1月6日
[復興住宅]
- 土曜日は仕事で家にいる事があまりなく、初めてお会いしますね。地震の時は、6時間生き埋めになり腎臓や足を圧迫され、危うく足を切断…という話もありました。その事を考えると、元気になり土を踏める幸せを、ありがたく思います。仮設の方が良かったという方もいますが、この家に縁があったと思い、前向きに考えた方がいいのでは…。ボランティアさん、寒いのに有り難う。〈「人恋うは…哀しきもの」で始まる『平城山(ならやま)に…』の楽譜を渡し、一緒に歌ってもらい、喜ばれました〉。(68歳女性、一人暮らし、担当:小波本、矢野)
- 家がペチャンコになる寸前…這い出て助かりましたが、何かが家へ突っ込んできたような感じで、とても怖かった。仮設では、歩いて買い物に行けたが、今はバスを使わなければならないので、不便です。家賃は、値上げするのでしょうか?。年金しか収入がないので、将来の見通しがわからず、不安に思います。(70代、2人暮らし、担当:鹿島、長船)
- 生活は落ち着いています。しかし、地震の恐怖は今でも残っており、ニュースを聞く度にビクッとします。一昨年頃から週2回通院する程、具合が悪くなってきました。何かにおびえるように、音がするだけで反応してしまいます。〈私達が年明けに、仮設で甘酒を配っていた事を覚えておられた〉。(?歳、2人暮らし、担当:鹿島、長船)
- 加古川の仮設から、一時待機で民間住宅に8ヶ月住んでいたが、そこは日当たりも悪く、ひどい所だった。ここは入居した時、ウグイスが鳴いていたので驚いた。周囲に山や緑が多く、気に入っており、生活を楽しんでいます。娘の所へは、孫の顔を見るのが楽しみで、よく行きます。〈玄関横に、仮設から夕暮れの風景を撮った写真が、2枚飾ってありました〉。夕暮れが美しかったので撮りましたが、うち1枚はプロの方にもほめて頂きましたよ(笑)。(60代女性、一人暮らし、担当:大槻、矢萩)
- 耳が悪いが、それ以外は元気です。震災で家は壊れましたが、今の住宅に当選する事ができ、本当によかったと思う。元気を出して、生きて行きたいです。今日は皆さんとお話が出来て、よかった!。(70代、一人暮らし、担当:矢野、小波本)
- 体のあちこちが悪いです。特に甲状腺は、心臓に来るので怖いです。今でも血を見たり、ケンカ・大声を聞いたりすると、心臓がドキドキします。昨年夏、やせて坂を上るのにも肩で息する程でしたが、甲状腺の薬を飲みだしてから太り、アロエを貼った効果か…体調が少しマシになりました。一番困るのは、買い物が不便な事で、病気が重くなった時の事を考えると、不安です。以前、ボランティアが物を配布する時、「集会場に来た人にだけ配る」と言っていたので抗議しました。病気や高齢で来れない人もいるのに、ちょっとの親切が足りないのではないかと思う。(66歳女性、一人暮らし、担当:大槻、矢萩)
- 震災から6年も経って、他府県では…すっかり忘れられたやろうな。不満はないが、強いて言えば、家賃が高いかな。また一人暮らしの高齢者には、高層住宅の生活は、なじめないと思う。ただ自分から外に出て、交流する努力は必要ですね。仮設の『ふれあいセンター』には、時々通ったが、ここの集会場は何となく入りにくい。住民のイベントは、仮設の時の方が楽しかった。(60代男性、一人暮らし、担当:山方、赤西)
1月13日
[復興住宅]
- 2人なので淋しい事はないが、買い物が不便で、辛い。近くにコープのようなものが出来れば、良いのだが…。家は全壊。でも今は、近くに子供がいるので安心です。孫が訪ねてくれるのが、楽しみですね。(?歳、2人暮らし、担当:西村、岸本、小波本)
- 昨春まで仕事があり働いていたが、現在失業中です。遊んでますねん。一人暮らしですが、近くに息子がおり、時々訪問してくれます。買い物に、名谷・垂水へと、バスで行きますが、不便ですね。(61歳女性、一人暮らし、担当:西、竹内)
- 1階から5階までは高齢者が多いけど、6回より上は若い家族が多く、勤めに出ている人も多いですよ。今は身の回りの事を自分でしていますが、手助けが必要になったときは、よろしくお願いします。(60代男性、一人暮らし、担当:渋谷、赤西)
- 公営住宅は、西神南などの交通の便がいい所を希望したけど、当選しなかった。今は、買い物が大変で困っています。いとこが近くにいるからいいけど、ここでは人の交流が、ほとんどない。特に男性は難しい。仮設から復興住宅へ移るうちに、人のつながりが…またバラバラになってしまった。(?歳、一人暮らし、担当:竹内、西、白倉)
- 風が強い日は、ドアが開きにくく、余りに寒い日は水滴が凍り、ドアが開きにくい。家賃が月6万円で、光熱費も合わせると辛い。また、交通費が高い。職(建築関係)があれば、まだいいが…。下半身(腰)を悪くしてしまった。住んで1年ほど経つが、周りに何もなく寂しい…。近くに安い店もなく、友人達とも離ればなれです。いずれは、元住んでいた所に戻りたい。ここは、何もいい事がない〈と、少々投げやりな様子で、すぐにでも出ていきたい雰囲気を感じました〉。(58歳男性、一人暮らし、担当:木原、矢野)
1月20日
[復興住宅]
- 一般募集で入居しました。転居後、ヘルニアになったが、今はほとんど痛みません。でも、用心の為コルセットをつけています。近くへ仕事に行ってますが、こうやって元気で働ける事を感謝しています。5棟に住んでおられるおばあちゃんと、よく行き来しており、悩み事を聞いてもらったりしています。今のところ問題はないですが、またいらして下さいね。(50代女性、一人暮らし、担当:里、矢萩)
