1997. 6. 7 留守訪問,再訪問
- 生活保護を受けることを勧めた。私1人なら我慢できる。ただ公営住宅の
家賃値上げの時や病気になったとき不安だし・・・。近所の人も養老院に入れた
けど1年かかった。と心が揺れていた。街中に住んでいた者にとって西神の町は
何もないし,夜は怖くて不安。出来ることなら養老院に入りたい。こうした一言
一言に十分回答できる言葉をボランティアは持ち合わせていないと思った。(75才
1人暮 担当:白岩,湯浅,長船)
- 生活保護を受けたいと希望している。生命保険に入っているとダメなので,
この間解約したところである。貯金はまだあるが,無くなってからでは困るので,
申請しようと思っている。(70 才 1人暮 担当:田中,足立,盛本)
- 以前,住んでいた長屋は全壊。家主が新しく建て替えたら入れるという約
束で立ち退きに同意の判をついたが,知らない間に業者に転売。敷金ももらえな
かった。
サギ同然なので弁護士や他の店子と相談することをすすめた。(88 才
1人暮 担当:高山,小林(弘))
- 西神南の福祉用の部屋が当たったので,ヘルパーさん付き添いで見に行っ
た。部屋の中は使い易くいろいろ工夫もされ,向かいの建物にはリハビリ施設も
ある。ただ廊下には鉄格子つきの窓があるのみで密室状態となる。今より更に孤
独死が増えるのではないか?自身は友達から電話がかかってくるので寂しくない
が,ない人は孤立するだろうと。※(消防署への緊急連絡用ブザーは付いている。)
長田区では暖房等の生活必需品として年間
24000円市より頂いていたが,西区で
は無しと言われた。交渉してもらえるようになった。(障害4級のためか?)(76才
1人暮 担当:桝谷,青山)
1997. 6. 14留守訪問
- 姉夫婦と同居していたので,市住に移る際当然自分も一緒に住むと思って
いたが・・・。来るなと言われ仮設に住むことになった。姉夫婦とうまくいって
いなかったので,もっと早く仮設に申し込めばよかったと思う。3人で住んでい
たので,義援金も全て姉夫婦のものになり自分には何も入らない。そんな話を聞
いてもむしろ腹が立つだけ。土地は借地,家は親の名義,所有は姉夫婦になって
いるが,名義は自分のものだと思っているので,家の跡地がどうなるかはっきり
するまで待っている状態。住む所の見通しが全然つかないので不安がいっぱい。
先の事考えるとつらくなる。外にもだんだん人出なくなるし,暗くなる。なるよ
うにしかならないと思うけど・・・,考えてしまい,ますますイヤになるだけ。
お金,住居,人間関係などストレスがいっぱい。(65 才 1人暮
担当:佐々木, 今野,伊藤)
- 市営住宅の入居に対し,議員に頼めば即入居と言った人が実際に入居でき
た。「納得いかない気持ちです」皆困っているのだから公平にしてほしい。(61
才 2人暮 担当:藤井,高坂,西畑(律))
- 深江のショッピングセンターで店を出していたが,全壊した。出店の人達
は皆店を手離し, ,公社が 14 階建を立替えるが,再び店を出すには
1400万円 必要と,そんな力は私達には無い。(61才 2人暮
担当:藤井,高坂,西畑(律))
- 仮設住宅が空いてるにもかかわらず使用させてくれない。(61 才
2人暮 担当:藤井,高坂,西畑(律))
- 土木一般を経営していたが,震災時に機械などが全壊し仕事をなくした。
景気低迷の為,立ち上がりが出来ない。現在は友人の差し入れで生活しているが,
いつまでも続けられない。義援金
40万弱では2年半の生活は出来ない。300万ぐ
らいの貸付けは保証人なしでしてほしい。友人も又,被災者であり,その人達は
自分の事で精一杯,頼めない事ぐらい理解してほしい。国会議員や地方議員はあ
てに出来ない。感想:「神戸の行政は止まってしまってる」印象的でした。決定
権をもっと身近に置く必要を強く感じました。 (55 才 2人暮
担当:藤井,高 坂,西畑(律))
- 45年間働いて新築した家が,地震で無傷だったのに火災で全焼。火災保険
