8月2日訪問
- 視覚障害で自宅で針・灸の仕事をしている。公営住宅では往診はできるけど、自宅営業は出来ないらしく困っています。お客は40〜50代の人で安くしているので食べるのがやっと。(20代、一人暮らし、長船、佐沢、杉谷)
- 自分の土地が狭く、建坪率60%のため、建築許可がおりない。また2階建てにすると日照権の問題が出てくる。公営の申し込みは考え中である。今まで団体生活(団地に住んだこと)がないので不安。(83才、2人暮らし、担当:小波本、佐藤(由)、坂本)
- 私たちが黙っていると行政は何もしてくれない。自分たちのことは自分たちでするが行政に言わないといけないところは言っていかないと、と言うことがわかりました、政治が悪いことをやっていても黙っているのはふに落ちない。積極的に行政に被災地のことを訴えていくつもりです。普通に生活していてこんなに税金も納めてきたのに何故こんな不公平が起こるのでしょうか?(75才、3人暮らし、担当:赤松(由)、藤原、佐藤)
- 母が92才で特別養護老人ホーム(岩岡方面)でお世話になっている。毎日世話に通っている。おしめの取り替え、昼食時車椅子で移動と病院に行っても細々としたことがたくさんあります。自分の体が持つうちは大丈夫だが私がダウンしたらどうなるのかと心配です。(72才、一人暮らし、担当:赤松(由)、藤原、佐藤)
- 自宅は全壊。仕事場は助かったが倒産してしまった。周りが被災を受けたから。瓦礫の処理で頑張ったのは夫なのでどんなわがままをしても辛抱していくつもりですと奥さんは言われた。地震後ご主人は寝たきりになり奥さんやこども達以外と話しをしなくなった。薬を飲む前はいい夫だったのに人が変わってしまった。私ももう限界ですと奥さんは言われた。娘さんや家族の中でただ一人働いている。家族全員が精神的にまいっている。夏祭りにはご主人を連れ出す予定。私たちが来たという事でご主人、息子さんも起きてきて「ありがとうございます」と自ら言って下さった。(55才、4人暮らし、担当:赤松(由)、藤原、佐藤)
- 体を横にすると胃や肺の辺りをぎゅっと締め付けられたように痛む。これは震災前からの病気で外から見てもわからない。この病気のために仕事も辞めた。外から見ると何の支障もないように見えるので他人には「何ぶらぶらしとんのか」と思われると思う。でも、最近はどう思われてもいいと割り切るようになった。(54才、一人暮らし、担当:小川、立花、坂本(佳))
- 19才で結婚、20才で出産。夫、息子は戦死。遺族年金と国民年金で経済的には安定している。震災後腰を悪くし、左目打撲で視野が狭くなった。物忘れも酷くなり、さらに最近、ヘルペスにかかり、さんざんだ。震災で本当に大変な目にあった。特に物忘れがひどくなったことが一番哀しい。(79才、一人暮らし、担当:瀬戸、羽田、大戸)
- 中央区に土地は少しあるけど都市計画があるので建てられない。中央区の病院に通っているので、その近くの公営に申し込むが2回はずれた。3回目に挑戦するとのこと。「当たりますように祈っています」と言うと、涙をぬぐっておられた。(76才、2人暮らし、担当:長船、杉谷)
- 今回の地震は災害でまたこんな目にあったのは我々だけではないと思いつつも、だんだん世間から忘れられ、今どんな生活をしているのかも阪神地区以外で考えて下さる方たちが少ないと思うと・・・。国や政治が悪いことをしても悪いと思わず、改善の声ばかり。国民は皆平等なのではありませんか?困っている人には福祉が手を差し伸べていますが、これからこの年で苦しい再建を考えなければならない者達への援助も考えていただきたい。重ねてお願いします。不正を断てない行政の責任者はどこをむいて仕事をしているのでしょうか?(75才、3人暮らし、自筆)
- 年金でぎりぎりの生活をしている。生活保護の受給をできないか相談したが、基準をオーバーしているため、ダメと言われた。生活保護を受けている人は保険や医療費で手厚いほどを受けて生活している。行政の対応に不公平を感じた。震災前、築後10年の中古住宅を購入したが一度風呂に入っただけで全壊。借金だけが残った。家財道具もなく年老いて僅かな年金で生活している状況では隣近所とも親しくつき合えず、孤独で、ましては仮設内でいじめにあってしまっている。(73才、一人暮らし、担当:井手上、西畑(稔))
