11月4日
[復興住宅]
- 妻は、仮設住宅入居2ヶ月後に脳出血で倒れ、一時期は自分の名前も忘れ、言葉も使えない状態だった。『要介護4』の認定を受け、訪問介護・訪問リハビリ・デイサービス等を利用しています。今一番心配なのは、自分が突然倒れた時の事。ケアラインやベルがあれば、教えて欲しい。←次回訪問時、資料を渡す予定。介護問題では、介護者の心安らぐ場所や時間を作るなど、疲れている“介護者”にも、目を向けて欲しい。こうやって話を聞いてもらえるのは、本当に有り難い。〈リハビリを続け歌えるまでになったとの事で、『りんごの唄』・『佐渡おけさ』を一緒に歌いました〉。(68歳、2人暮らし、担当:藤葉、赤西)
- 週に1回、息子(42歳)が孫を連れ、来てくれます。家事は一通りやっているが、食事はコープの出来合いの物で済ましてます。趣味のサークルに入って、楽しく過ごしているが、夜遅くの誘いの電話は…かなわんわ。(74歳男性、一人暮らし、担当:竹内、矢萩)
- 足や目が悪いので、市街地への通院に娘が車で送ってくれ、帰りは夫が付き添い、地下鉄を利用して帰ります。夫は掃除・洗濯を、私は料理をします。夫は血圧が高く、心臓も良くないが、病院嫌い。悪い結果が出るのが、怖いのでしょう。デイサービスで、色んな人と話をするのが楽しみです。また夫が育てた草花を眺め、楽しんでいます。でも一人で外出できないのが、辛いです。車椅子用のスロープは、傾斜があるので…怖い。(73歳、2人暮らし、担当:竹内、亀井、矢萩)
- 酸素ボンベを付けており、立って話すのも辛いので、横になっています。昨年脳血栓で倒れて以来、右半身が不自由になったが、薬の飲み合わせが悪かったんでは…と思う。あの医者を殺して、自分も死にたい。ちょうど今、どうすれば自殺できるかを考えていた。生きていても、何も面白い事はない。〈医者に対する怒りを爆発させたり、ふさぎ込む発言をされており、ストレスがたまっている様子でした〉。(74歳男性、一人暮らし、担当:矢萩、竹内)
- 足が悪いので、車椅子を使用している。ヘルパーは週に3回来てくれます。震災前に住んでいた所は、街自体が気さくな感じで、良かった。〈時間が経つにつれ、舌が滑らかになり、笑顔も出てこられた。実家が商売をされていたという事で、快活な方でした。とにかく、前向き!!〉。(84歳女性、一人暮らし、担当:矢萩、竹内)
- バスが通るようになって、とても便利になった。でも住宅内にコンビニがなく、ちょっとした物を買う時に不便。ドアが、非常に重たいです。(87歳女性、一人暮らし、担当:中谷、矢野)
- 足が悪く、耳が遠いです。でも誰とでもよく話すし、毎週火・金のデイサービスに、参加しています。チラシで、手の込んだ折り紙を作るのが趣味です。〈買い物車が破損していたので、修理をしました。笑い声も大きな元気な方で、作品を頂きました〉。(81歳女性、一人暮らし、担当:中谷、若菜、矢野)
- 生まれが鳥取なので、年1回は帰郷します。この間の地震は、やはり心配しました。換気扇が油で汚れており、掃除したいが、背が届かず困っていた。今日は、有り難う。ちょうど大きな人が来てくれ、助かった。〈汚れは結構しつこく、完全には取れませんでした。鳥取に知り合いがおり、話が盛り上がりました〉。(84歳女性、一人暮らし、担当:中谷、矢野)
- 震災時、火事で何もかも失った。家具のほとんどは、仮設の時、近所から拾ってきた物です。目が悪く・足も痛いので、大変…。収入は、月5万の年金のみです。生活保護を勧められたが、頑張って働いている人に悪いので、受けようとは思わない。親類もなく、子供もいないので…心細い。震災前に住んでいた所では知り合いも多かったが、ここでは隣と話すくらいです。〈生活保護を受ける事で、健康的にも無理のない生活が出来ますと、再度お勧めしたところ「考えてみます」とのご返事でした〉。(75歳女性、一人暮らし、担当:鹿島、長船)
11月11日
[復興住宅]
