1997.5.3 訪問
- 詩吟・お花・お茶を教えていたが、地震で道具が全部ダメになった。しかし詩吟だけは何も要らないので、今も時々やるようにしている。(74才、担当:西ノ上・白岩)
- 酒を飲みながら食事をされていた。非常に感情が高ぶっており、大声で時には涙ながら一方的にしゃべられた。国は今年厚生年金の見直しをしなかった。また我々にも何もしてくれないのに無駄な金だけは使う。身寄りは一人もいない。だが、血のつながりのない人から援助を受けて引っ越しも可能となった。今後収入があれば(公的支援etc)先ずこの人に返したい。(60代後半、担当:木村(茂))
- 私は昨年から体調がすぐれず、仕事をしていませんので、収入がありません。1円の金もありません。食費等は2ヶ月に1回実家より送ってもらっています。食事は、現在2日に1回です。今は体の調子も良くなっていますが、お金がないので働きに行くことも出来ません(45歳、担当:矢野・牧野・木村(茂))
- 神戸選出の議員は、何もしてくれない。何らかの金銭面の支援を単に年齢の基準で分けないで欲しい。(70歳以上でも元気な人・50代でも不自由な人がいる)。公営住宅の建設はあてにならない。中央は、被災地を忘れている。小さな仮設・離れた仮設が置き去りになっている。先だつ資金がないから、困っているのに貸してくれと頼んでも必ず破棄になる。(64歳、担当:赤西・小山・熊代)
-
住宅に当たっても、大型犬が飼えるか気になる。つらい仮設生活をともに耐えて
きたから愛着が深い。捨てるなんてことは絶対に出来ない。(?歳、担当:多谷・井手上・石田)
-
民間の賃貸住宅を何軒かまわってみたが、年がいってるということで貸してもらえない。結局、復興住宅の当選を待つしかない。しかし、申し込んでも当たらない。4度も外れた。これからもこの畳からナメクジがはい上がってくる仮の住まいで根気よく当選を待つ。つれ合いがいるということで、お互いに救われてい
る。(88歳、担当: 多谷・井手上・石田)
-
提案:医療クリニックでは、この2年間に大勢の人の病状を細かく把握し、改善してきている人も多かった。また医師と患者の信頼関係もできた。しかし患者さんが引っ越せば、元のモクアミ。ボランティアは、そういう引っ越して、しまったと人と次の優良病院を一緒に探したり、西神第1までカーボラするなどのフォローができるんじゃないかと。(自治会役員、担当:多谷、井手上・石田)
-
心が重い。昔、空襲で夫をとられ、地震で家が倒れて、私は悲しいわ。人に言
うに言われん。夫は直撃で・・・
その時子供が5人おって、つらかった。上見りゃきりないし、下見てもきりなし、つらい目のおうとる。その上地震やもうこんな事・・・涙をふきながら足の調子の悪い・何ももたれへん、痛い人や、足悪いから食べることもあまりでへん。娘や孫・近所の人の助けで、どうにかなってる。(87歳、担当:上原・長船
・土佐貫)
- 勤めに出るより、交通費が高くなる。うかつに仕事をきめられない。
パートの口もない。一日中家にいる。人里は慣れてこんな所におったらおかしくなりそう。(60代、担当:上原・土佐貫・長船)
- 何もかもバラバラになってしまった。82才にして病気もないし、病院にも行ってない。背中もピンとしている。だけど長田へ帰りたいよ。子供もいないし、ここにいてぜいたくは言えないが、家は決まらないし、みんなボチボチ出ていくから寂しい。
(82才、担当:加藤・増田・山下)
- 自分もボランティアをしていた。ボランティアは「心」。心のないボラン
ティアはすぐわかる。専従ボランティアはマンネリ化し、好き嫌いの感情もどう
しても出て来て、公平さがなくなる。いつも同じ服を着るようにした。少しでも
変えると何かいわれるので、自分の身にしみ、こちらが見るに忍びなくなり、今
はボランティアをしていない。(50代、担当:武内・花島・亀中・丸笹)
- 仮設に移ってから調子がくるい、ストレスがたまった。近所と話もできず、
落ち着けず・・・・。気が付いたら肝臓が化膿していた。(70代、担当:武内
・花島・亀井・丸笹)
- 今の日本がだめなのは、教科書で教わった事をする人が日本を動かしてい
るからだ。毎日
毎日、たとえ1日でも教科書に書かれている事しか起こらなかっ
た日が今迄あったか?
