11月7日
- 前回訪問‥目下職探し中。『雇用・就業』の資料をお渡しした。
今年3月まで土木工事の後片付けに行っていたが、今は仕事がない。〈『ハローワーク求人情報』をお渡ししたところ、「これで探すわ。ありがとう」と言われていた〉。市街地へもたまに行きたいけど、交通費が1,500円かかり生活出来なくなるので、行けない。公営(市街地)は、昨日申し込んだ。空き室1戸の所なので、厳しいと思うが……。(59歳男性、一人暮らし、担当:田山、矢萩)
- 前回訪問‥骨粗鬆症。腎臓が悪い。被災者自立支援金について説明をした。
〈ブロック外移転(神戸市を5ブロックに分け、被災場所と新居住地が異なるブロックの場合、交流経費として金額が上乗せになる)の説明をし、申込書一式(記載凡例有り)入った封筒をお渡しした。「申込み時期が分からない」と言われたので、問い合わせ先の電話番号に印を付け、確認するよう勧めた〉。11月4日の鍵渡しで、初めて部屋の中を見た際、間取りのメモをとってきた。この場所に何を置こうかなどとあれこれ考えると、夜眠れない。公営にはセールスの人間がウロウロしており、何やらゴチャゴチャ言ってくるので、入居したら「押し売りお断り」の貼り紙をするつもりだ。また色々な事をお聞きしたいので、移転しても訪問して下さいね。(81歳女性、一人暮らし、担当:矢萩、田山)
- 前回訪問‥高血圧。これから先もいい事があると思って、前向きに生きている。
来年の5月には、ここからみんな出ると思う。私は、希望する所に当たりました。今後も楽しく生きて行けそうです。これも岩岡という不便な所に3年半いたからかもしれません。またボランティアの皆さんにも、お世話になりました。(80歳女性、一人暮らし、担当:小波本、赤西)
- 前回訪問‥(妻)足が悪く、うまく座れない。(夫)杖をついてよく散歩する。
11月下旬に移転予定。ここは、冬が寒かったので一番困った(夫婦共に)。また池の隣なので風当たりも強く、台風の時は大変だった。(89歳、2人暮らし、担当:西、矢野、小波本)
- 前回訪問‥住んでいたマンションを再建する事になったが、二重ローンになるので公団に売った。
地震の時、マンションの鉄のドアが開かへんかった。誰もそんな事になるなんて思わなかったやろう。水が出ずポリタンクで水を運ぶ毎日だったが、そのうち自分達でドアの所に蛇口を付け…水が出た時は嬉しかった。ローンの残りは、土地の区分権を売って清算した。そのマンションもようやく再建され、今では「高嶺の花」。しかし市住に当選し11月中には転居予定なので、ホッとしている。(69歳男性、一人暮らし、担当:長船、小林(弘))
- 前回訪問‥心臓が悪く、障害2級。
仮設を物置代わりにし民間住宅に住む者が、わしらより先に公営へ入居している。まるでサギやないか!!。わしら真面目に仮設に住んどって、来年にならなここを出られへんのや。日本は結構な国やねぇ。(47歳男性、一人暮らし、担当:赤西、西)
- 前回訪問‥肝臓が悪く、血圧も高い。福祉を受けている。公営に当たらず、どうしたものかと途方に暮れている。
六甲道の病院へ20年以上通っている。今でさえ片道1時間半かかるので、これ以上遠くへ行きたくない。一度明石の県営に当選したが、坂が多くバスの便も少ない(通院に不便)その上バス停が近くにないので、キャンセルした。今回の申込みも…西灘の方は1戸しかないので、当たる気がせん。この際明石に申し込もう…とも思うが、希望の所に当たるまでここで頑張ってみようとも…思う。震災以降自殺した人がかなりいるが、その気持ち、私もよく分かる。(50歳男性、一人暮らし、担当:小林(弘)、長船)
11月14日
- 今日引っ越しです。被災し鷹取中学に身を寄せていた時、多くのボランティアの人々に支えられた。仮設住宅にもボランティアの人が来てくれて嬉しく思う。
(58歳、2人暮らし、担当:高島、矢野、白岩)
- 今年3月部屋で転び肋骨2本を折って入院したが、治療らしいものはほとんどしてもらえず、2ヶ月程で退院となった。今でも寝返りを打つと痛む。夫は腰痛がひどく、ほとんど外出しない。以前は2人してよく散歩に行ったが…高齢者には、砂利道は歩きにくい。家は2階部分が倒壊したので、現在は息子が1階(鉄骨入り)を仕事場に使っている。私ら夫婦がまた住めるよう独力で修理を施していると言うが、未だメドが立たず、ガス・水道も通してない。〈ご近所の引っ越しをうらやましそうに見ておられた〉。(90歳、2人暮らし、担当:西、大坂、矢萩)