- 公営入居後、リウマチの痛みがひどくなり、外出はほとんどしない。ゴミ捨てと通院ぐらいです。隣近所は一人暮らしの年寄りが多く、わざわざ出向いたり訪れるなどして、話す事などはないですね…。これまで水害・戦災・津波・地震を経験したが、予告なしで襲ってくる地震が、一番怖かった。〈話がとても盛り上がり、『かみひこうき』を書いて頂いた〉。(73歳、2人暮らし、担当:竹内、赤西)
- 月に1回、住民で棟周辺を清掃しており、近所付き合いは良いです。毎日ラジオ体操をした後、20分程度歩き、週に2日は友達と会っています。甥や姪の所へも遊びに行っています。(71歳女性、一人暮らし、担当:小河、浦口)
- 夫は心筋梗塞で、3回手術しました。私は、体が丈夫なので仕事をしたいが、西区のハローワークでは、なかなか見つからない。贅沢を言えないが、出来れば長時間(フルタイム)働きたい。いい情報があったら、教えて下さいね〈フェニックスプラザに求人情報の綴りが置いてある事を、お伝えした。←翌週、求人情報(ハローワーク)を入手し、お渡しした〉。(50代、2人暮らし、担当:矢萩)
- 電灯の交換を依頼されたので、お手伝いをしました。(60代、?人暮らし、担当:小河、浦口)
- もう間もなく定年になるが、その後の仕事がない。同居している母(90代)は、視力・聴力ともに悪くなってあり、その事も含め生活に不安を感じる。国民年金も少ないので、今後の仕事や生活について、相談したい。生活保護等も、検討したいと思ってる。西区役所や玉津の支所へ相談に行ったが、よく聞いてくれない。〈今から外出されるという事でした〉。←後日改めて資料を持参し、説明する予定。(60代、2人暮らし、担当:松田、白岩)
- 喘息から脳梗塞を患い、入院した。それ以来…方向音痴になり、住居に帰って来れなくなるので、いつも首から住所を書いたカードと5000円を入れた袋をぶら下げている。子供が苦労しないよう、母はビルを建て、各階…兄弟毎に名義を持たせた。でも、そのビルも震災で被災し、ダメになった。昼間は一人なので、退屈している。また来てくれ。(70歳、6人暮らし、担当:松田、白岩)
- 80歳の時に右足の血管が詰まり、6時間にわたる手術を受けた。年が年だから持たないと思ったけど…死に損ないですわ。最近は、左足も痛くなってきた…。同居の長男夫婦は店をしているので、朝9時から夜9時まで家にいません。日中は一人なので、死んどってもわかりませんわ。嫁が1日分の食事を作ってくれるので、他に欲しい物がある時は、自分で買いに行きます。最近、近くにバスが通るようになり、便利になりました。(91歳、3人暮らし、担当:矢萩)
- 足が悪いので、毎日1万歩歩くよう、医者からいわれてるが、歩けてないなー。介護認定で要介護だが、サービスは受けてない。『震災特例打ち切りに反対する』書類に、今日署名をした。国民年金で生活しているので、家賃の値上がりはかなわんからなー。私が商売していた市街地の市場も、年々…売り上げは下がる一方。皆、今住んでいる地域に段々なじんできて、安くて新鮮でも…元住んでいた所まで行かなくなったから。知り合いでも「商売にならない」と、まだ若いのに店をたたんで、中央市場へ働きに行っている人がいる…。月1回の大掃除には、皆が参加しています。掃除は口実で、話しするのが、楽しみみたいですね。(71歳男性、一人暮らし、担当:矢萩)
11月18日
[復興住宅]
- 貸農園で野菜作りをしたり、近所の方の集りやカラオケに参加しています。明日は、仮設の時の友達と会う事の。仮設の方が、やはり付き合いに深みがあった…。地震の経験は皆程度の違いはあるが、傷の深い人には絶対に忘れられない。何もかも失った時、医者に診てもらい薬も頂き、「何も(お金は)いりませんよ」と言われた事は、本当に嬉しかった。今も忘れない〈と…涙ぐまれていた〉。(?歳女性、一人暮らし、担当:矢野、土谷)
- 息子が介護福祉の学校へ通う事になっていたが、学校が倒産してしまい、結局…入学金8万円は戻ってこなかった。又、見知らぬ男の人から「お宅の息子さんに、金を貸している」という電話があり、息子に尋ねると…知らないとの事。2回目の時、強い態度で言い返すと、二度とかかってこなかった。〈消費者センター(苦情相談)のチラシをお渡しした〉。愚痴ばっかり言って、ごめんね。でも気分がすっきりした。(70代女性、一人暮らし、担当:井上、赤西)