- 最初は「お客さんが来るから」と煙たがられていたがぎこちないながらにもお話しをお伺いするうちに徐々に心を開いてくれ話が弾むようになった。何よりも決定的だったのは仮設の方と私(十河)の出身地が同じ岡山であったことだ。これを契機に私たちに親密に接してくれるようになった。私たちを見送ってくれるときは豊かな暖かい表情になっていてとても印象的だった。「友達が一人増えて嬉しい。また遊びに来てね」と言ってくれて私たちの存在を大切に思ってくれている人がいると思うと嬉しかった。(77才、一人暮らし、担当:十河、山本、矢萩)
- 母は痴呆状態がひどくなり、昨年7月に姫路の施設へ。仮設に来てからは徘徊がひどくなった。(48才、一人暮らし、担当:十河、山本、矢萩)
- 4回も市営に申し込んだのに当たらない。ここの仮設も4回目でようやく当たったのにいったいどうなっているのか?当たっている人はすぐ当たっているのに私ら一人暮らしは当たらない。「今度当たらなかったら自殺するわ」笑いながら言われたがこれは本当に心の叫びだなと感じた。私たちも「何言ってるんですか」と笑いながら流そうと思って必死だったが、さらっと流せる言葉でないと思う。(75才、一人暮らし、担当:津田、長崎、川口)
- こないだの台風で部屋の入り口は水浸しになるし、電気はとぶで大変だった。やっぱり仮設だし造りが悪いなと感じた。公営は高齢者優先とか言いながら全然当たらない。抽選しているところを公開していないし内密な部分が多くて疑ってしまう。(2人暮らし、担当:津田、川口、長崎)
- 今は健康であるが、毎日少しづつ自信が無くなっていくような気がします。市営を申し込んでも当たらないのは老い先短い人間より望みのある人達に住宅を与えなくてはと考えているのでは・・・とか、子供と一緒に生活しても、若い人に気の毒になるし・・・などと考え込む毎日です。(76才、一人暮らし、担当:林、川端(昭)、寺野)
- とにかく仕事をしたい。俺は技術をもっとる仕事やから(多分、造船)サラリーマンと違ってむこうから「明日来てくれ」って声がかかる人や始発のバスに乗ってちょっとの間頑張っていっとったけど、やっぱりまにあわん。体まで壊してしもたし、そうしてると仕事したくてももう声がかからんようになった。連絡こーへんね。俺は65才までは働きたい人や。でもここじゃ無理や。まともに昔みたいに立ち上がるにはここじゃ無理な人や、体が悪くなったから「しょうがない」ってあきらめも付いたけど、これで元気やったら耐えられへんやろな。(59才、一人暮らし、担当:尾上、岡本)
- 落ちついてきたけどよけいに後遺症が出る。あの日のことは忘れられない。(77才、2人暮らし、担当:尾上、岡本)
8月9日、16日
- 前回留守だったのは「入院中」とのこと。「体調はあまり良くない。もうあきらめている。」かつて胃ガンの手術をして2/3摘出。その後、神経痛、高血圧などと病み、耳も遠くなった。鬱病もあり「睡眠薬をため込んでいっぺんに飲んだろうか」と思うことがある。ここにおったらイライラが募るばかり。住宅の担当者を食事で接待し、優先的に当選させてもらったという話しを聞いたことがある。年寄りが外れるのは何故?(70代、一人暮らし、担当:赤西、藤原、岡)
- ペットを飼える家が少ない。ペットも子供と一緒だから・・・。また、犬なりにわかっているから・・・。公営住宅を申し込むにも二の足を踏む。(30代、2人暮らし、担当:長船、田中、内海)
- 終戦間近に出征したが、満州からシベリア送りになり、当地で4年をすごし、ようやく日本へ帰ってきた。その後、会社勤めをしていたが、体調を崩し25年間の長い入院生活を送ってきた。全身の血管はボロボロで、様々な病気が進み視力もかなり衰えている。現在は、犬を散歩に連れていくことで前より健康的になった。今後の住まいも犬と一緒に住めるところを選ぶつもり。人生の大半を抑留生活と入院生活で送り、無駄にしてしまった。(71才、一人暮らし、担当:川口、脇山、羽田)