- 要望は住宅面だけ。市の住宅入居募集・斡旋は“50歳以上”ばかりで、私のような若年層・男性・単身者には話がない。又情報も少ない〈神戸市の支援者ノートを渡しました〉。父親(身障者)の世話等があるので、近所を申し込んでいるが当たらない。(39歳男性、一人暮らし、担当:赤西、谷川、武内)
- 市からの個別斡旋で当選(9月22日)したが入院してたので、手続きを義理の妹がしてくれた。ところが行政からその後何の連絡もない。書類に不備があったのだろうか?。市役所の近くを通る度聞きに行こうと思うが、催促するようでそんな事も出来ず、一人で悩んでいる。肝臓・胃が悪く、昨年・今年と入院している。ここで一人になるのは嫌だ。不安で夜が怖い。〈神戸市営住宅募集係(392−2381)に電話で問い合わせ出来る旨、お教えした。来週にも電話するとの事。お話の途中で泣き出される程、悩んでおられた。〉(78歳女性、一人暮らし、担当:佐沢、本田、小林(弘))
- 夫婦でコツコツ働いて建てた家を空襲で焼かれ、震災で借家をつぶされた。あの日揺れが鎮まってから外に出たら、周りに建っていた何もかもがなくなっていて、助けを求める声がそこかしこにしていた。あの光景は忘れられん。まるで戦場やった。しばらくして火が出て…隣近所の人、何人もが死んだ……。今日引っ越し(娘と暮らすので通常の公営)。隣の人がええ人やったらいいけど、ドアを閉めたら誰がおるんかわからんし、でも出来るだけ知り合いを作るようにする。今でも月2回老人大学に通っており、その後みんなでお茶を飲むのが楽しみ。(81歳、2人暮らし、担当:佐沢、本田、小林(弘))
- 姉・娘と同居しているが、公営住宅はもう7回も落選した。このことを声を大にしてどこかに伝えて欲しい。もうすぐ8回目の落選がある。申し込んだ所の募集が2戸だけだからまず無理でしょうね。(30代、3人暮らし、担当:赤西、谷川、武内)
- 息子の勤務先は大阪で仕事柄帰りは夜遅くなり、地下鉄沿線では電車がなくなってしまう。かといって中央区より東は知り合いもおらず、地理も分からない。だからずっと市街地の公営を申し込んでいるが当たらない。市から「いつまで仮設におるの」みたいに言われるが、好きでいる訳ではない!。(49歳、2人暮らし、担当:西、大坂、矢萩)
- 孫を生後7ヶ月から育て、やっと大学もアルバイトしながら行きたいというところまできましたのに、あの地震で何もかも失い地元の仮設に入る事も出来ず、見知らぬ土地に来ました。孫もようやく大阪の大学へ入学出来ましたが、余りにも遠く、アルバイトと通学の両方は無理らしく、今は学校も休みがちになっています。もう一人の娘や親戚も市街地にいるので、私達もと思いますがまだ無理のようです。このあたりの棟は一日も早く取り壊さなければならないので仮設内移転があるとか、支援金の受付が切れる等のデマが飛んでいます。しかし、私は気にせず健康に気をつけて、一日も早く希望の地区に当たる事を祈って頑張ります。ただ、皆行き先が決まりそれぞれ引き上げておられ、私達だけが取り残されたような気持ちで不安ですが……。皆様にもいろいろ心配いただき有り難うございます。(70歳、2人暮らし、本人自筆)
11月21日
- 向かいはずっと空き家ばかり。余り外に出んからわからんけど淋しい。〈お話を聞いているうち辻褄が合わずおかしいので、近所に住まわれている姪御さん宅を訪問した。〉おばは半年前に洗面所で倒れているところを発見され4ヶ月ほど入院したが、それ以来片足が不自由になった。震災の時すぐに戸を開けて、衣類を詰めたビニール袋を4つも5つも持って出てくる程気丈だった人も、今は痴呆気味。一時は大変だった……。現在は呆けてる時と、そうでない時とに分かれているようだ。三度の食事を持って行っても、食べた事をすぐ忘れる。しかし掃除は自分でしており、部屋はきれいに片付いている。おばは気が強く、以前も団体生活になじまなかったので、老人ホーム等は無理。今後も同居せず必要な世話だけをする現在の形で面倒を見ていくつもりです。来年5月、同じ公営へ転居予定。(87歳女性、一人暮らし、担当:遠山、沼田、小林(弘))
