7月12日訪問
- 被災後和歌山の友人を頼って避難していたが、仕事がなかったので帰ってきた。仮設も市街地はダメだが、ここなら入れるというので来た。しかし、ここでは仕事ができない。西宮・尼崎の方では仕事がたくさんあるので、社会復帰するためには、やはり、元の生活に近い場でなければならない。東灘の方の仮設に移りたいと思い、住宅相談窓口へ行き責任者の方に話を聞いてもらったが・・・。いつまでたっても返事がない。今でも運動を心がけ体力づくりをしているのに。(55才、一人暮らし、担当:白岩、亀井、丸笹)
- 周囲も人が少なくなってきたので、寂しくなってきたところ。来年4月の引っ越しが待ち遠しい。(70代、一人暮らし、担当:矢萩、井上、石田)
- 隣の男性はアル中で今年3月に死去。在命中はテレビをつけっ放しで、物音を立てると壁を蹴ったり、相当荒れていた。死亡後1カ月して発見されたが、テレビがつけっ放しで死臭もなかったので気が付かなかった。家族の方が来て後始末をきちんとしてくれたので良かった。ふれセンが閉まったのが寂しい。カラオケやいろいろ楽しみがあった。自治会もなくなり、ケアする人もいないので不安だし、寂しい。(69才、一人暮らし、担当:石田、井上、矢萩)
- 健康だけが取り柄で頑張っている。中央市場への通勤の便が悪く辞めた。現在は工事現場での土木作業に従事(会社の車で通勤)。市営住宅は申し込んでいるが、なかなか当たらない。(42才、一人暮らし、担当:矢萩、井上、石田)
- 直腸ガンの手術後、人工肛門をつけられ毎日洗浄している。また、食事療法も欠かせない。右腕が19才の時にリウマチで不自由に、体にも手術の傷跡があり動きづらい。震災前に住んでいた中央区は40年以上も住んでいて近所とのつきあいも深く、現在もいろいろ支援して下さる人がいてありがたい。夫が亡くなってから1年間はここで納得して生活していたが、2年目にはいるとだんだん気が滅入ってきて、早く中央区へ帰りたいと願う毎日です。(75才、一人暮らし、担当:矢萩、井上、石田)
- とたん塗りの仕事で日給生活なので、こう雨が続くと仕事がなくお金がない。神戸市にかようのに朝早く、無理があるので仮設を市街に変えてと言ったが「1回入ってもらった仮設は変えられないんです。」と市の人に言われた。市の関係者は早く仮設を出たり、いい市営に当たっている。「ズルイ!こいつらは俺達の税金で食わしてやってんのに、なぜ?」と怒りの気持ち。市の奴は「じゃぁ、姫路方面で仕事を見つけたらいいんではいですか」と言う。本当に誰のおかげで食わせてもらってんのか!!(30代、一人暮らし、担当:加藤、藤原)
- 住民がマナーを守らないです。自治会がなくなってよけい酷くなりました。公営住宅の説明会では、あなたは高齢者で年金生活単身者だから入りやすいでしょうといつも喜ばしといて落選・・・。当たった人達を見るとひがみかもしれませんが、えこひいきがあるように思えてなりません。少ししかないお金でやっと生活だけはしていますが、お金が欲しいです。先日神戸の被災された大勢の方達が一生懸命になって義援金のことで頑張っているのをテレビで見て感激しました。みんな同じ気持ちやなーと。上の人達は私たちのことを惨めさを判らないと思いますが、この虚しい気持ちを察して、せめて申請の半分でも恵んで下さい。(80才、一人暮らし、自筆)
- ここは皆様が見られたとおり、現状は西部劇のゴーストタウンのような有り様です。
- 車8台捨ててあります。
- 捨ててはいけない場所にふとんが4〜5枚。ゴミ袋が山のよう。生ゴミまで・・・
- 雑草で夜通行するのに恐ろしい状態です。
- ゴミは毎日捨ててあります。
- 何かあった場合、連絡するところがありません。(自治会無し)ふれあいセンターは閉まったまま。
- 空き部屋が多くなってきましたが、生活能力のある方々が出られ、老人で独り者ほど残っているように思えます。弱者のひがみかもしれませんが、一度参考までに調べて下さい。公平な抽選の結果とは信じられません。残っているものも皆、精神的にまいっております。明るさ活気がありません。何とか少しでも街らしいものにしたいと思います。行政でも交代で誰か来ていただいたら良いかと思いますが無理でしょうか?(74才、一人暮らし、自筆)