- 元住んでいた所は、震災で焼け野原となり、都市計画地区になったが、今でも更地のままです。近所に住んでいた方たちもバラバラになり、居所がわからず、偶然会っても、今住んでいる場所を教えてくれません…。借金に追われているなど、色々事情があるのでしょう。被災後、仕事(自営)をしながら、避難所ではボランティア、仮設では役員等をしていました。でも3年前、首に腫瘍が出来て手術をした後、仕事をしても体がついていかず…今は働いていません。ボランティア活動などの、反動が来たのではと思う。〈部屋は整頓されており、几帳面な方でした〉。(60代男性、一人暮らし、担当:里、矢萩)
- 元気でやっています。今、失業中ですが、何とかなるでしょう。頑張ります。(40代、2人暮らし、担当:里、矢萩)
- 3年半前、交通事故で病院に…気がついたのは、50日目でした。現在、左下肢不自由(7級)です。杖を使えば歩けるので、何とか早く自立したいです。ただ、バスに乗ったとき、座りたいのですが、若い人達が座席を譲ってくれないのが残念です。隣の方と、部屋で将棋をしたり、ギターやハーモニカを毎日演奏して、すごしています。時々ボランティアで演奏を頼まれて、やっています。今日は、皆さんと過ごす事が出来、非常に良かった。必ずまた来て下さい。〈演奏付きで、『ふるさと』や『有楽町で逢いましょう』・民謡等を、一緒に歌いました〉。(51歳男性、一人暮らし、担当:町野、小波本)
- 糖尿病ですが、毎日散歩を続けています。コーラスをしていますが、通うのが遠く、出来たら…垂水のコーラスを紹介して欲しいです。必ず電話を下さいね←母親コーラスがあり、よければ紹介者が同伴する旨、お伝えした。(68歳女性、一人暮らし、担当:町野、小波本)
1月27日
[復興住宅]
- 高血圧で、心臓が悪い。また、こういう雨の日は…関節炎が痛みます。ここで知っている人は隣ぐらいですが、もともとこの近くに住んでいたので、近辺に友達が多くいます。また一人で本を読んだり、テレビを見ている方がいいので、集会場へは行きません。でもここは、色んな人がいますね。外で会って、挨拶しても知らんぷり。上の階から物を放る人間…。私も、もっと若かったら、出ていくでしょう…。小さい頃、満州に8年間いたので、中国語が少し話せます。元住んでいた所を売り払って、また中国へ行きたいが、売れず…更地のままですね。今日は皆さんが来るというので、掃除して待っていました。(65歳男性、一人暮らし、担当:川崎、矢萩)
- 公営へは、結婚後入居しました。仕事は、長田まで通っています。震災の時は親と同居していたが、壊れた家の補修が終わるまでの7ヶ月間、学校で寝起きしていました。(20代、3人暮らし、担当:川崎、外山、矢萩)
- 震災後、酒浸りになり意識不明のまま入院、3年半ほどの入院生活を経て、ここへ入居しました。週1回、訪問看護が来てくれます。集会場へは、話の合う人(趣味)がいないので、行かない。また県内外に、鉄道を通じての友人達がいたが、震災以前と同様な気持ちで親交が出来ず…書物に没頭する毎日です。震災時、新聞配達でガードをくぐり終えた瞬間、そのガードが落ち、辛くも助かった。戦争の時も、大きな防空壕に入ろうとしたが、人が一杯だったので、その先にある防空壕に入り助かった。帰り道、大きな防空壕の前を通ると、皆死んでいた。本当に間一髪で助かった事が多い。〈空襲のラジオ放送をはっきり覚えておられるほど、記憶力が良い方です〉。(66歳男性、一人暮らし、担当:川崎、外山、矢萩)
- 以前は須磨に、住んでいました。毎日の山登りが楽しみで、1月17日も出かける直前でした(その時、頸椎を負傷する)。入居した当初、不安で一杯だったが、皆が仲良くしてくれるので、大丈夫です。ホームヘルパーが週1回来てくれ、火曜日はデイサービスに行きます。今日は体調も良く、食事会に行ってきました。楽しかった。通院の時、ここの坂がきついので、右手の不自由な私は、杖をつくのも難しいです。また腕力が衰え、トイレが一番不便ですね。足も手の代わりに使いすぎて、だんだん自由が利かなくなってきました。〈富士登山を何回も経験した事を、冗談を交えながら話して下さり、帰る際は戸口まで来られ、手を振り「来週も来てね」と言われていました〉。(81歳女性、一人暮らし、担当:鍋田、竹内)
- 鉄工所をしていたが、工場も家も全壊で、何もない。妻は耳が遠いので、余り外に出ないが、2人で元気にしています。隣近所とも仲良くしていますよ。今日は、久しぶりにボランティアさんが来てくれて、家内も喜んでいます。〈四季の歌を我々2人で歌うと、何よりも良かったと喜ばれた。色々な話が出て、書けない程です。奥様の明るさに感動しました〉。(80歳、2人暮らし、担当:滝野、小波本)
- 買い物が不便です。病院がない。話し相手がないので、ストレスがたまる。ふれあいがない。(65歳、2人暮らし、本人自筆)
- 寒い間は、体調が悪くてしんどい。今も横になっていた。胃や肺など、内蔵のあちこちを切っているので、週に3回点滴に行ってます。点滴の後は、ちょっと楽になる。月に2回、ホームヘルパーさんが来る。食事は、自分で作ってます。あまり、食べれないけど…。(66歳男性、一人暮らし、担当:篠原、堀内、中西)
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