に加入していたが,保証は少ししかなかった。早くに非難した人が多かったので
近くで出火した際,初期消火が間に合わず大火になってしまった。またバケツ1
杯の水もすぐに出なかった。あの火が消せていたら・・・。都市計画の為,自分
の土地を公示価格で買い上げてくれたけど,それでは新しい家は手に入らない。
私は自分の住みたい所へは帰れないと言っていた。市営住宅は立替え出来たら,
元の住民はそこへ戻れる。公平ではない。受皿のない私達はいつまでも置き去り
になる不安をかかえている。(65 才 2人暮
担当:藤井,高坂,西畑(律))
- 公営住宅は老人や生活保護受給者にはなかなか当たらない。審査の時,家
賃が払える収入のある人を優先しているのではないか。(60才 1人暮
担当:吉田,長崎,矢萩)
- 仮設は収納スペースがなくて,物置の中で生活している気がしてイラつく
事がある。ずっと家の中にいたらおかしくなってしまいそう。友人で公営に当た
って入ったが,孤独死した人がいる。「入りたくない,入りたくない。」と言っ
て出ていった人なので心配していたところ。ショックだ。(?才 2人暮
担当:小畠,高橋,津田)
- ここで終わる。お墓にいった方が・・・。無我夢中の2年。希望はもう捨
てました。子供を結婚させて,1人住まいで地震にあい,何もかもなくした。娘
も来てくれていたが,意見が合わなくて・・・。またまわりの人が良く判らず友
達ができない。(長田の人に知り合いがいないので)ふれ合いセンターもあまり
行かない。(82才 1人暮 担当:武内,誉田,国安)
- 20年以上すんでいた文化住宅は全壊。その後区画整理にかかって再建させ
ず。公営に早く入りたいが,年齢の関係か中々当たらない。元気なので働きたい
が職がない。職安に行っても仮設に住んでいるというだけで相手にされない。差
別ではないか。 収入は娘さんからの仕送りで・・・。(58 才 1人暮
担当:八 幡,加畠,小林(弘))
- 40〜60代の男性を最重要に考えてほしい。男性というのは家に閉じこもり
がちで,人と接する機会が少ない為,アル中になってしまう。精神的なケアが必
要。(78才 2人暮 担当:黒井,永安,石川)
- 長田区の小さな敷地が残ったが,共同で住宅を建てる話し合いをしている。
しかし,話し合いが進んでいない。ご主人は有料道路の料金所で勤めているが,
年齢が高いため今月中に退職しなければならない状況で,本人はまだまだ勤めを
続けたいと思っており,新しい職場を探さねばならない。住宅建設の費用が多額
に必要で,それが最大の悩み。(65才 2人暮
担当:西畑(稔),唐牛,安村)
- 最近,犬がまよいこんできたので飼っている。今日犬のために犬小屋を買
ってきた。現在,失業中。預金で生活している。(足が調子悪い。)個人的な事
は聞かれたくないような,かなりナーバスになっているように感じた。子犬をか
わいがっているようなのだが,キャンキャンとなく犬を空ペットボトルでボコボ
コたたかれていて,何だかそれでストレスを発散させているように感じた。自分
がちゃんと訪問の主旨とかを説明できなかったのがとてもくやまれます。(30代
1人暮 担当:田中,川瀬,小林(好))
1997. 6. 21 訪問、ルス訪問
- 病気で困っています。お金がない事も困っています。福祉の援助を受けているが、限りがある。以前は、花屋の商売をしていた。福祉の方では、1日も早く仕事を探して復帰する様に言うが、年寄りでは、なかなか職がみつからない。また花屋での借金があり、生活保護の中から少しずつでも返しているが、なかなか・・・・。お金に不自由している。震災後、嫁はうつ病で人との会話があまりできない。だか゛嫁がいる事が唯一の支えになっている。感想:御夫婦の暖かい心に触れ、心暖まるひと時でした。お二人で苦しみを乗りこえ、早く花屋さんを再会できる日を心よりお祈りします。(57才.2人暮:担 石田・丸笹・本田(に))