- 親しい人2〜3人で焼き肉やカラオケ屋に行って楽しんでいる。しかし、近所の人もいなくなり寂しい。ふれあいセンターも閉まっている。早くここを出たい。2度の災害も立ち直ってきた。今回もこれから第一歩が始まると思っている。これからもやることがいっぱいある。いいことがあると思ってやるしかない。(80才一人暮らし、担当:武内、木村(俊))
- 震災後、上の娘の家(明石) にいたが、娘がボランティアで神戸に入り、腰を悪くして、もう面倒見れないと言われたときは涙が出るほど辛かった。その後、下の娘のマンションにいてここに来た。近所のおばちゃんが復興住宅に入ったが寂しいとしょっちゅう電話をしてくる。前は寂しいので神戸へよく行っていたが、JRを使うと毎月4万ほどかかった。今は無料パスをようやく使えるようになった。ここへ来てずいぶんストレスがたまった。しかし、空気はいいし、野菜が安く手にはいるので気に入っている。(72才、一人暮らし、担当:内海、小林)
- 自宅が全壊。自営していた建築会社も倒産した。妻とは自分が抱えている借金があまりにも多いので別れることにした。感情がこじれて別れたわけではないので、借金が返せて生活が立て直せたら呼び戻したいと思っている。こどもがいなかったので、その点だけは助かっている。食べることには困っていないが、借金返済の目途が立たないところへ健康も害して仕事をできる状態でなくなり、先の見通しがまったく立たず、お先真っ暗である。ここで死ぬのを待っているかのように思えることもある。全く何かしようという気力がわいてこない。どん底だ。避難所でボランティアをやっていた。小さな子供ががれきの下に埋まっている両親のことで泣きながら助けを求めていたので、暇そうにしている警察官に声を掛けたが、上との連絡が付かないとの理由で動こうとしないし、避難所で声をかけても100人いる中で呼応してくれたのは、たった1〜2人だったのがショックだった。避難所でも動く人とやってもらうのが当たり前になる人にハッキリわかれてしまって虚しさを覚えた。日頃から信じていた人達も、震災後の姿で本当の姿があらわれ、裏切られたような気持ちになった。震災後の体験で全く人生観が変わってしまった。この仮設ではまともに話しができないような雰囲気がある。自分のところには一切ボランティアが来たことが無く、今回初めてである。人との関わりは両親や妹家族のみである。(44才、一人暮らし、担当:赤西、盛本)
- 親も姉も亡くなって居らず、今の生活の中で倒れたりして体が不自由になったらどうしようと不安になったりしてストレスがたまっている。今は新しい住宅に入るまでは頑張るつもりでいる。(55才、一人暮らし、担当:西畑(稔)、赤松(由)
- 市営住宅に補欠で当たったが、それっきり連絡がなかった。こちらから連絡しても「調べてみます」と言うだけ。ふれセン、電気も止められて、子供のおもちゃもテレビもない。「早くでていけ」と言わんばかりだ。今、住民は皆閉じこもっている。「いつまでもいようとは思わないけど」自治会がないから話すところもない。(?才、3人暮らし、担当:長船、山本、小波本)
- 人はみんなわがままになってきていると思う。それぞれが自由に振る舞っていると、いつかきっと痛い目に遭うと思う。みんなが少し我慢したり、気をつけたら解決することもあると思うのに。(70才、一人暮らし、担当:津田、丸笹、立花)
- ふれあいセンターが閉まってから、皆が好き勝手にやり放題で、もうむちゃくちゃだ。俺が何とかまとめたいと思ったが無理。今は酒を飲むことしか楽しみがない。でも、自分には仕事もあるし大丈夫。ボランティアの者は相手の目をしっかり見て話しを聞く姿勢が必要だ。そろそろボランティア活動をしたいと思っている。西区のボランティアセンターへ問い合わせをしようと思っていた。時間がとれれば「週末ボランティア」にも参加したい。(48才、一人暮らし、担当:赤西、盛本)
- ふれあいセンターが開いていないため、避難する場所が無く、あっても歩いて10〜20分かかるところです。私どもの家庭には身障者がおり、台風などで「危険、いますぐ避難しなさい」と言われた時、対処することが難しいです。早めに連絡、電話などが欲しい。市の方、週一度でも集会所を開けて皆の意見を聞いて欲しいです。年取った人、足の悪い者は困っています。(47才、自筆)
