9月4日
[復興住宅]
- 両膝の軟骨がすり減り、変形性関節炎と診断された。足や腰に湿布薬を貼っているが、張りや痛みがある。若い頃、修行で肥桶を担ぎ山道を上がったりする等、かなり無理をしたからだと思う。学級崩壊などの教育界の荒廃・政界の腐敗には憤りを感じる。来年頃から、神戸市内各所で辻説法に立とうかと思っている。〈ご本人の波瀾万丈の人生を描かれた原稿やその他の資料を「読んでみて下さい」と渡されたのでお預かりした〉。(77歳、2人暮らし、担当:矢萩)
- 最近、股関節の筋肉痛と膝に水が溜まり、歩く事ができず…3日程入院していた。今は何とか歩けるようになった。この前揺れた時、怖くて外に飛び出していた。恐怖心がこびりついているようだ。〈建物は丈夫に出来てますよ。念の為に枕元に懐中電灯を置かれては…〉少しは安心した。(79歳女性、一人暮らし、担当:福本、長船)
- 体調も良くなってきました。妻が亡くなり、1年3ヶ月になります。何事も妻任せだったが、料理も少しずつ慣れてきた。近所に助けてもらっているが…迷惑掛けないよう頑張っています。孤独で長生きするのは辛い。友達が来て賑やかにしてくれるが、帰った後はその反動で…余計に淋しい。酒は飲むけど、テレビとか好きなものがいっぱいあるので、溺れる事はないです。それに自分の限度を決めて飲んでいる。私の話は愚痴で…自分の幸せな頃の事ばかりやけど。〈金婚式の賞状を見せて頂く〉。震災以降、みんなの気持ちが荒んでいるような感じがする。(76歳男性、一人暮らし、担当:福本、長船)
[一般公営の空き家募集入居者]
- 〈母〉地震までは元気だったけど、この頃はすっかり足・腰が弱って、通院以外は外へ出ない。週2回、膝の水を抜いてもらう。〈娘〉去年から今年にかけ入院していた為、転居が遅れた。仮設の時は隣の人とよく話をしたが、ここでは付き合いがない。毎月1回の大掃除やゴミステーションの清掃は、回覧板が来て知る。役員とか世話役はいないとの事だ。仮設で一緒に過ごした人達とも、つながりはなくなった。〈エレベーターのない建物の4階に住まわれているが、特にご当人達に不満はないようだ。しかし老人世帯に住まわせるのは、無理があると感じた〉。(90歳、3人暮らし、担当:田尻、小林(弘))
- 復興住宅(公営)を何度申し込んでも当たらず、仮設に3年半おった。被災時生き埋めになり、膝を痛めた。手術をしたが、「石の粉のような物が入っている」との事で、今でも松葉杖をついている。また頭蓋骨の病気で、すぐ物を忘れる。食事をした事や、買い物で同じ物を2個買っていたり…。同じ仮設で親切にしてくれた老夫婦に再会し、「遊びに来て」と言われたが、部屋に戻ったら名前も部屋番号も忘れていた。目も痛むが、通院してもよくならない。時々めまいがし、いつ倒れるかわからないので…不安。近所の民生委員さんが「具合悪うなったらいつでも電話して」と言ってくれるが、いつも夜中なので…言いにくい。ケアライン119を申し込んだが、つくのは来年。トイレ・風呂には、手すりをつけてもらう事になった。子供が公営内で自転車やスケートボードで遊んだり…棒で手すりを叩くなど騒がしく、1階では窓も開けられない。また仮設ではよう話をしたり…おかずを分け合ったが、ここでは挨拶してもキョトンとしている。(67歳女性、一人暮らし、担当:田尻、小林(弘))
- いつも、入口の戸を少し開けている事が多い。〈「こんにちは」と声をかけると、丸々と太ったかわいい犬が入口まで出てきた。入口を開けていても用心が良いはずだ…〉。当時まだ1歳だったこの犬が、しきりに寝ている私を起こすんです。起きた途端…激しい揺れで逃げ出した。最近地震が多いので、その度に犬も私もビックリする。今も入眠剤を飲まないと寝れない。ここへは5回目でようやく入れた。(73歳女性、一人暮らし、担当:原、鹿島)
- 顔色が良く元気そうに見えるが、前立腺と狭心症・高血圧の持病に悩まされている。血圧はイライラすると、すぐ200近くまで上がる。前立腺はずっと治療を続けているが、具合の悪い時は眠れない。妻は病気で25年前に亡くなった。娘が月一度くらい来てくれるが、2人とも病気を抱え手術しているので…心配だ。建物の構造もあって、住民と一日中顔を合わせない事が多い。自治会がなく、人が寄り合う機会もない。家賃格差(被災者支援制度で入居後5年は、収入によって家賃軽減が受けられる)の為か、他の住民から白い目で見られているように感じる。仮設の時も「ただでいいな」とか「甘えている」などと言われたりしたが、解ってもらえないのが辛い。〈入居前に改装工事があったようで、建物の古さの割には部屋は明るくきれいだった。ケアライン119をお勧めした〉。(83歳男性、一人暮らし、担当:原、鹿島)
