毎週の仮設住宅訪問からプライバシー保護を考慮して週末ボランティアでまとめたものです。
(担当はお伺いしたボランティア、自筆は仮設住宅の方が直接書かれたものです。)
1997.3.1 訪問
- 今年4月、子供が小学校入学、母子家庭。児童館では5時迄しか子供を預かっ てもらえず、身内もいない。他人にも頼みづらい。仕事もしたいが、仕事をすれば子
供をみれない。仕事をしなければ収入がない。どうしたらいいのかわからない。(29才、担当:内海、木村(茂)、木村(俊)、南口)
- 住居は半壊判定だったが、修理費見積りでは750万。そんなお金、メドあり
ません。ダメになった家は、3年半前に買ったものだった。被難所暮しは約7カ月、
つらかった。仮設を「ブタ小屋」と呼ぶような人はどんな立派な所に住んでいた人か
?私には有難い。(73才、担当:白岩、亀井)
- 糖尿病の為、目が悪い。左目は見えない。右目も0.3位。左目が悪いので、
外を歩くときも気を遣う。道路も端の方を歩く。人に会ってもわからない事が多い。
(52才、担当:野田、矢萩)
- 地震後、半年入院。その後仮設でほぼ寝たきりの生活をしていた。息子さん2
人が看病してくれ、今年に入ってようやく動けるようになった。息子さん2人と同居
したいが、2人とも収入があるので無理(公営)。仕方ないとは思うが、何か割り切
れないものを感じる。(53才、担当:野田、矢萩)
- 20坪が9坪しか残らない。都市計画の為。戻りたくても戻れない。避難した
場所は、被害も小さい為、地元住民の理解が感じられず、居心地が悪かった。息子さ
んは中学校へその体育館から通学していたが、周りにそのような生徒がいなく、通い
づらかった。息子が高校を選ぶ時、校区が違ってくるので早く帰りたいが、資金の目
処がたっていない。火災保険をかけていたが、「地震で火事になったんだから!!」
って見舞金しかおりなかった。今後の目処がつかなく、考えるのもイヤだと。(?才
、担当:下山、加藤)
- 震災後、肺気種、気管支炎で入退院の繰り返し、公害病認定。坂を登るのも苦
しい。まっすぐ歩くのが精一杯。身内はいるけど、ダメ。完全に孤独。ガスを使えな
いのは火を見ると火事を思い出して恐ろしいから。だからすべて電気を使う。絶対結
婚した方がいい。一人はあかん。60才になってからでは遅い。近くに何でも話せる
人なんておらんし・・・。本当の友達は飲み友達ではあかん。飲めなくなったら、離
れていく。(59才、担当:河野、藤田、長船)
- のら猫が多く、今も知らない所の猫が来る。自分の食べる物がないのに、猫に
与えて困っている。かわいそうに思うので。(60才、担当:花島、前田、小波本)
- 仕事は勤め先が全壊、倒産した結果無職になった。新しい生活を始めてから仕
事も考えたいと思っているが、腰が悪いのでまだ不安だ。(57才、担当:武内、谷
口、西畑(稔))
- 日雇で働いているので、毎日お金が入ってこないし、交通費さえもなくどこに
も行けない。食べていくのが精一杯(仕事は月10日位。今年に入って2回だけ)。
左耳が震災以降聞こえない。今年に入って、病院へは行っていない。行けない。国民
年金の支払をコンビニで出来るように。銀行では夜支払いに行けないので滞納してし
まう。(59才、担当:川口、耕、久保)
- ご主人自身が事業をやっていた関係もあって、国民年金の掛年数が足りなく、
年金がもらえない(事業をやっていた頃、先の事に自信をもっていたのが裏目になっ
た)。(72才、担当:木村(茂)、川端)
- 何を言ってもしゃぁないやんかと言いつつ、なんとかなりたいと焦りもある。
いらいらしながら笑っているという感じが痛々しかった。(50才、担当:小坂、藤
田、杉谷)
- 気の合う仲間同士、次に移る恒久住宅を「グループで申し込もう」という話し
が出ている。自分としては元いた所に戻りたいが、希望の住宅がない以上、やはりせ
っかく知り合った仲間と一緒にいたいという思いもある。次へ移っても最初からまた
「一年生」(一人ぼっち)の生活は辛い。(80才、担当:長船、河野、藤田)
- ストレスでご主人が一時方向が判らなくなり行方不明になったことがある。今
はパートで元気に働いている。人間関係がうまく出来ているので住宅は変わりたくな
い。(61才、担当:西畑(み)、武内、谷口)
1997.3.8 訪問