7月19日訪問
- 今までタクシーの運転手をしていたが、目が悪くなったため、クビになった。去年の暮れ血圧が上がった。その後遺症か?今は失業保険で食べているが、ずっと家にいるため「ずぼら休日やろー」と言われるのが辛い。後2年半で年金をもらえるが、失業保険も今年12月で切れる。その後どうしたらいいのか?今、健康保険証も持っていない。(58才、一人暮らし、担当:星加、内海(貴)、長船)
- 望むこと。1.住宅の確保。2.交通の便(買い物バス)3.ふれあいセンター活動度増4.健康管理(老人)、市の訪問の徹底。5.交通事情が非常の悪い(バス料金も高い)6.病院が近くにない。(74才、一人暮らし、自筆)
- 家だけ変わってもふっこうでけへん。土建とか全然仕事がなくなっとる。仕事がないと食われへんし、復興にならへん。今、大きい仕事は大阪の土建屋ばっかりで神戸の業者に仕事がこえへん。復興は早かったけど、神戸の人は泣いている。家賃がただでも高速代払ったら月4万ぐらいかかる。長田に移らしてくれへん。これじゃあ仕事にならん。なんぼ言うてもあかん。病人、老人を大事にせなあかんけど、仕事を一生懸命やるもんも大事にして。若いもんが働けんと年寄りも助けられん。いざというときに仮設で相談に乗ってくれる人がおらん。救急車を呼ぼうと思うぐらい具合が悪かったとき、福祉に相談すると「今から役所に来い」と。こんなことしてて、半日経って死んだらどうするねん。夜ここの仮設は無法地帯や。鍵かかけてても力尽くでこじ開けたら簡単に開いてしまう。若い者とかが空き家でシンナーすいよったり・・・。警察も役所もみんな考えて欲しい。机上で福祉や何や言われても困る。殺人事件が起こってからでは遅い。「政治家はきれい事ばっかりいうて自分のためばかり。国民のために命かけてみい」きれい事、立て前ばっかりで国がおかしくなっている。(55才、2人暮らし、担当:星加、内海(貴)、長船)
- 去年の1月入居したが、外に付いている湯沸かし器から水が漏れ、使用不能となっています。元栓を止め、ふれあいセンターを通し、修理を依頼したがまだ来ていない。1年半近く使用不可能です。現在は携帯プロパンを使用。風呂も明石市内の銭湯に通っています。(59才、自筆)
- 主人は胸部打撲で震災当日は気が張っていたため元気であったが、23日市民病院へ行くと断られ、国立病院に行くように言われた。妙法寺の病院の紹介で国立病院に入院したが4月23日に亡くなってしまった。病気などしたことない人だったので信じられない気持ち。(一人暮らし、担当:瀬戸、西川、藤原)
- 犬5匹と暮らしている。首・胸・腰・足を震災で打撲。当日、友人に助けられ病院へかつぎ込まれた。今もリハビリのため通院中。犬5匹の世話をしなければならないので生きてきたが、そうでなければ自殺していた。兄も先日亡くなり、7人の兄弟もどんどん少なくなっているので哀しい。(一人暮らし、担当:瀬戸、西川、藤原)
- 小さい頃に足を悪くされ、膝の半月板を取っており、歩くのが少し不自由。つい4、5日前、仮設の外を歩いているとダンプカーがそばを通り、その風にあおられて田圃の中に落ち、錆びた釘を踏んでしまった。包帯をされていたが、足が腫れており、ますます歩き難くなったとのこと。公営住宅は申し込みもややこしいし、今でさえ生活はやっとの暮らし。結局、最初一度申し込んだきり。引っ越しで残された飼い猫が半野良猫となっている。部屋が暑くて入り口を開放すると勝手に入ってきて部屋の中を荒し回り、食べ物をあさっていく。(74才、一人暮らし、担当:丹野、水野、寺野)
- ここは社会の縮図だからいろんなものを見てきた。でも人間って不思議だと思う。何がなくても何もないところからでも生活してゆける。今はたまに友達と食事するのが楽しみ。9月の公営募集は当たると信じている。こんなところにいて前向きに考えていないとみじめになるでしょ。今まで一回も申し込みしなかったが今回に全てをかけている。復興住宅のパンフレットは何度も開けたり閉じたりしたので、ボロボロになっていた。目を輝かせて説明してくれた。(76才、一人暮らし、担当:小林(弘)、長崎、加藤(純))