- 家は全壊だったが40坪の土地は残っているので、できることなら家を建てたい。市や県が少しでもお金を貸してくれればいいのだが、年齢や収入などで制限されてしまう。震災で倒れたお墓をきちんとなおした。立て直しただけで200万円かかると言われた。(71才、一人暮らし、担当:白岩、武内、亀井)
- アルコール中毒。8/7に退院し、快気祝いで飲んでめまいを起こし、救急車で別の病院へ入院。暴れたため、ベッドに縛り付けられた。翌日には退院と言われ帰ってきた。体をなおしたいがどうしても飲んでしまう。(52才、一人暮らし、担当:井手上、矢萩)
- 36才の時にくも膜下出血で倒れる。その後後遺症か右下半身にしびれが来る(5年前から)。朝起きてからだをほぐさないと動けない。仕事を探している。軽作業ならできる。(54才、一人暮らし、担当:井手上、矢萩)
- 神経痛であまり歩けない。だから行動範囲が狭くなり、近隣との友人、知人がほとんどいない。自分の子供には完全に見放された。訪ねても来ないし、あってもまともに口を聞いてくれない。早く死んだ方がええと思うことがある。(87才、一人暮らし、担当:赤西、藤原、岡)
- 胃ガンの手術をしたり、ヘルペス、リウマチと大変なことばかり。子供の家庭とうまくいっていない。心の痛みをわかってもらえず、何度死んだ方がいいか、仮設の横にある池に飛び込もうと思ったことか。ただ、お父さん(仏さん)を守りたいだけでつっぱってきている。(75才、一人暮らし、担当:藤沢、大滝)
- こうやってボランティアが訪問してきて話しをしあうことでとても心が晴れますとおっしゃっていた。去年までは元気だったけど、今年に入ってとても疲れたと感じている。周囲の方がどんどん転居されているからだと思う。震災前は一戸建てに住んでいた。仮設住宅で生活していくうちに、集団生活という者の心構えというもができたと思う。本当にいろんな人がいるのだということがよくわかった。(76才、一人暮らし、担当:原、小山、清重(直))
- ここに住んでいる者の中には認められないで自暴自棄になっている人がいる。認められないで閉じこもりっぱなしのひとがいる。だれかれ構わず話しをできる、そういう環境が必要や。ボランティアの方々とのふれあいが本当に嬉しい。「人に認められる」「私は世の中で何らかの役にたっているんだ」と感じていることが自殺しないですむことなんや。自分が生きとっても死んどっても、誰も喜び悲しみもせえへんと思うから酒におぼれるようになってしまうんや。(担当:赤松(由))
- 入居者の一人に少し問題があり、住民の生活がおびやかされ、辛い思いや傷ついた人がいる。それに対する行政の対応は全くダメで、とても不満が残っているが近くの派出所のお巡りさんがとても頑張って対応に努力してくれた。(66才、一人暮らし、担当:首藤、西畑)
- 今までボランティアが来ても「なにかないですか」と訪ねられるのが嫌でいつも断っていたが、今日は腰痛がひどく歩くことも座ることもできず、ホームヘルパーを頼みたいと泣きたいくらい思っていた。誰に相談したらいいかわからず、本当に情けないと思っていたところだったので来てくれて嬉しかった。(63才、一人暮らし、担当:首藤、西畑、井手上)
- 震災のために会社を辞め、今までの蓄えで生活している。年金がないので働きたいがシルバー人材センターへいって職を探しても70才までしかなく、なかなか見つからない。神戸で仕事がなかったら大阪に出て探そうと思っている。(72才、一人暮らし、担当:武内、脇山、小野)
- 自宅の解体の際、十分頼んでいたにも関わらず、突然解体が行われ、思い出の品やまだまだ使える生活用具など何も取り出せなかった。解体時の家主立ち会いもなされず、公費解体なのに60万請求された(勿論払ってはいないが)。むろん、謝罪などは一切なく、ずいぶん心を傷つけられた。(74才、一人暮らし、担当:武内、小野、脇山)
- 近所付き合いが苦手でフランクにできない。公営住宅へ友人が転居していき、「孤独死」を身近なこととして感じてしまう日がある。甲状腺で一時的に失語病となり、肺気腫の手術や静脈瘤、血圧、喘息などの病気を抱え不安を感じている。(74才、一人暮らし、担当:西畑、首藤、井手上)