- 週4回パートに行っているが、交通費も寸志もなし。もっと条件のいい職場を
新聞で探すがみつからぬ。洗い場の仕事なら若い人に負けない自信があるが、年齢で
ひっかかって採用がない。(67才、担当:赤西、高村、水戸)
- 身体障害者になってから体調がすぐれず、2〜3年位生活保護を受けていたが
、一方的に市の方から打ち切られた。どうやら誰かの口利きがそのきっかけになった
ようで、市から呼ばれたとき、他に同じような人がいないか聞きたいと言われた。(
57才、担当:市川、寺野、盛本)
- この先まっ暗。夜、気持ちが沈んで考えこんで暗いところへ引きずられる。そ
のとき「地震のときに死んだらよかった」と感じる。仕事帰り、駅から歩くときみじ
めな感じがして1人で「運命かなあ」とブツブツ言いながら帰っている。現在気持ち
を奮い立たせる為にも、無理をして働いている。「心から病に入っていき負けてしま
う」気がする。だから何より大事な「希望と活気」を与えて欲しい。(66才、担当
:内海、山下、長船)
- 震災直後は物質的に貧しかったが、今は精神的にダメージがまだ残っている。
私達は社会的弱者の立場にあるが、その弱者も一見、強者の立場にある人よりも豊か
な生活を送っていることもある。(74才、担当:南口、阿部)
- スーパーが近くにできる計画があるそうだが、近隣の住宅街は反対しているそ
うです。もっと仮設の人の立場にたって物事を考えて欲しい。(67才、担当:近藤
、水野、松井)
- 神戸市はいいところだけテレビや新聞で流しているから、「6千円でマンショ
ンに入れて幸せだねぇー」といかにも市が潤っているような印象を与えている。が、
実際はそうではない。仮設から仮設の移転などがあり、これからますます仮設問題は
深刻化するだろう。また市営住宅だって100世帯応募したところで3・4世帯しか
当たらないというのが現状なのに。(仮設の皆さんより、担当:福岡、津田)
- 市はどういう基準で住宅の当たりはずれを決めているのだろうか?友人が拾っ
た応募用紙で申し込んだら当たったとのこと。自分も含めてたくさんのお年寄り、体
の悪い人が仮設に残っている。何の為の病名を書く欄かわからない(都心があってい
るそうだ)。市役所は目をつぶって書類の束から引いているのではないか。(64才
、担当:坂本、若菜)
- わずかな年金にたくさん払う医療費。今度の医療費アップはつらいとのこと。
しかし生活保護を受けたくないと。ご本人に生活保護を受ける事は当然の権利である
事、つつましい生活をして我慢する事はかえって良くない。巷ではそんな実情を考え
ずに復興したと言っている事などお話しした。しかし、本人の意思は固そうだった。
(79才、担当:木村(茂)、喜多山)
1997.3.15 訪問
- 家がなくて希望も何もなく、淋しい毎日を仮設にて送っているとの事。以前に
訪ねた時は明るく話されていたが、今は夜眠れず3時頃に目が覚め、今後の事を考え
ると涙があふれるとの事。震災から2年以上経っているが、ますます孤独感がつのっ
ている。(73才、担当:祝、加納、佐藤(朱))
- 御主人は私達のことを大歓迎して、左手不随の身で一生懸命に三人の名前を丁
寧に記入してくれました。隣の人との付き合いが少ないので、ボランティアが有難い
。暖かくなったら総合運動公園に御主人を連れ出す予定。(65才、担当:赤西、赤
松、岡安)
- 生きるために不必要なものは全て捨てたため気が楽になった。また震災がきっ
かけで妹と2人暮しができ、心強い。「今は小さな幸せを探しています。」と常に冷
静に先のことを見ようとしている姿勢や笑顔で前向きな考え方を語った彼女の強さた
くましさが印象的だった。(58才、担当:南口、稲玉、貝沼)
- 学園都市は雰囲気が暗く便利が悪いと。私は学園都市に住んでいるのですが、
たしかに長田、灘よりは不便かもしれませんが、この土地全てを否定するのではなく
、よい面や便利な施設なども利用し、元気であるうちは前向きな考え方を持って欲し
いと思った。(60才、担当:高坂 望月、多谷)
- 退職金を使って喫茶店を新築して2年目に震災にあい、全焼。ご主人は心筋梗
塞とぜんそくがあり、職探ししても就職がむづかしい。難しいことを条件にしないで
お金を貸してくれれば立ち直るきっかけになるし、返済もできる。(58才、担当:
武内、広井、堀内)