- ただ早く地元の住宅に入りたい。何度も落選してる。「どうせ貧乏人は、当たらない様になっているんでしょう」とポツリ。またこの辺は寂しい所。ちょっとそこらへんを散歩するという気分になれない。特に夜などは、一人で外出できない。まして最近は気持ちの悪い事件が起きてるし・・・・。(60代.1人暮:担 赤西・内海・高橋)
- 地震の時は、実家(奄美大島)の結婚式に行っていた。震災1週間後に兵庫区へ帰って来たら、家は全焼で荷物もとり出せなかった。(..?才.2人暮:担 花島・藤原・松澤・阿部)
- 家族は、夫婦と犬(ヨークシャテリア)一匹。公営に入ると飼えなくなるのがつらい。何とかならないか?。住宅申し込みは、さっぱり当たらず気持ちが焦る。ただ仕事(AM5:00〜PM1:00)があるだけマシと思ってる。仕事をしていると気が紛れる。ここに一日中いると気がおかしくなる。もう東灘には、帰れない。だからあのあたりには、足を運ばないことにしてる。(50代.2人暮:担 赤西・内海・高橋)
- 人と話すことがあまりないので、来てくれてとてもうれしい。今の官僚は、公僕なのに服務違反をしてる。まったく・・・。現在は高校生と文通している。高校生は純粋なので、こちらが教えられて、勉強になることが多い。(83才.1人暮:担 加藤(純)・木村(茂)・佐沢)
- 主人は1月31日に手術し、肺を1/3切除したが、いまだ完治してない。2人住まいでも部屋はいっぱい。隣に空きがあるなら貸して欲しい。それに蛍光灯のカサが壊れたり、押入の中段が下がり修理したいが、かってに直して役所に文句を言われるのも困るし・・・。欲しいものは、いくらでもある。でも言っていたらきりがない。でも・・・とりあえず落ち着きたい。(69才.2人暮:担 加藤(純)・木村(茂)・佐沢)
- 一人暮らしで腰痛のため、あまり外に出られない。だから訪問を大変喜んでくれた。長田の公営住宅に当たったが、これから建設するので、移転は2年後になるそう。明るい方で前向きの気持ちをもっていられるが、外に出ることが少ない為、お話相手を欲しているのが良く判った。金曜日以外は在宅との事。またお話できたら・・・・と思う。 (69才.1人暮:担 杉谷・小島・長船)
- 今、テレビ等でやっている公的支援の話だか゛、引き伸ばすだけ引き伸ばして廃案にするつもりじゃあないかと思っている。日本はよその国には援助のお金をたくさん出すのに、自分の国には、何もしないことが腹がたつ。義援金は仮設への引越で使ってしまった。また市営へ引っ越すだけでも数十万かかる。引っ越せばそれなりの家具や必需品を買い足すことになるので、100万ぐらいは最低でも必要と思う。せめて、それぐらいあれば随分助かる。(53才.2人暮:担 盛本・木原・伊藤)
- 息子は大学生で、卒業論文を作成する必要があるが、仮設に住んでいると勉強ができないので家を借りている。その家賃を払う為に塾のアルバイトをしてる。息子さんの世話を何かとされているが、ご本人も胃がなく、食事は流動食に頼っている。「何の為にこんな生活をしなくてはならないのか?」と何度も繰り返し言っていた。「雨露がしのげるだけでもましだ」でも「ずうーっと我慢我慢の生活を続けている。こういう状態の被災者もいるんだという事を、議員達に伝えて、訴えて欲しい。(61才.1人暮:石田・本田(に)・丸笹)
- 糖尿・肝臓・心臓・じん肺などいろいろ患っている。7〜8年入院していた。呼吸がしにくく、薬を飲んでる。足も悪く、以前は松葉杖を使っていたが、今は無しで、歩けるようになった。国民年金・労災・障害年金でやりくりしているが、それでも苦しい。役所は税金を取ることばかり考えている。(78才.2人暮:担 花島・藤原・松澤・阿部)
- 避難所では、4〜5日前のおにぎりを食べ、学校のプールの水も飲んだ。震災時、頭にレンジが当たり、クモ膜下出血で意識不明に・・・。ちょっと見たところ元気そうだが、左耳は聞こえず、鼻も、味覚も判りにくくなったそうである。(56才.1人暮:担 小野・亀井・長崎)
- 左膝が悪く、右目は白内障。食事は近所の人が来て作ってくれる。買い物にも一緒に行ってくれる。(84才.1人暮:担 川口・佐々木(公)・矢萩)