- 福祉を断って仕事をしたいが、ここから仕事場まで遠く体を壊してしまった。福祉から抜けられない。篭に入れられた鳥のようだ。ノイローゼになることが何回かある。独り言を言いまくることもある。近所の人は頭がおかしくなったと思っているだろう。考えると頭がおかしくなる。こんな事生まれて初めてだ。(60才、一人暮らし、担当:東條、佐沢)
- クーラーの掃除を浦口さんにしてもらっている間に健康状態のこと、娘さん、息子さんのこと、仮設のこと、公営住宅申し込みのことなど話して下さいました。その後部屋の掃除とシャワーカーテンの取り替えをしました。身体障害2級ということで体を動かすのが辛そうだったのでお手伝いができて良かった。(一人暮らし、担当:岡、浦口)
8月30日
- 父96才の世話で忙しい。1日18時間寝ている。ヘルパーさんに週2回来てもらっている。私自身、目の手術をしたいが父を一人にできないのでそのままである。(60代、2人暮らし、担当:赤西、赤松(由)、小林)
- 今年の5月、脳梗塞で倒れ3カ月入院した。そのため左足が少し不自由になり、言葉もたどたどしくなった。せっかく復興住宅に当選したが、入院療養のために見送りになってしまった。(65才、一人暮らし、担当:赤西、赤松(由)、小林)
- 道路の植え込み沿いに住んでいるこの方でさえ草刈りボランティアに来た人達は、市の職員かお金をもらって(自治会から雇われて)いる人だと思っていたようだ。ボランティアとしての気持ちが相手に伝わっていないと思ったら残念でならない。(78才、一人暮らし、担当:寺野、亀井、寺谷)
- 避難所で人のいやなところをうんざりするほど見てしまったためどの人を見ても容易には信用することができなくなってしまった。ふれあいセンターで皆が集まっているのは知っているが、不平、文句、愚痴ばかり。他人に対する文句に相づちを打つと賛成したことになるので、どうしても足が向かない(本当はお話し好きな方なのに)。政治に何を言っても具体的にフィードバックされたことがない。(65才、一人暮らし、担当:亀井、寺野)
- ある朝、目が覚めたらムカデが腕に上がっていて2ヶ所刺された。また、ある日電話をかけようとしたら通じず、調べてもらったら野ネズミが上がってきて電話線を咬みきっていた。もうノイローゼになってしまって早く引っ越したい。震災以降、親子、兄弟が不仲になったとよく聞くが、突然、一方的に私のところもそうなった。でも、自分にはそうなった心当たりがまったくない。(70才、2人暮らし、担当:内海、藤原、若菜)
- この仮設の平均年齢は69才になる。会長も来年5月に引っ越すのでその後どうなるのであろう。(2人暮らし、担当:内海、藤原、若菜)
- 酸素吸入の機器をつけているため、外出が制限されてしまう。(63才、一人暮らし、担当:赤西、赤松(由)、小林)
- シルバーハイツとか他の公営住宅の情況をその都度知りたいと思います。仮設におりますと精神的に苦痛で、たとえ1日でも良いから晴れ晴れとした気持ちになりたいと誰もが思っています。できるだけ早く配分をしていただきたい。以前、兵庫区にいたので今も地元の病院に通院していますが、だんだん苦痛になり困っています。一人で寂しい。早く住宅に当たりたい。(75才、一人暮らし、自筆)
- 自宅兼用で一人でお好み焼き屋をしていたが、1階で被災した。パジャマのまま避難したが、2〜3時間後に火の手が廻り全焼した。近所は倒れた家が多かったが、自分のところは前年の9月に500万かけ家の補修をしていたのでつぶれなかった。近所の人達だけでも数十人がなくなっている。人に「補修したばかりなのにもったいなかったね」と言われることもあるが、補修していたからこそ下敷きにならずにすんだ。その金で命を買ったようなものだと思っている。この間、仮設の盆踊りの練習をしたとき、浴衣のことが話しに出て自分だけ持っていないことがわかった。震災で失ったことを思い出し自分の家が全焼したんだということが、また自分の中で蒸し返され何ともやりきれない気持ちになった。そのことを親戚に話したところ、周りに声をかけ2着も届けてくれた。また仮設の人も浴衣を探してきてくれてとても嬉しかった。自分は被災者の中でも周りの人達が本当によくしてくれて恵まれていると思う。ときどき、先のことを考えると不安にはなるが深刻にならずにすんでいる。(69才、一人暮らし、担当:田中、谷川、盛本)