- 震災以来体調を崩し、病院に通院している。被災前にいた兵庫区に帰りたかったが、何回申し込んでも当たらへんので諦めた。当選した公営(西区)は高台にあり、坂を上がるのが大変。足腰も悪いし、気に入らなかったら替えてくれると言ったが……。(79歳女性、一人暮らし、担当:石川、長船、小田)
- 震災後仕事がなく、1日4時間アルバイトしているだけ。公営は今年12月の結果待ちだが、「最後まで残ったらどうしよう」という不安はある。(51歳、2人暮らし、担当:石川、長船、小田)
- 目が悪く、字がよく見えない。年間35万円程の国民年金と貯金を取り崩しながらの生活をしていたが、それも続かなくなった。〈生活保護を勧め、後日被災者連絡会に状況を伝える旨約束した。また近々長田区の公営に移転予定だが、区役所が分からないとの事で周辺の地図をお渡しした←11月25日連絡会へ、近日中電話するよう依頼した〉。(78歳女性、一人暮らし、担当:小波本、亀井、佐沢)
- 市長に言うたって何もならんやろうけど!。市は住人を仮設から放り出しにかかっている。ほんま年寄りの独りもんが多いし、近所の80代の人がいつ火を出しよるかも心配や。自分はまだ元気に働いているよ。最近疲れがとれにくくなったけど。(67歳、2人暮らし、担当:石川、長船、小田)
- 弟宅に避難して5ヶ月後仮設に入居したが、夫は疲れから入院し…1年後心不全で亡くなった。その付き添い等でご近所の方とお付き合いも出来なかったが、仮設間移転でここへ来てからは仲の良い人も出来て、本当に良かった(週2回朝食会がある)。出来る事ならここにおりたいが、そうもいかんやろ。足腰が大分弱くなってきたが、息子や姪が来てくれるので安心だし、楽しみ。来年5月転居予定。(80歳女性、一人暮らし、担当:仲井間、矢野、矢萩)
- 〈留守番をしていた方から話を伺う〉。私自身は同じ神戸市でも山奥の方(県住)だったので、被害を受けていない。だから被災時の事で、ちょっとでも笑ったりすると「姉さんは地震でひどい目に遭うてないからや!」と妹や姪に怒られる。被災している人としてない人では、こんなにもギャップが大きいものかと思う。同じ県住の人は「私ら税金払ってしんどい思いしてるのに、仮設の人は出たら支援金はもらえるし、安い家賃で新築の公営に住める。ええなあ」と……。妹が仮設に住んでる事を言うと「え、まだおるの?」……。同じ神戸でさえこうなのだから、東京や他の所では実情が分かる訳ない。震災後、私の所へ姉・姪・その子供が避難していたし、今も仮設に来て子供の面倒を見ている私は『二次被災者や』。(60代女性、担当:仲井間、矢野、矢萩)
- この3年間、ヘルニアの手術を受けたり、耳鳴りで耳が聞こえづらくなったりした。夫も神経の病気で、寝たり起きたりの生活。でも、ようやく来月公営へ移転する事が出来て嬉しい。ボランティアさん、有り難うございました。〈お孫さんが来られて、賑やかな様子でした〉。(?歳、2人暮らし、担当:佐沢、小波本、亀井)
- 来月、一時待機制度の民間アパートに移転する。2回も引っ越しするのはしんどいわ。この年になると……。ホント嫌ですわ。(60代、一人暮らし、担当:石川、長船、小田)
- 前回訪問‥市からの個別斡旋で当選したが入院中で、親戚が代わりに手続きしてくれた。その後行政から何の連絡もないので不安。問い合わせ先の電話番号を伝え、確認する事を勧めた。
直接役所に行って聞いたら「ちゃんと当選しているから大丈夫。12月20日までに何の通知も来なければ、ここに連絡するように…」と電話番号を教えられた。ほとんどの方が引っ越してしまい、近所で夜電気のつく部屋は1つしかなく怖い。〈先週と違って表情や話し方もすっかり落ち着かれ、安心された様子だった〉。(78歳女性、一人暮らし、担当:遠山、小林(弘))
11月28日
- よくしゃべる事がボケない秘訣。バスを待っている間、全然知らない人とも話をしますよ。とにかく家にこもりきりにならないよう、外に出る事を心掛けています。来月転居予定。〈お話相手がいないようで、家族の事・食事や健康法等を終始話されていた。〉(80歳、2人暮らし、担当:矢野、藤沢)