- 妻が糖尿病にて、10年来病院にかかっています。私も引越しの時に、ぎっくり腰になり、2年近く通院しています(10分歩く事も、しんどい…)。早く健康になりたい。2人とも、老年の粋に達しており、人生諦めの気持ちです。静かなる人生を送りたい…。(75歳、2人暮らし、本人自筆)
区役所が遠くて、不便です。隣近所の付き合いは、余りない…。集会所へ行く事も、ありません。荷物を三田の方に預けているが、人手や車の調整がつかず、取りに行けないでいます。(担当:土谷、矢野)
- 震災により家が倒壊し、健康上の理由もあり、復興住宅へ入居する事となりました。当初…環境も良好で、ここで安堵する事を楽しみにしておりました。しかし、コミュニティを育てようという意識に欠けた一部の方達がおり、皆が努力しても健全なものになりません。それが残念です。(65歳、2人暮らし、本人自筆)
震災後、心労がたたって左眼が網膜はく離になり、水晶体を外した。片目と一緒なので、階段を下りる時が…怖い。来年、手術で水晶体を入れる予定です。地震の時は、起きて出張の準備をしていたが、寝てたら…助からなかったかもしれない。今でも思い出すと、ゾッとする。仮設の時は皆協力し合っていて、良かった…。公営の自治会は、公私混同せず、ガラス張りに、事前に皆と相談してやって欲しいですね。(担当:矢萩)
- 足が悪く、車椅子を利用しています。先日、和歌山の温泉へ子供達が連れて行ってくれ、楽しかった。週1回、医者がリハビリに、看護婦が検診に来てくれます。洗濯をはじめ、日常家事は夫が全てしてくれている。だから将来、夫が動けなくなった時が、不安です。〈介護資料をお渡しした。また現在訪問している医者や、LSAに相談するよう、お伝えした〉。(90歳、2人暮らし、担当:矢野、土谷)
- 夫は30年前に脳梗塞になり、最近は…痴呆が入ってきた。しかし気分のいい時は、自分の事は自分でしています。私は“膠原病”が悪化し、療養中ですが、手芸で気分転換をしています。今、娘と一緒に住む家を探しています。出来れば、市街地をと…。今日は、色々と話を聞いてもらって嬉しかった。(82歳、2人暮らし、担当:井上、赤西)
- 仮設時代は、近隣の為に色々と動き回った。でも公営に入ってから、体調が悪くなりました。耳(一番奥の神経部分)が悪く、大声を聞くと…頭がガンガンするので、読書と手芸で、気を紛らわしています。3人の子供は独立して、遠方にいます。要支援の認定を受けているが、自分で出来る事は、極力行うようにしている。また、定期的にLSAが訪問に来るので、助かっています。今日はわざわざ来てくれて、有難う。(70代女性、一人暮らし、担当:井上、赤西)
- 地震の時、逃げるように家を飛び出し、夢中で娘の家まで歩いていくと、火事で燃えていた。一家の安全を知り、家に戻ると…今度は自分の家が燃えていた。60年前にも、三木で大水害に遭い、家を流されました…。子供4人は年の差が少なく、子育てが大変だった。5人目は年があいて楽に育てられたが、高校を卒業した1年後、急逝しました…。今は、仮設で知り合いになった方達と出歩いたり、子供の家に行くなど、元気に忙しく生活しています。(86歳女性、一人暮らし、担当:竹内、鹿島)
11月25日
[復興住宅]
- 夫は4年前に仮設で亡くなった。長男も昨年11月に亡くなった。息子に、家の事を色々してもらっていたので、亡くなって以来…体調が悪い。今まで「介護保険の結果が出るまで、何ヶ月もかかる」と言われた事があり、申請を出さなかった。週に1〜2回、買い物や掃除をしてくれるヘルパーさんを、頼めないだろうか?。〈パンフレットを渡し、大事な所にラインマーカーを引いて、説明をした〉。ケアマネージャーさんと相談して、申請してみます。ありがとう。(79歳女性、一人暮らし、担当:松田、赤西)