青信号だから渡っても安全、とだけ考えている人は、いつ
か事故に逢うもんだ。まさに、この震災に対する国への警鐘です。(70代、担
当:小林(好)・寺野)
1997.5.10 ルス訪問
- 7年前、心臓病で手術を受けた。今も血管が3ヵ所詰まっていて発作が起
こることがある。その為ニトロをいつももち歩いてる。時々、ケミカルの仕事を
手伝いながら、年金暮らしをしている。きつい心臓病なのに、障害認定は受けて
いないとの事。震災の時、仕事で岡山にいたので、飛んで帰ってきたが、83才
の母は頭がつぶれ、義理の弟も家の下敷きになり、すでに亡くなっていた。しか
し「わしよりもっと辛い経験した人もおる。声がするのに助け出せなかった人を
思うと・・・」と涙ぐんでいらした。(64才、担当:盛木・山本・坂本(佳))
- 近隣の人は、働きに出ている人が多く、話し相手もいない。寂しくて沈ん
でしまう。同居の孫は20才の男の子で話しもあまりしないし、隣近所の顔さえ
良く解らない。2年間で役所の人が来たのは1回のみ。草刈り一つ来てくれない
状態である。近くの知り合いもとうの昔に公営に引越してしまったし・・・。
(70代、担当:林・加藤(
)・伊藤・長船・浦口・清重・本田(仁)・水戸)
- 神戸市役所への窓口になるボランティアが必要と思う。またボランティア
は時々来るが、主旨のわからない団体や実態の解らない人も多い。(38才、担
当:赤西・小波本・藤田)
- 仕事の面接には行くが、体が悪いという事で断られてしまう。(59才、
担当:藤原・阿部)
- 2種5級の障害者(足が悪い)。震災前はケミカルシューズの職人だった
が、工場がつぶれ、その後大工をしていた。5月2日迄約2ヶ月糖尿病で入院し
ていたが、会社は自動的にクビになった。入院費は、友人に50万円借りたが、
通院する金も薬代もない。3食
食パンを食べている息子に、これ以上迷惑をかけ
たくないので、生活保護の申請にいったが、らちがあかなかった。仕事に行ける
ぐらい目がみえる様になるまで、1年かかると医者に言われた。夜になると不安。
このまま目が見えなくなるのではと・・・。(57才、担当:平井・野口・小林
(弘))
- 復興は高齢者優先といいがなら、仮設に残っているのは年寄りばかり。こ
の裏の棟の91才の人もまだ住宅が当たってない。また風の強い日は住宅がギシ
ギシ鳴って男でも気味が悪かった。気の弱い人は住んでいられない。(69才、
担当:野中・小林(弘))
- ここは空気が良くて、一番端っこなので、バス停も近くとても便利。若い
人も多くて楽しかったと娘さんが話してくれました。(50代、20代、担当:
花島・宮久保・岡・木原)
- 交通事故の為、障害2級の手帳を持っている。後頭部から脊髄を傷めてる。
週に1回、三ノ宮方面へ通院しているが、杖・車椅子・人手がいる為たいへんで
ある。それも行くのに1時間以上かかる。(?才、担当:小野・中沢)
- ご主人は、糖尿病で入院。1ヶ月ぐらいの予定であるが、医療費がかさむ
のが悩み。(65才、担当:阿部・藤原・矢萩)
- 仮設入居後は、仕事をしてない。かつて三菱の仕事をしていたが、年のせ
いかどこも雇ってくれない。家も当たらないし・・・。家賃もいらんことだし、
いつまでおってもええわ!