- 震災で家は全焼。会社は倒産で職を失う。現在はアルバイト中。就職は厳しい
。”仮設住民”は敬遠される。(44才、担当:赤西、赤松、岡安)
- 心臓が悪く、脳梗塞。現在年金生活。ここでの一人ぼっちの暮しはつらい。妹
に95才の母を預けている。一緒に住んであげたいが、この仮設では無理だとあきら
めた。妹も自分の生活があるので、しんどいらしく、母につらくあたっているらしい
。時々母を仮設に連れてくるが、そのとき母がぐちをこぼすのがつらい。「もうちょ
っとしんぼうせぇよ。公営住宅にあたったら、一緒に暮そうな」そう言ってた顔が本
当に忘れられない。(65才、担当:寺野、岡本)
- 部屋に入ると昼間だというのにカーテンを閉めきって電気もつけず、外から見
れば恐らく留守宅だと勘違いされるような状態で、テレビを見ていた。「仮設の人と
は、ほとんど顔を合わせない。ずっと1人でやってきた。」ひとことひとことが心の
扉の重さを感じさせた。(65才、担当:寺野 、岡本)
- 母親が他の仮設に住んでいて連絡が取れないので行ってみた。ノックしても応
答がないので戸を破って入ったら、倒れていて命が危ないところだった。119しよ
うと思っても近くに電話がなく近所の建物から救急車を頼んだ。電話のない家も多い
ので公衆電話をつけて欲しい。(28才、担当:内海、吉田、矢萩)
- 震災で腰を痛めた。薬の副作用か気分が悪くなったり、顔がむくんだりする。
左官をやっていたが、腰のせいで今はできないでいる。そのことが心に引っかかって
いるらしくて、神経を病むようになった。(47才、担当:宮崎、木村(俊)、小林
(明))
- 国の為、兵隊として3年間北支戦争にて命をささげ、終戦の困難な青春時代。
貯金もほとんどありません。妻も亡く、失業しました。あと余命少し、喜ぶ事を1日
も早くお願いします。命を捧げた我々に政治家も命を投げ出して助けてやって下さい
。(75才、担当:若菜)
- 息子さんの家も全壊、職も失い、現在連絡が取れない。小学校3年生のお子さ
んはご主人と板宿に住んでいる。ときおり仮設へ来る。息子さんの奥様と長女6才は
徳島の実家へ帰り、離婚届を送ってきている。(59才、担当:小林(好)、瀬戸)
1997.3.29 訪問
- 避難所の小学校で転んで、左足を痛めて立てない。ヘルパーが週2回来てくれ
、車イスを押してもらい病院に通っている。ヘルパーに毎日来て欲しいが無理。長田
にいた頃のような近所付き合いがない。お酒を飲みにくる友達はいるが・・・。人間
関係の希薄さを感じる。「死んでもいい」と言われ、何も言えなかった。「生きてて
も楽しくない」とも。山登りが好きだが足が悪く、その楽しみも出来ない。郷里の話
しをしているときの懐かしそうな顔が印象的だった。(73才、担当:赤松、小崎、
中村)
- 耳が不自由で、他にも調子が悪い部分もあり、仕事にも支障がある。蓄えもな
い様子。仕事も見つからず、身体を治す必要からも生活保護を受けることを考えるよ
う、話しをしたが受けたくないとの事。これからの生活は4月に入って仕事があれば
何とかなると。また行政の弱者への対応に大きく不満であると話された。(59才、
担当:西畑(夫婦)、榊、北岡)
- 毎日病院へ通院しているが、前と身体の状態は変化なし。通院しても先生に適
当に薬を出されるだけで、自分に合うかどうか判らない。(56才、担当:西畑(夫
婦)、榊、北岡)
- ボランティアの方が一生懸命回ってくれて気の毒だが、ある程度放っておいた
ほうが皆自立するんじゃないのか。皆それなりにやっているから。いつまでも震災と
は言っていられないし、いつまでもボランティアに甘えたらいけないとのご意見。(
58才、担当:桜田、盛本、寺野)
- 政治が悪い事をしている。そんな事するんだったら税金を取るな。今まで払っ
ている分を返して欲しい。神戸に空港を作る計画をしているけど、空港を作るお金が
あるんだったら、寄付して欲しい。空港をたくさん作ってどうする?旅行に行くお金
もないのに。(47才、担当:内海、中川、加藤(正))
- 部屋に入ったとたん、せきをきってお話しされた。仮設内の人間関係の難しさ
にどれだけ苦しんですごされたかをとても感じ、「せっかく地震で助かったのに、こ
んなところで苦しむとは・・・」言葉をかえすこともできず、ただ聞くばかりでした
。(?才、担当:木村(茂)、清重(智)、片川)