- あの震災の朝の事を思い浮かべ、いざペンを取り書こうと思うと、涙が出て…胸が熱くなり、考え付く事は支離滅裂、まとまりがつきません。現在はこの住宅に住まわせて頂き、有難いという感謝の日々です。しかし、夫は健康が優れず、病院通いの毎日。震災の時は命があっただけでも喜び合いましたが、最低の年金で…家賃・保険等色々考え、あと何年生きていかねばならないかと思うと、不安な気持ちです…。新聞に、『震災の時、モンゴルの青年達が「隣の国が大変だ。毛布をみんなで集めよう」と草原を駆け回った。経済的には決して豊かといえない国だが、人々が助け合い、豊かな心で生活している。(略)すべてを満たされなければ、価値や満足は得られないのだろうか。本当の豊かさとは、欲望をコントロールできる、自立した人間に与えられるものであろう。』と、ありました。胸が熱くなり、震災のあの時の…皆様からの援助の有難さを思い出し、また考えさせられました。(74歳、2人暮らし、本人自筆)
体調が悪く、足腰も弱り…杖を使用しています。集会場へ行く時は普通の杖を、買い物等少し遠くへ行く時は…椅子代わりになる杖を使い、疲れると開いて座っています。息子が買ってきてくれました。息子は東京で一人暮らしをしており、帰って来るのは盆・正月くらいです。(担当:吉本・矢萩)
- 60年以上も吸ってきたタバコを、5月に止めてから…すっかり体調が良くなりました。血の循環が良くなったせいか、足のしびれもなくなり、今では足腰がしゃんとしています。元気になったので、朝早くからあちこちへ出掛けますが、妻から「家の事をしてから出かけて…」と言われてます(笑)。(85歳、2人暮らし、担当:吉本、矢萩)
- 薬を数種類飲んでいるが、元気です。また出来るだけ外を歩くよう、心掛けています。ケアラインや非常用のベルを付けており、身分証明も常に身に付けています。デイサービスや集会場での催しにも参加し、知り合いを作るようにしていますが、週末ボランティアさんにも定期的に、訪問して欲しいです…。(84歳女性、一人暮らし、担当:中塚、赤西)
- 震災から6年が過ぎ、当時の悪夢も忘れがちです。でも、こうしてボランティアの訪問を受ける度に、風化し…忘れがちの悲惨だった事、何とか立ち直るため努力した姿、暖かい手を差し出してくれた皆様の努力等、当時の記憶を呼び起こしてくれます。御礼の申し様もありません。今後もこの暖かい手の温もりを、年老いた人達へ、希望を失いかけた方々へと、お願い致します。私自身、ペースメーカーを入れており、健康には留意しております。(73歳、2人暮らし、本人自筆)
戦争の時、呉の海軍工廠でグラマン戦闘機の攻撃を受け、周囲にいた仲間は死んだが、私は生き残った。震災の時も、家はメチャクチャで、当日寝ていたら助からなかったと思うが、千葉の娘の家に泊まっていた。悪運が強いのか、九死に一生を得ています。娘達は、震災時に私達がボランティアの世話になったのを見て、今では様々なボランティア活動に参加してます。仮設では外に出ると、すぐ人の姿が見えたが、ここではほとんど見えず…寂しいですね。また、いらして下さい。(担当:吉本、矢萩)
- 被災時、父・娘でタンスの下敷きになった。その後小学校へ避難したが、寒さと飢えで親子3人共、肺炎になり入院した。それまで家族3人で働いていたが、震災で健康を害し、全員…働けなくなった。全壊の家から荷物を何一つ取り出せなかったので、仮設や公営住宅入居の際、親類に全て世話になり、今も借金を返せないままで、申し訳なく思っている。父は2年前に亡くなり、足が悪く…耳も遠い母(75歳)は、余計元気をなくしている。仮設では、声を掛け合い賑やかだったが、ここでは昼間人の姿を余り見かけず…心細い。皆、どうしてるのかと思う。この前大きな地震があった時、建物から多くの住民が出てきて、やっぱ人が住んでいたと感じた。寝付きが悪いので、眠剤を毎日、母娘で飲んでいます。(39歳、2人暮らし、担当:矢野、鹿島)
- 4階の友達がよく訪ねてくれるので、安心している。おかずもよく持ってきてくれる。また家族も来てくれるので、身の回りの問題はないです。〈体調も大変よさそうで、明るくお話しをして下さった〉。(83歳女性、一人暮らし、担当:松田、浦口)