9月11日
[復興住宅]
- 左膝に水が溜まるので、薬で散らしている。内臓と骨は丈夫。漁師町で生まれ、幼い頃から小魚を食べていた為か、腰が曲がるとか痛いという事もない。買い物を駅の近くでするが、帰りは荷物を下げてバスに乗れないので、タクシー(¥1,040)を利用する。エレベーターがあっても、ここまで上がってくるのが大変。〈ダイエー・コープの宅配資料を渡し、説明をする〉。息子達は同居を勧めるが、一人の方が気楽だし慣れている。ただここでは話す人がいないので、寂しく思う事もある。同じ仮設から移った人も何人かいるが、行き来はない。(80歳女性、一人暮らし、担当:松嶋、小林(好)、矢萩)
- 今日は来るというので、2時半頃から待っていた。ご近所の70歳と89歳方宅へお話相手として行っているが、一方的にお話を聞くだけなのでしんどい…。自治会がないので、交流する機会がなく…笑う事もない。また気軽に、家を訪ねる事もできない。若い人達はこういう場所に慣れてるから、何とも思わないのかもしれないが…。昨年12月から「被災地しごと開発事業」に行っており、少しは気晴らしになっている。しかし心臓が良くないので、仕事はしんどい。震災後の環境の変化がストレスになっている。特に仮設では…2軒だけ残され神経が参り、うつ病になりかけた。また主人の仕事(左官業)が少なく、年金ももらえないので、経済的に楽ではない。これから先の事を考えると不安になる。(65歳、2人暮らし、担当:松嶋、小林(好)、矢萩)
- この棟は話がまとまらず、自治会が出来ない為、隣近所のつき合いがない。こんな箱のような住まいは嫌だ。下町のようなふれあいのある街に住みたい。震災以前は、清掃(2時間程)の仕事に行っていたが、足(関節炎)が悪いので辞めた。仕事をしている方がはりがあってよかった。何か趣味を持ちたい。(73歳女性、一人暮らし、担当:金本、日野、清重、矢野、井手上)
- 10年前に脳梗塞で倒れてから、車椅子を使用するようになった。〈ダイエー・コープの配達案内をお渡しし、喜ばれた〉。仮設のふれあいセンターは、楽しかった。今は隣の人とも余り話が出来ず、寂しい時がある。ボランティアが来てくれると嬉しい。また週2回のお弁当(ゆいまーる神戸)もおいしく、助かる。(69歳男性、一人暮らし、担当:川西、小波本)
- 夫はヘルニアの手術で入院中。もうすぐ退院予定。毎日の看病に疲れ…本日は娘に交代してもらい、横になっていた。暑さがこたえている。私がしっかりしないといけないが…。〈やや顔色が悪く…ゆっくりとした足取りだった為、おいとまする〉。(78歳、2人暮らし、担当:小波本、川西)
- 最近心臓がドキドキして調子が悪く、近所の方に来てもらっている。今日も「救急車を呼ぼうか?」と言われたが、病院に行っても点滴を打って返されるだけなので、断った。通院している病院でCTスキャンを撮る際、気分が悪くなり「止めて」と言ったら、係りの人に偉そうな対応をされた。区の保健課に相談すると、「病院を変えた方がいい。近日中に往診できる医者を探します」と言ってくれた。ケアラインは"命に関わるという診断書"がないので断られた為、民生委員を通じ非常ベルを依頼中。〈前回訪問の際、まとめ買いをしても帰りが大変と言われていたので、コープ・ダイエーの宅配資料を渡し…説明する〉。(76歳女性、一人暮らし、担当:松嶋、小林(好)、矢萩)
- 胃潰瘍と十二指腸を全摘出し、その後遺症で病気がち。週3回点滴を受けに行く。今年の夏は暑かった。まあぼちぼち元気にやってます。(66歳男性、一人暮らし、担当:日野、井手上、清重(智))
[仮設住宅]
- 名谷へ10月引っ越す予定。子供の修学旅行があるので、転居はその後にする事にした。転居後も又来て下さい。〈明るい元気な奥さんでした〉。(31歳、7人暮らし、担当:鹿島、佐沢)
- 転居先決まらず。斡旋で良い所を紹介してくれるが…。自分の病気や母の事を考えると、元住んでいた近くへ戻りたい。(31歳、7人暮らし、担当:鹿島、佐沢)