- 公営住宅に入居希望ですが、年齢が若いせいか落選ばかり。子供でもいれば、もっと早く当選できるのでしょうが。(2)私達2人は、入籍せずに長い間一緒に暮らしているのですが、市住等に入居する場合に、いろいろ問題が出てくるのかと心配です。(3)主人は目と耳に障害があるので、一人でいる時などは、犬がいないとどんな事があっても気がつかない。(例えば火事など)前回の県住でも、ペットOKの募集戸数が少なすぎます。もっとたくさんのペットOKの住宅を作って欲しい。犬と住める公的住宅に一日も早く入居したい。(4)生活再建支援金を支給して欲しい。仮設生活の今でさえ生活は非常に苦しい。住宅という入れものさえ作っておけば、それでいいっていうわけじゃあない。その中に住む人が普通の生活を送れる様になってこそはじめての復興です。(38才.2人暮:本人自筆)
- 家も土地も自分のもので、半壊だったが元に戻す資金がなく、土地も家もあきらめ手放した。元いた処のことに話がふれると涙ぐまれ、うつむかれたがもっともっと辛い方がいらっしゃるのだからと自分自身でふっきっていられた。(70才.2人暮:担 米本・井手上・坂本)
- 高所恐怖症で高い処には住めない。(1〜2階までは大丈夫)。低い階があるかどうか、TELで聞いても、人によっては有るという人もいたりして、返事がまちまちで判らない。もっと確かな情報を提供して欲しい。これが最大の悩みです。(54才.2人暮:本人自筆)
- 傷害保険と生活保護で生活している。(片肺と肋骨7本がない)震災前も12年間入院していた。2番目の兄さん(宮崎県在住)とだけは、連絡を取っている。他の身内とは音信不通。この2〜3ヶ月の間にふと死のことを考えることがある。市からの訪問者がきても2〜3分話すだけだが、こんなにも長く話したことはなかったと喜んで下さいました。(61才.1人暮:担 大島・富野・吉野)
- 震災で自宅は全壊。土地はあるが、長男名義になってるため、売るに売れない。土地を売ってせめてマンションの頭金にしたい。年金暮らしだが、それだけではやっていけないので、生活費は娘が負担してくれている。生活保護を受けれるかどうか相談したい。日が明るいうちは大丈夫だが、日が暮れると仮設周辺は、住宅も少ないので物騒で恐い。防犯ベルをもっている。「いつまでここにいるのだろうか・・・・。でも絶対ここで死にたくない!!」と、とても印象の残る言葉でした。(80才.1人暮:担 寺野・浦口・清重(直))
1997. 6. 28 再訪問
- ふれあいセンターにも、あまり行かない。仮設の人達と近所づきあいもない。外科に通院して、多くの友達とおしゃべりしているのが楽しみ。「公営住宅には、ぜんぜん申し込んでいません。最後まで残るつもりです。」と言った言葉が印象的でした。1人暮しで本当は寂しいと思う。(とてもすごいいきおいで、お話をされていた。)いつ死んでもいいようにお墓とお葬式代を用意してますと・・・・(82才.1人暮:担 清重(智)・長崎)
- チューハイを1日10缶呑んでいる。「酒呑みながら死んでもそれでよい!」などの言葉も出た。(56才.1人暮:担 岡本・白岩)
- 視覚障害者(1級)。協同病院に月1回通院し、週1回ヘルパーさんと一緒に買い出しに行く。他に仮設に知り合いもなく、空き家も多いので挨拶をする位の人間関係しかない。夜中1人寝るのは寂しい。いつも午前1時頃から起きている。TVも若者向けでなじめず、1人でラジオを聞いている。死んだ御主人の借金(国民金融公庫)を、月5,000ずつ返している。孫が名谷の小学校に行っており、こんな時だから心配で来いとも言えない・・・・。(69才.1人暮:担 赤松・小林(弘))
- たまにコーヒーを飲みに出かける程度で、ほとんど家にいて、TVを見たり、本を読んだりしている。家にあがってくれと何回も言われたが、時間がPM5:00にせまっていたのと風が強く台風が近づいてきたようなので断りました。残念。足が悪く、ささえがなければ立つのもしんどいとの事だった。(86才.1人暮:担 小城・林・立花)