- 来年2月に引っ越しが決まっているが、寒い最中なので気が重い。仮設はほとんどの人が出ていかれ、さみしい限りだ。昼はまだ安心だが、夜になると真っ暗で怖く、定期的に巡回してくれるパトロールのようなものがあれば有難い。支援金を出すと言ってるが、今すぐ手元に入る訳ではない。その間に高齢者は亡くなっていく……。(82歳女性、一人暮らし、担当:川口、矢萩)
- 震災によって「がんばらなー!」という気持ちを高められた。またいろんな人の生き様を見せてもらって『いい経験だった』。夫婦共に病気持ちだが、自分の体は自分で知り・守る事が大切と、食事療法を行っている。来月転居予定。〈最初「何も話す事はないし、不足はない」と言われたのですが…そのうち自らどんどん話され、訪問者はひたすら聞き役となりました。自分自身どう生きているか?と問う内容でした。〉(75歳、2人暮らし、担当:清重(智)、西、貝沼)
- 夫は仕事がない。職安に行っても年齢でハネられてしまい、今は市のチラシ配りの仕事をしている。私は三宮の中華料理屋で週2回(5時間)洗い場のパートをしている。転居予定は来年5月。〈生活保護又は障害年金の手続き等、どうなのか気になりました。←次回訪問の際、福祉の資料を持参し説明をする。〉(49歳、2人暮らし、担当:谷口、小川、小林(弘))
- 趣味のサークルで社交ダンスをしたり、婦人会主催(被災地)の食事会に通ったりしている。住宅をあっちこっち申し込んだが当たらず、市住の斡旋待ち。若い人でも当たっているのに……。とにかく健康だけは気をつけよう。(73歳、一人暮らし、担当:谷口、小川、小林(弘))
- 震災で店と家、両方なくした。でも支払いせなあかんので近くの場所を借りて服を売ったところ、お客さんが皆来てくれはった。その後新たに店を再開したが売れへんかったので、田舎の土地売って1年数ヶ月頑張ったけど…結局廃業。今はダイエーの試食のおばちゃんをやっている。天職や思う程、性に合うてる。避難所にいる時、ボランティアは何でもかんでも自分達でやろうとして被災者に接した。でも最後には甘えているとか自立せえと…それでようケンカになった。被災者もボランティアも一緒にやったらいいんや!。空港大反対や。反対するにもマスコミ巻き込むのが中途半端や。浜で皆ろうそくを灯して祈ったらええ。神戸はひなびているからええんや。大阪のマネしてどないする。来週引っ越し。(56歳、2人暮らし、担当:小川、谷口、小林(弘))
- 今の仮設に来てもう4年。4年もいたら慣れた。一人だけど、ラジオやレコードをかけているので寂しくない。来年3月転居予定。(87歳女性、一人暮らし、担当:武内、木村、青木)
- また寒い、しんどい冬がやって来る(すきま風が辛い)。ここも4年近く住んどるから、あちこち傷んでいる。よう耐えとるわー。この10〜11月に住民がどっと出て行ったから、すっかり寂しくなった。今は、私達がこの仮設の『世話役』を任せられている。自治会も解散し、ふれセンも閉鎖や。転居予定は来年3月以降。〈風呂の換気扇の音がおかしいと言われるので、外ブタを何とか取り外し、掃除が出来るようにした。〉(71歳、2人暮らし、担当:赤西、白倉、明石)
- 夫は足・腰が悪く、仮設の風呂は滑って危ないので週2回板宿の銭湯まで通っている。また心臓も悪く、先月救急で2回医療センターに行った。すっごい寒いから、みんな仮設で弱る。気をつけないとね。(79歳、2人暮らし、担当:藤村、亀井、佐沢)
- 心臓が悪く、骨粗鬆症等他にも多くの病を抱えている。しんどい時は特に耳が聞こえない。仮設閉鎖後は、息子と同居(淡路島に単身赴任)しようと思っている。ボランティアは今まで何度も来てくれたが、何の解決にもならない。今日はしんどい。〈「夫(今年7月死去)がおるときは肩を揉んでくれた」と言われたので、揉んで差し上げると「こんなの何年ぶりやろか。ありがとう、ありがとう」と大変喜ばれた。普段はやはり耳が聞こえないので付き合いもしないし、またわざと避けるとの事。普段から見回り・ヘルパーさん等必要かと思います(遠慮がちな方なので申し込んでないようです)。←西区の保健婦さんに訪問を依頼し、ヘルパーやデイサービスの紹介をしてもらう事になった。〉(78歳女性、一人暮らし、担当:藤村、亀井、佐沢)