- お話を伺おうとしても、自分の言いたい事しか言われない。隣の家に人が出入りしていると言われるが、入口はクモの巣が張っていて、その形跡はない。しきりに元住んでいた近くへ帰りたいと話される。(88歳女性、一人暮らし、担当:鹿島、佐沢)
- 身体が悪く通院中。13日に名谷へ転居予定。新しい所では声を掛けにくいので…寂しいと思う。今は公営名と7階としか分からないが、又来て欲しい。ここもあと2軒になった。〈当日、周囲で仮設撤去の工事が盛んに行われていた〉。(67歳女性、一人暮らし、担当:佐沢、鹿島)
9月18日
[復興住宅]
- この棟に住む人は、大正時代から昭和十年代生まれの方が多く、仲良くやっています。買い物は健康の為、運動がてら名谷まで歩いている。〈お久しぶりにお会いしたが、お元気そうなので安心した〉。(73歳女性、一人暮らし、担当:白岩、矢野)
- 公営に移ってからも、こうやって声をかけてもらえるのはうれしい。9月15日に集会場で、高齢者が300人ぐらい集まり、食事会などが行われた。いろいろ触れ合いができ、よかった。両隣とも親しくしており、玄関の扉はいつも開け放しにしている。その方が声もかけやすいし、風通しもいい。トルコの大地震をテレビで見ていると、あの時の記憶が蘇ってくる。同じ経験をしてきたので、被災者の方々は本当に気の毒に思う。移転して4ヶ月程になるが、ストレスのせいか…体調が余り思わしくない。持病(膝に水が溜まる)もあるので、今度診てもらおうと思う。夫は肝臓病で、今度手術を受ける予定。夫の仕事も、この不況で減っている。(68歳、2人暮らし、担当:柏木、矢萩)
- 10日程前に部屋の中で転ばれ、入院中との事。〈隣の方にお聞きする〉。(71歳女性、一人暮らし、担当:柏木、矢萩)
- 今年の夏は、扇風機でしのぐ事が出来た。ホームヘルパーさんが週に1回来て、手伝ってくれるので安心している。ここに入居してすぐ、市の水道局をかたる者から浄水器を買わされた。月々3,800円払っている。〈生活情報センターか区役所の相談窓口へ電話するよう、番号を伝える〉。(57歳男性、一人暮らし、担当:小田、福本)
- 女の人に合わせたのか、流しが低く…男は辛い。若い時から喘息があり戦地には行かなかったが、空襲で逃げ回り、戦争の厳しさは身をもって経験した。自分で洗濯もし、食事も作る。ここでは隣の人と、話が余り出来ない。玄関をたまに掃除していても、そばを通る人は、ただ黙って通り過ぎて行くだけ…。ボランティアの人には、もっと来て欲しい。朝5時から、下の道路の…車の音が大きく、気になる。周囲が静かすぎる為かもしれない。(77歳男性、一人暮らし、担当:高山、小波本)
- 〈息子44歳〉仕事がなくハローワークへ通っている。最近はケミカルシューズの仕事も機械化が進み、職がない。できれば同じ仕事をしたいのだが。セールスが来ると犬が吠えてしまうので、『セールスお断り』と扉に貼ってある。周りの迷惑になるが、とても捨てられない。(67歳、3人暮らし、担当:白岩、矢野)
- 玄関横の部屋と居間にエアコンを取り付けたりと、引っ越しで大分お金を使った。収入は年金だけなので、今は節約している。ここで特に親しい人はいないが、エレベーターや外で会ったら話はする。胃下垂で通院しており、食事は1日4回に分け食べる。散歩をしたいのだが…この辺ではどこを歩いたらいいのか分からない。(70代女性、一人暮らし、担当:柏木、矢萩)
- 今週月曜日から急に腎臓が悪化した(もともと悪いが)。9月20日病院へ行く。透析の必要があるが、場合によっては入院かもしれない。うどんを食べても、すぐ戻す。とにかく尿が出ない。体がむくれ…外に出る元気もない。仮設にいる時よりも不安な毎日になるとは、思わなかった。この頃は寂しさというより、空しい。〈時々電話するなど、ケアが必要と思う〉。(50歳男性、一人暮らし、担当:高山、小波本)
- 入居当時は幻想病というか、気分が落ち着かず大変だった。バスに乗って友人の所へ行き、話をすると調子が良くなる。ボランティアさんが来てくれて良かった。(?歳女性、一人暮らし、担当:高山、小波本)
- 去年5月に入居。近所付き合いはよく、大して寂しくない。問題は早朝の駐車場でのエンジン騒音である。長所は周りの景色がよい事。(?歳、?人暮らし、担当:東條、佐沢)
9月25日
[復興住宅]
