いるのは9件中2件のみ。9月中旬から10月まで入院していた。誰にも相談できない。こんな知らないところでは・・・。親類も近所にいないし、不安に涙している。知り合いの多いところへ帰りたい。前の方にはよくしてもらっていたが、その人も9月に引っ越してしまった。月12から13万の年金で暮らしているが、病院通いなどで出費がかさみ、ぎりぎりです。こんな状態自分だけではないし、頑張らないと思う。皆さんがこんな風に運動してくれたら少し変わるかもしれませんね。役所の人とは直に話ししたが全くダメだった。表札は名字のみ。一人暮らしってわかったらなにされるかわからんから。(70代、一人暮らし、担当:亀井、長船、矢萩)
- 20年来の原因不明の鼻から出血する病気と糖尿病で通院しているが、良くならない。特に夜中の出血が止まらない状態が最近は多くあり、10月には6回も病院にかけ込んだ。最近、医師に「鼻血ぐらいで病院に来るな、よその病院へ行け」と厳しく言われたのが悔しかった。今は違う病院に通っている。眠れない情況が続き、まいっている。体が悪く働いていないので、生活保護を受けている。神戸には親類もなく一人だけの生活に不安を感じている。(57歳、一人暮らし、担当:西畑、長船)
- 主人は大丈夫だったが、私は柱が倒れてきて5時間埋まっていた。入院を6ヶ月した。歩くことはできるが、まだフラフラする。(?歳、2人暮らし、担当:白岩、井手上、武内)
11月15日
- かつて住んでいた長田区の家が全壊。借入金がある(質屋みたいなところ)。年3%の金利。借入金600万円。内200万円は返済の見込みがついたが、残り400万円は見通しがつかない。「利子だけでも払ってほしい。」と言われたが、返答できずにいる。市営住宅に申し込んだが交通費のかからないところに当たればと・・・。(40代、2人暮らし、担当:赤西、仁井田、西川)
- 体調あまりすぐれず。買い物はヘルパーさんに頼んでいる。時々、ご近所のお世話をして下さる方に用事を頼むことがある。耳が遠い。(83歳、一人暮らし、担当:赤西、仁井田、西川)
- 入り口の階段、2段を3段にしてほしい。」と何度もいろんな人に頼んだが、実行してもらえなかった。最近ようやく願いが叶い、3段になった。ご近所の方がいろいろと動いてくれて助かっている。他の高齢者にはもしもの時を考え「気分が悪くなったら、鍵をかけずにドアを開けときよ」と声をかけている。裏で孤独死した方は77歳。80歳を越えても元気な者もいるのに・・・。孤独死に若いも年取ってるも関係ない。(82歳、一人暮らし、担当:赤西、仁井田、西川)
- 板宿に土地はあるが、家を建てると大きな借金になるので断念した。商売(八百屋に野菜を卸す仕事)も妻がもうしたくないと言うので辞めた。驚くのはどこで聞いてくるのか大阪や西宮の不動産屋から土地を売ってほしいとこの仮設に電話がかかってくること。土地は息子に譲る。災害被災者支援法もなかなか実現されないけど「まだ完全にあきらめてないで」仮設内には生活保護の人がたくさんいる。大変なことだろうと思う。(70歳、2人暮らし、担当:瀬戸、谷川、小田)
- ベトナムの方でご両親は居られなかった。彼は日本語は大丈夫とのこと。ご両親は読んだりする事がちょっと難しいそうです。中3なので高校受験の予定。数学と英語が苦手だそうです。(15歳、3人暮らし、担当:瀬戸、谷川、小田)
- 41歳の時に主人と死別してから30数年、スナックをして3人の男の子を育てた。震災前、長男が亡くなったときはすごいショックだった。踊りの師匠をしていて踊りが生き甲斐だが、母親の看病をしているときに膝を痛めてしまい、正座ができなくなった(もう踊りは教えられない)。次男は家族4人で住んでいるが家には行かない。週に一度外で会う(お嫁さんに気兼ねしているようだ)。収入は年金2万円と生活保護を受けている。公営住宅はようやく当たった。(78歳、一人暮らし、担当:瀬戸、谷川、小田)