一人でいるとたいくつだ。ふれあいセンターはなじめ
ない。たまに駅の西区民センターに行く。(72才、担当:赤西・藤田)
1997.5.17. ルス訪問、お話し伺い
- 以前
店3軒とマンション8室の家賃が入っていたが、全壊なので今はその
家賃がなくなった。土地は整地されているが、まだ建てるメドが立たない。その
内息子が建ててくれるかも・・・。年金生活ではあるが、以前のような豊かな生
活でなければ、貯金をおろしながら何とかやっていける。(73才、担当:藤原
・井手上・佐々木)
- 生活保護の件は、土地の名義を子供に移せば受けられるけれど、それが不
可能な程むずかしい。(家族構成が少し複雑なので)。でもそれを乗り越えなけ
れば、今のままの年金25000円で暮らさなければならない。(77才、担当
:武内・小林(好))
- 生活保護をもらいたいような、もらいたくないような・・・。長男の奥さ
んが生活保護は受けるのを反対している。(85才、担当:林・砂田)
- 1棟10軒あったうち、残っているのがウチを含めて3軒だけになってし
まった。寂しい〜〜。出ていく人は周囲に気を使ってか黙って出て行く。気がつ
けば、空き家になっている。その結果、ネズミがやたら増えた。うちのネズミと
り器によくかかっている。(73才、担当:赤西・杉本・長船)
1997.5.24 訪問
- ご主人は、昨年45才で亡くなった(白血病)。震災とご主人が亡くなら
れたばかりという事で、今の生活や将来のことを考えると不安になる。また仮設
住宅の中では、年齢的なギャップがあっておつきあいがしにくい。(話しが合わ
ない)。娘さん達とは、友達の様な感じで話しが出来る人でしたが。(娘さん
高 校生と中学生)(39才 担当:盛本・内海(貫)・白岩)
- 公営住宅の抽選の仕方が納得いかない。特に全く収入のない家が取り残さ れていってるのが不満。また一方通行な市の態度が気に入らない。もうすぐ70 才になるので、定期がもらえる。そうしたら市にもっと訴えに出かけたい。(69才、担当:丸笹・永安・岡本)
- 「あの時 死んどっても
よかったんだけどな」・・・。一階平屋建。目が
開いたら天井が真上だった。「こんな所で死んでたまるか」と脱出したが、家は
ペシャンコ。隣の奥さんも近所の知ってる人も・・・十数人が死んだ。火が出ん
だけよかったと思う。橋本龍太郎もガレキの下這ったらわかるねんけど・・・。
5万人もの人数が2年や3年で公営住宅に片付くはずがない。希望も何もない。
子供にはやっかいになれないし、奥さんはとうに死んだ。「人間
老けたらあかん。
それこそ孤独死や」と・・・話しておられました。(61才、担当:武村・野中
・長船)
- 年金だけの生活。ギリギリいっぱい。子供なし。夫は死去(20年以上前)。
老人ホームにも入りたいが、先ず家に落ち着きたい。妹と共に永住できる所へ。
年がいくと坂や階段は平安だし辛い。住宅もエレベーターがついているのは、5
階建て以上なのでなかなか当たらなくて困る。家賃は5年後に値上がりするとい
うが払えるか自信がない。(75才、担当:武村・野中・長船)
- 小生、健康状態はましな方だと思いますが、残された時間は少なく思いま
すので、一日も早く恒久住宅へ移って、終えのときを迎えたいと思ってます。もっ
とたくさんの公共住宅の建設を切望します。”弱者救済”をキャッチフレーズに
立候補し、当選された国会議員。特にかたくなに生活再建支援を個人補償としか
考えない"自民党”の人達にはもう腹立たしくなるばかりです。国全体の構想も理
解するものですが、もっともっと現実に苦しんでいる被災者に目を向けてもらい
たいと思います。(81才、自筆)
- 何回も死にたいと思った。夫が薬品の会社やっていたが、震災前に死亡、
会社の事務整理がやっと終わったと思ったら震災にあい全壊。被災してない人達
の冷たい目が辛い。生まれた時からこんな惨めなせ威喝をしたことがなかった。
せめて夫が生きてくれていたらよかったのにと思う。今はお金もないので植金・
押し花ができない。きれいな花を見るたびにわびしい気持ちになる。だが、この
震災で人のありがたみが本当によく判った。(70才、担当:矢萩・井手上・亘)
- 近所の人がどんどんいなくなって寂しい。何かあったらどうしようかと思
う。役所の人はちょくちょく来るが当てにはならない。役所の人間はイヤ。こん
なに人と長く話したのは久しぶりで非常にうれしい。すっきりした。(82才、
担当:矢萩・井上手・亘)