- センターを開けて自治会らしきものをつくって欲しい。何かあったときに言いに行くところがない。秩序がゼロ。やってくれるような人もいない。やくざのような人ばかりである。台風の時のロープは自分で張る。みんなが孤立している。みんなで和気藹々という感じはない。(68才、一人暮らし、担当:加藤(純)、小林(弘)長崎)
- 地震で倒れてきた壁で右肩を打撲し、最初はただの打撲だと思って医者へ行かなかった。一年ほど経って右肩が腫れてきて医者へ行くと「もう手術しても治る保証がない」と言われた。去年の2月頃右目が見えなくなって大型の運転手を辞めた。その後、ガードマンの仕事をしたけど右目がさらに悪化。3カ月で辞めた。(目が悪くなった原因を医者に聞いても教えてくれない)今、生活のリズムが変わって夜ぐっすりと眠れない。早く公営住宅に移りたい。親戚の兄弟も散り散りになって連絡先がわからない。本当に孤独。1日、テレビを見るしかなく何の楽しみもない。頭を使うのは「今日、何を食べるか」ぐらい。話し相手もなく話すことを忘れてしまう。震災で本当に生活が一変した。(62才、一人暮らし、担当:矢萩、小野、西上)
- 子供が夏休みに入りました。去年は祭りがあり、今年はないそうです。みんな楽しいのでやっぱり祭りをして欲しい。他の仮設で櫓を建てるのを見るといいなと思います。またふれセンを開けて欲しいです。開ければ人の輪ができてちょっとでも話しができると思います。(34才、一人暮らし、自筆)
- ふれセンが閉鎖して住民の休憩場所がなくなったような気がする。市がふれセンを週2回開けてくれると言う話しだったので、ふれセンの閉鎖を私たちも反対しなかったが、市はその後全く開けていない。何とか開けられないものだろうか?市は住民を不安にさせるようなことばかりする。住民であるのに住民でない。まるで島にいるようだ。またボランティアの訪問も減ってきたよなきがする。窓口である自治会がないせいか?主人は震災の時頚骨を損傷したため、頭痛等の痛みが激しく、毎日通院している。同じ姿勢でいると気分が悪くなるので仕事ができない。(29才、3人暮らし、自筆)
- 犬の散歩中に転んで2カ月入院。退院したばかり。身よりのない一人暮らし。通院ができない。バスの乗り降りがうまくできないので。タクシーで5〜6千円かかるのでよほどのことがないかぎり通院できない。両隣がいないので不安。夜が大変寂しい。電話もない。将来引っ越しをどうしたらいいのか?(75才、一人暮らし、担当:山本、大塚、立花)
- ここは何かあっても救急車が即来ない。いたずらが多いためらしい。また、ここに住んでいるのがわかると、なかなか職に就けない。あまりに不便なので辞めたり休んだりすると思われるらしい。(48才、一人暮らし、担当:桜田、山口(里)、前田)
- くも膜下出血で身体は大変な状態。1血年半病院通い。今もリハビリ中。涼むところもなく、クーラー代もバカにならないし、早く公団に当たり身体が回復するのを待っている。去年8月頃から生活保護を受けかつかつの生活をしている。(43才、一人暮らし、担当:田中(勝)、山口、坂本(佳))
- 地震3日後に救出されたが自分以外の家族は全員亡くなった。病院に一年6カ月入院し、足を4回手術した。バスに乗るにも2、3段のステップにもたもたして乗れない。最近は自転車でリハビリに行っているが、行き30分、帰りに2時間かかるのでほとんど行っていない。去年訪問したときと変わらず、今回も戸口までなかなか出て来れない様子でした。指先の力は紙の花や蝶を作ることでだいぶん戻ってきた。指先を使ってできる内職でもないかと言われた。やっとここで知り合いもできたし、今すぐこんな体で街に戻ったところでやっていけない。ここでよくリハビリしてから戻るつもりなので公営住宅に申し込まないと言われた。(48才、一人暮らし、担当:山本、立花、大塚、小林(好))
- 私は両膝関節症によって長く歩くことができません。兵庫区におりましたときは1週間に4、5回通院して、これ以上悪くならないようにしてきましたが、ここに来てからは週に一回か二回でいつも足が痛くてたまりません。公営住宅も当たらず、このままでは車椅子の生活になります。どうか病院の近くの仮設住宅でもいいですからかえてください。入れて下さい。(65才、一人暮らし、自筆)
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