- 近所とのつき合いがないがあまり寂しいとは思わない。と言うがボランティアが来るのを待っていたということなので、本当は誰かと話しをしたかったのだと思う。(63才、一人暮らし、担当:白岩、青木)
- 大手の機械電気工の仕事をしていたが仕事のしすぎで体を壊した。20年前から仕事をしていない。10年前には胃潰瘍で胃と十二指腸を全摘出した。震災直後の病院通い(三宮)は苦労した。現在も週3回通院している。住宅の申し込みはしていない。通院を考えると中央区か兵庫区を希望しているので今のところ申し込むところがない。(64才、一人暮らし、担当:武内、岡、西畑)
- 昨年4/20の訪問時、糖尿病で目が見えなくなり、寝たきりになっているご主人の看病が大変な状況を話されていたが、今回さらに病状が悪化して週2回人工透析を受けるようになったという事です。今の仮設では(娘さん2人)4人で住むには、夫の病気を考えると狭い。できれば空き家になっている部屋を療養用に貸して欲しいと神戸市にお願いしているが良い返事がない。(51才、4人暮らし、担当:武内、岡、西畑)
- 公営住宅に入居するときの大変さを皆がどれほどわかっているのでしょうか?100万または45〜60万の金は必要となる。また、プライドがあって生活保護を受けようとしない人もいる。公営住宅で被災した人は行政が家主なので元のところへ戻れるが、民間で被災した人は家主に再建能力があれば元に戻れない。不公平ではないか。東京や大阪の人に言いたい。住宅は公営に入っていた方がよい。もし、震災になれば神戸より混乱はひどいはず。震災では神戸の底辺の人がやられている。行政がやっているのは貧乏人を無視した政策だ。(71才、2人暮らし、担当:小林(好)、井手上、矢萩)
- 娘が奈良にいていろいろと面倒を見てもらっている。あと、今までの蓄えで何とかやっているが、65才になれば年金受給になるのでそれまで持ちこたえたい。垂水の自宅は傾いたままの状態。1カ月に一度は見に行っているが、もう年で立て直すのは無理。土地、建物を処分したいが目途が立たない。処分できれば世話になっている姉にお礼をしようと考えている。こちらは知り合いがいないので寂しい。本当に寂しい。愛犬がいるのでなんとかもってこれたようなものだ。(64才、一人暮らし、担当:小林(好)、井手上、矢萩)
- 震災で2階がつぶれ、家族3人3時間半下敷きになっていた。「もうこれで終わりか」と思った。火が回っていたら生きながら焼かれていたところだ。3人とも負傷した。息子は脊髄損傷で1年間入院していた。右足が曲がらないので足を引きずりながら歩いている。震災前は仕事をしていたのに今は無職である。(78才、3人暮らし、担当:小林(好)、井手上、矢萩)
- 母がぼけの症状がではじめ息子2人とも心配している。(3人暮らし、担当:永安、米本)
- 震災で家内を亡くす。週末には息子、娘が来てくれる。だが、息子の世話にはなりたくない。不便はないが寂しい。仮設はほとんど空き家だし、夜は静かすぎる。(79才、一人暮らし、担当:小野、長崎)
- 借家が半壊して解体するのでと大家に出されたが、その家は修繕されて家賃を上げ別の人に貸していた。半壊の証明しかもらえなかったので65歳以上で公営住宅の5年間補助というのが適用されない。(2人暮らし、担当:安永)
- 動脈硬化で手がしびれ、心臓発作を止める薬を体に張り付けている。娘さんが明石と西神1丁目に住んでいるので買い物など面倒を見てくれるので大丈夫。だが、震災前は朝早く散歩したり近くの友達とのつき合いもあったが、ここに来てからはそれほど親しい人もなく暑さもあってあまり出歩くこともない。(79才、一人暮らし、担当:岡、武内、西畑)
- 私は明治生まれの87才です。地震で家も何もなくなりました。今は仮設住宅で細々と暮らしています。市の皆さん、どうぞ助けて下さい。お願いします。(87才、一人暮らし、自筆)
- 避難所でご主人が糖尿病になってしまった。毎日、同じ食事だった。(81才、2人暮らし、担当:小野、長崎)