- 周囲の人達の動きがよく分からない。大部分が引っ越しされたみたいで静かになってしまった。毎年、春になると花を植えたりしていたが、今年は何か落ちつかなくてそんな気持ちにはなれなかった。住宅さえ決まれば・・・。今、週2回パートに行っている。本当は65歳までというところを70歳までということで働かせてもらっている。仮設に住んでいるというとパートを断られると言うことが多いらしく、友人は働けなかった。「住所不定」の扱いになってしまうらしい。これから寒くなると、ここでの生活はこたえる。ここはほとんどボランティアも来ず、忘れられている感じがしていた。こうやって皆さんが廻ってきて下さるのが嬉しい。(65〜70歳、一人暮らし、担当:藤原、青木、木原)
- 震災後2、3カ月はボランティアに世話になり、有り難かったが、今はボランティアや他人に世話をかけないようにしている。西区民センターに大正琴や民謡、詩吟の稽古に行っている。仮設にじっとしていたら気が狂ってしまう。元民生委員「足さえ悪くなかったらボランティアで走りまわっとるわ。神戸空港なんか作っても白浜のようにすぐ閉鎖になるわ。それよりケミカルシューズのための貸しビルを建てたらええのに。」足悪いけど口は達者。市営住宅があたらんので神戸市役所まで文句を言いに行った。(73歳、一人暮らし、担当:亀井、林、矢萩)
- 来年3月に長田区の民間住宅に移転の予定。友人紹介で。家賃6万円。猫を飼っているので市住の申し込みは難しい。「仮設の生活には慣れたが、小さな話しがうわさ話で大きくなり、うっかり冗談も言われへん。」去年2回ほど、仮設内で突然倒れた。原因不明。「やはり震災の影響かなぁ。それまでこんな事なかったから。」甲状腺機能障害で三ヶ月に一回通院中。家の前をダンプが通ると「ドカンドカン」とものすごい音がする。道路に窪みでもあるのでは。市の人にもその音を聞いてもらいたい。(63歳、2人暮らし、担当:亀井、林、矢萩)
- 耳が遠い。3年前に心臓の手術をした。そのせいで左手が少し麻痺しておかしい。それから毎日通院している。灘の家は売ったので公営住宅がそうしても当たらない場合はマンションを買うことを考え、折り込みチラシをまめにチェックしている。息子達と同居するつもりはないが近くに住みたいのでそういうところへ応募した。(73歳、一人暮らし、担当:小野、小林)
- 心筋梗塞で病院に通っているので病気のことが気がかりです。(本人自筆)
- 近所に遊び友達が少ないので子供が肥満になっている。西区は物価が高く、新鮮な野菜がない。(40歳、3人暮らし、担当:佐藤、喜多山、合田)
- 震災の時、6時間埋まっていた。灘区の被災した場所に戻りたいがずっと当たらない。(63歳、一人暮らし、担当:浦口、永安、清重)
- 犬のドンと2人暮らし。公営を申し込んだが、ペットOKではない。地震の時、ドンは枕元にいたのですぐに抱き抱えて助けた。でもしばらくノイローゼ状態になっていた。今でも少しの物音でドンは恐がる。(?歳、一人暮らし、担当:藤原、青木、木原)
- 地震で主人を亡くした。平成2年から自立神経失調症にかかり、現在は50肩にかっかって夜よく眠れない。去年は編み物を教えていたが、今年はそれをする元気もない。あまり外に出る気にもなれない。近所の親しい人も10月から入院してしまいさみしい。今は子供が学校から帰ってくるのが楽しみ。(?歳、3人暮らし、担当:藤原、青木、木原)
- 食事が喉を通らないので点滴をずーっと打っている。3日前頃から散歩をするようにしている。(60歳、一人暮らし、担当:合田、喜多山、佐藤)
- 先週まで入院していた。膝に水がたまって痛くて仕方がない。痛み止めが効かない。仮設に来てから酒の量が増えた。体調はあまり良くない。三ヶ月おきぐらいに飲みたくなる。仮設に来た当時は三宮まで働きに行っていたが辞めた。仮設に来てからは良いことがない。話し相手がいないのでさみしい。(67歳、一人暮らし、担当:浦口、永安、清重)
- 平成2年6月から車椅子で生活している。右半身不随。左手はリハビリで不自由なく使えるようになった。通院も車椅子でしている。駅まで45分、介護なしでいく。電車も駅員の助け無しに乗れる。雨の日が大変で車椅子に乗るまでに3つにわかれたかっぱを順番に装着していく。(57歳、一人暮らし、担当:矢萩、小林)