- 最近体調を崩し最悪の状態です。つい先日、家で死のうと思った。気分が
悪くなって熱が出て、目が見えなくなり・・・。入院している時遺書のつもりで
文書を書いた。この年になってなぜこんなひどい目にあうのだろうか・・・。こ
んなんだがあまり他人の世話にはなりたくない。娘が4人いるが、地震の後、い
ろいろ行き違いが生じ、一番下の娘とは縁を切らなければいけないことになって
しまった。もうどうしたらいいのかわからない。やけになる。はっきり言っても
う生きるのはイヤだ。(87才、担当:矢萩・亘)
- 1月末で定年退職。酒を飲みすぎる為医者から仕事をした方が良いと言わ
れているが、仮設からは交通費が高く不便な為職探しも出来ない。良く眠れなく
なったので、睡眠薬を使っている。(65才、担当:増田)
- 窓のところから知らない間にいろいろな虫が入ってくる。カメムシ、ムカ
デ、クモ、ナメクジ等が寝ている枕もと、フトンのヘリに来ているのでビックリ
して夜中に起きたりします。これから梅雨の季節に入りますがので、消毒をお願
いします。現在も玄関のドアを開けると羽虫が何匹も部屋に入ってきて困ってい
ます。(62才、自筆)
1997.5.31訪問
- いろんな物をくれたりする与える心のある方だが近所づきあいはあまり良
くないようだ。彼女は誰かに良い事をしてあげると必ず帰ってくるんだと言って,
僕達にもそのつもりで接してくれていた。ではなぜ近所の人にはそうではないの
か?かなり寂しいのだと思う。また,お手紙でも書こうと思う。(72 才
1人暮 担当:稲葉,山本,清重(直))
- 主人は 59
才で亡くなった。震災にあい,ガンと言われ「生きるのがイヤ
だ」と気力を失っていた。お金もなくなり,病院にも行けなくなった。薬も何万
とすると思えば飲めなくなってガンもひどくなっていった。主人は迷惑をかけた
くないと思ったのか,目を離したスキに発作的に隠し持ったカミソリで自殺をし
てしまった。近所に痴呆の方がいて,1年半のあいだ自分の家の戸を叩き続けた。
「夫殺しと」。 毎朝7時にひどい時は
14時頃まで。近所迷惑だし言われた言葉
に対しても腹が立ったり,泣けてきたり・・・・。でもどうしようもなかった。周り
の人にも変な目でみられつらかった。ようやく心の整理がついて話せるようにな
った。しかし,季節のかわり目のせいか,またきのうからドアを叩かれている。
(57 才 1人暮 担当:津田,小山,吉田)
- お食事の用意中でしたが,ガスを止めて話して下さり,ディサービスセン
ターでの楽しい出来事をたくさん話して下さいました。
最後に涙を流しながら
「来てくれてありがとうね」と何度も言って下さった。 (83 才 1人暮
担当: 津田,小山,吉田)
- 住みなれないところに所に来たので,人と人とのつき合いが難しい。「悲
しみは喜びに!」「悲しい,悲しいと思っていても仕方がない。底辺0からはじ
めよう!」(80才 夫婦2人暮 担当:津田,小山,吉田)
- 避難所で最後まで残っていて,しかも1人だったので寂しかった。ようや
く落ち着いた今,また,ここを出なければならないと思うと嫌だ。 59
才という
中途半端な年齢のせいでどこにも行けない。市営住宅なんて絶対当たらないと思
う。(59才 1人暮 担当:津田,小山,吉田)
- 脊椎等の身障3級。働けない。じっとしているのはイヤだが仕方ない。症
状が悪くなると立っていられなくなる。生活保護を受けている者は入院しても3
ヵ月経てば福祉での扱いが切れる。その為無理やり退院させられる。外にも出ら
れず,何の楽しみもない。「働けないのが悔しい!」と何度も言っていた。(59
才 1人暮 担当:赤西,岡,田中)
- 郵便局の疾病保険の通知ハガキが,震災で転居した為着かなかった。その
為平成8年度の保険料(7700円)を納められなかった。今年3月心配して東灘郵
便局に保険金を納入すると申し出たが,既に期限が過ぎて,保険が無効になって
いると。将来の病気や入院を考えてなんとか継続出来ないかと相談窓口を捜して
いる。(82 才 1人暮 担当:西畑み,川端)
- 長田で酒屋を営んでいるが,人口が減少しているので売り上げが中々伸び
ない。(50 才 3人暮 担当:西畑り,脇山,白岩)
- 今後の為に一言。震災の混乱の中でボランティアはしっかりした標識が必
要ではないのか。(?才 担当:西畑り,脇山,白岩)
- 元いた所には戻りたくない。家がつぶれた所,そうでない所でやっかみが
ある。ここにいた方が良い。(67 才 2人暮