- 仮設ではいろんな事があった。ケンカはしょっちゅう。それでも皆で、署名を集めて駅からのバスの便数を増やしたし、カラオケの機械も買った。先週日曜、この公営全体の自治会がようやくできた。但し独自に活動している棟(自治会)は除いてだが…。自治会といってもいろんな人がいて、難しい。それにみんな仮設から来た人やけど、互いに無関心な感じだ。入居の際、換気扇のセールスが来たので買ったけど、この前来た時は断った。水道の水を調べるとかいうのも来たけど断った。(63歳女性、一人暮らし、担当:柏木、小林(弘))
- 〈妻〉震災後…気管支を悪くするなど体調を崩し、やせてしまった。〈夫〉地震の事は口で言ってもわからないと思い、壊れたテーブルやテレビを記念に置いている。仮設の時はいろんな人がボランティアに来てくれた。岡山の高校生や新潟の看護学生など…。今でも、毎年1月17日になると、来てくれる人がいる。買い物は、コープの購入品の宅配システムを利用している。30年前に中風で左半身不随になったが、口は達者。公営に来てからも色んな人に声を掛けている。『何でも自分で経験して、勉強する事が大切や』。ボランティア以外でもまた来てな。(70歳、2人暮らし、担当:青木(慎)、矢萩)
- 2階が落ちてきて下敷きになり、10時間後に救出された。周囲の人は皆即死だった。避難所で、腰の骨が折れているのに気付かずにいた為、その後何度も入院する羽目になった…。入居手続きをする場所は車椅子では危ないので、杖をついて行ったら…「あんたは大丈夫」だからと、2階にされた。1階であれば楽に出入りが出来ていたのに。月2回、西神中央の医療センターへ行き、そのついでに買い物をする。タクシーを利用する為、お金の支払いが大変。「皆と話をしに、外へ出てきたら」と言われるが、大勢の人がいる所は疲れる。(70代歳女性、一人暮らし、担当:鹿島、福本)
- 元住んでいた所に戻りたかった。でも、ここはシルバーだがすぐ当選し、入居出来たのは良かった。台湾で生まれたが、戦後日本へ引き揚げた。戦争で家をなくし、また地震で家をなくした。地震当日、母(95歳)は田舎にいて無事だった。でも昨今母は呆けるようになり、徘徊するので目が離せない。(71歳、2人暮らし、担当:鹿島、福本)
- 近くに子供が住んでおり、頻繁に来てくれる。震災の時東京から来てくれたボランティアや、週ボラなどに、感謝しています。震災まで働いていたので、周りの事や年金・福祉などは、余り考えなかった。しかし震災がきっかけとなり、人の事も考え…感謝するようになった。今は敬老乗車券を使って、病院や友人の所へ通っている。明日は友人(寝たきり)宅へ、お団子と手作りの枕カバーを届ける予定です。夜8時に寝て、朝5時前に起き、朝日や月を拝んで自然と共に生活しています。(82歳女性、一人暮らし、担当:長船、小川)
- 〈仮設名をお聞きし、以前会長だった方の最近の様子を話すと…〉仮設では仲が良く、以前から電話しようと思いつつ…出来ずにいる。昨今仕事が減って、困っている。またトルコや台湾などで大きな地震が起き、夜中に突然目が覚めるようになった。最近和歌山で地震があった時も、自分の体が揺れているように感じた。〈一見たくましそうな体から、デリケートな話をお聞きする〉。(74歳、?人暮らし、担当:福本、鹿島)
- 大工をしていたが、脳梗塞で右半身不随(平成2年)となり、障害は1種1級。地震の時はドアが開かず、翌日助け出された。家族はいない。市街地の地域センターへリハビリに通うなど、平均週2回出掛ける。車椅子で、どこへでも行くし、普通の人より速い。手は使えんけど…左脚で蹴って進み、上り坂は後ろ向きに登る。掃除は自分で出来るので、ヘルパーさんは頼んでいない。脳梗塞は電動車椅子がもらえない。(59歳男性、一人暮らし、担当:柏木、小林(弘))
- 震災時市街地で旅館をしていた。4畳半位の部屋に額やら置物が一杯あったが、何も落ちてこず、けが一つしなかった。お客さんもけが人が出ず、良かった。孫と親戚(大阪)宅へ疎開し、4月に神戸へ帰ってきた。その間に旅館は廃業。洋品店をしている息子一家と同居していたが、仏壇に線香をあげると匂いが移るため、ここ1年は友達のマンションに居候していた。でも息子は不況で店をたたみ、今は勤めに出るようになった。仮設に住んでいなかったのに、よく当たったもんや…と喜んでいる。夜になると明石大橋の夜景がきれいですよ。買い物の便もいいし、風通しもいい。夫の姉が近くの棟にいますが、他の人とは挨拶する位です。(60代女性、一人暮らし、担当:柏木、小林(弘))