担当:小林(好),秋田,矢萩)
- 震災後,喘息になる。テレビで問題になっている吸入薬を服用しているが,
医者に聞いても「大丈夫」というだけ。ずっと仕事を続けてきたのに今はできな
い。動悸がするので。今年に入って3回発作に襲われ,自転車に乗って医療セン
ターに駆け込んだ。救急車を呼ぶと迷惑をかけるから。外からは病気とは見られ
ないのがつらい。会長さんの理解もあり,仮設での合同作業は出来なくても,自
分のペースで別に作業をしている。 (53 才 1人暮
担当:小林(好),秋田, 矢萩)
- ここに移ってから,自律神経失調を患いずっと調子が悪い。別にかくして
はいないけれど子供は今の主人の子でない事を,他の住人が子供の前などで無神
経に話をしたりするのが耐えられない。また,言ってもいないことを言ったよう
に話す仮設内の噂話には耐えられない。 (40 才 3人暮
担当:小林(好),秋 田,矢萩)
- 抽選におちた。これでまたここでお正月を迎えなければいけない。ここへ
来てまる2年,朝きて,晩きて,何もしないで2年が過ぎた。喜寿や誕生日にな
っても誰も何もしてくれない。おうどんを食べるのをお寿司にしようかしらと思
うぐらい。だけどあまり長生きしたらイカンと思う。若い人にしなだれかかって
しまうから・・・。隣のおじいさんが引っ越してから寂しくなった。(77
才 1 人暮 担当:加藤(純),奥村,首藤)
- 孫がずーっと泊まってくれていて,何かあった時は安心だが,お金をいれ
てくれない。孫と一緒に住んでいるということで,生活保護を打ち切られ,年金
2万円と去年の暮れ亡くなった妹の残したお金で生活している。とても苦しい。
孫を今は甘やかしているけど,自立させなければとここを出るときは,一人で生
きるように言っている。(88才 1人暮 担当:加藤(純),奥村,首藤)
- 家が当たっても引っ越しの代金はとてもありません。家が全壊で生活や家
具の為,借金も増えるばかりです。生活保護もなく,消費税が上がるばかりで,
安い年金ではとてもやっていけない。返済のメドも出来ず困って居ります。それ
から,ボランティアの人達は一人暮しばかり心配しておりますが,私達病気持ち
の年寄り2人の事も考えて欲しい。(78才 夫婦2人暮 自筆)
- 今日の3人組みは家族になって知り合いを訪ねたという設定で楽しい話し
合いでした。(担当:小波本,杉谷,和田)
- 震災後2年経った今,手が腫れたり,痛かったりするが,医師から震災の
ストレスだと言われた。今はストレスなんか感じていないと思っていたのに・・
・。今頃になって症状が出る人が他にもいるとの事。被災者の事は,もう忘れら
れていると思っていたが,こうして忘れないでいてくれる事をうれしく思う。自
信も出る。(79 才 2人暮 担当:山本,長船,佐々木)
- 「公的支援などいろいろ活動してもムリだ」と言いつつ「なんとかしてほ
しいという強い思いも感じられた。このままでは見殺しにされる気分だと・・・。
(65 才 1人暮 担当:永安,亘 )
- 肺に酸素が入りにくく酸素吸入を常時している。3度の食事をホームヘル
パーさんに買ってきてもらう事だが,栄養のバランスが心配です。(70才
1人暮 担当:永安,亘 )
- 床が低い為,湿気でたたみと布団が湿っぽくて気持ちが悪い。(63
才 夫 婦2人暮 担当:木村,近藤,前田)
- (1) たとえ片方が 80 才以上でも夫婦だと震災後の
30万円(援助金)を貰 えなかった。 「1人住まいの 80
才以上は出る。」 (2) ボランティアは 65 才
以上の1人のところでも訪問している。(63才 夫婦2人暮
担当:青山,桝谷, 堤)
- 緊急の連絡先などないので不安がある。ボランティアも来てくれるが,元
気かどうか確認するだけであまりいろいろ頼むことも出来ない。今日は話が出来
たことをとても喜んで下さった。(85才 1人暮
担当:藤原,渡辺,今井)
- 足が悪いので部屋の掃除でも手の届かないところがある。ボランティア団
体が来て話を聞いて欲しい。お手伝い(一般雑用)などをして欲しいと言ってい
た。またお隣の方が来年1月に引っ越すので1人になると思ったら不安で夜も眠
れない。(77才 1人暮 担当:篠原,浦口,阿部)
- 来て欲しいと思っても,ボランティアになかなか来てもらえないというの
は,仮設の人達に取ったら見離されていると感じて寂しい思いをされていると思
います。”来て欲しい”と言ってくれている仮設の人達の気持ちを大切にしたい。
(担当:安部,篠原,浦口)