2月3日
[復興住宅]
- 今週も来てくれたんですね。右手が不自由で、トイレが間に合わない…って思う事が時々あり、困っています。でも、ご近所の方々が色々とよくして下さるので、幸せです。〈お話をしているうちに、若い頃の事を思い出されるのか、目が生き生きと、声も元気になっていかれた〉。(85歳女性、一人暮らし、担当:平野、小林、中谷)
- 今日は午前中出掛けていて、午後からはずっと寝ていました。これといって体は悪くないのですが、年のせいでしょうか、疲れやすくなっていますね。血圧がちょっと高いようで、週1回病院で薬をもらっています。とてもよくして下さるが、「これ以上、寿命を延さんとって」と言ってます(笑)。毎週日曜には息子が、農業公園の朝市で野菜を買って届けてくれますよ。全壊の家を解体する時も、着物など色々取り出そうと思ったが、息子が「金で買えんものを、取り出した方がいい」と、写真など思い出の品々を取り出してきてくれました。〈手芸や植木・折り紙・写真を見せて頂き、本当に生活を楽しまれているご様子でした〉。(90歳女性、一人暮らし、担当:奥平、仁田尾、矢萩)
- 歯医者以外、病院にかかった事もなく、元気です。自宅でカラオケやカメラを楽しんでいます。近くに友人がおり、仮設時代の友人も時々訪ねてきてくれます。また来て下さいね。〈たくさんの歌を一緒に歌ったり、歌ってもらいました〉。(68歳男性、一人暮らし、担当:角野、福岡、小波本)
- 私は、生まれつき足・腰が悪く、冬が一番辛いですね。ここはドアを閉めると…寂しいです。母は、この5年入退院の繰り返しでしたが、今は六甲の養老院にいます。骨を折ってしまい、90歳では手術に耐えられない…。私と母は、互いに夢を見ます。〈お母さんの写真を見せて頂いたり、お茶とパンを食べながら、話が弾みました〉。(58歳男性、一人暮らし、担当:藤田、岩本、矢野)
〔一般公営の空き家募集入居者〕
- 公団を県が借り上げ、被災者用の住宅としたところへ入居しました。周囲には被災者がおらず、若い入居者が多いです。エレベーターが各階に止まらないので、階段を使わなければならないが、手すりがなく下りは…危なく感じます。自分一人の為に、手すりを付けてもらう訳にいかないし…。手すりの申込先も、わからない。団地には集会場がなく…人のまとまりがつきにくい為、自治会もない。近所付き合いもなく、話し相手がいないのは辛い。毎日の会話が、大事ですね。小学校1年の時、関東大震災の揺れを、神戸で経験しましたよ。〈ご高齢の上、身体が弱ってきておられるので、今回も『ケアライン119』の申し込みをお勧めした〉。(85歳男性、一人暮らし、担当:西村、萩野、鹿島)
2月10日
[復興住宅]
- 家は全壊で、燃えてしまった…。片目が悪くなり、通院しています。入院した事もあり、やはり健康が第一と思う。兄は入院中ですが、訪ねていっても私の顔を覚えておらず、残念です。若い時は橋を作る仕事で、東京から九州まで飛び回っており、二重橋(皇居内)も手がけました。(61歳男性、一人暮らし、担当:大島、藤田、安田)
- 眼科・耳鼻科・歯科、12月からは突然の湿疹で、皮膚科へも通院しています。最寄り駅までのバスがいつも混んでおり、通院が大変です。昨年骨折した足の親指とぎっくり腰が痛みますが、何とかやってます。息子は近所にいますが、子供3人がまだ小さいので、なかなか来られませんね。新聞で、週ボラの記事を拝見しました。活動の形態が変わるかもしれないとの事、今日は一言お礼を言っておかなければと思っていました。仮設時代もずっと訪問して頂き、お世話になりました。(69歳女性、一人暮らし、担当:篠原、下山、矢萩)
- 若い時から喘息を患っているが、かかりつけの医者は細かい所まで、よくしてくれます。妹が近くの棟にいるので、よく会っている。でも、交通の便がよい井吹台の公営へ、入居したかった。家の中はとても暖かいですよ。仮設では足がしもやけになったが、今はそれもない。食事はゆっくりかんで、硬い物を食べるよう心掛けています。(79歳男性、一人暮らし、担当:萩野、矢野)
- 仮設の役員として最後の方まで残り、残られた数名の方が引っ越される数ヶ月の間、様子を見にも行っていた。みんなが住んでいる頃は、色々な文句を何度も言われ、腹立つ事もあり、何の得もなかった。公営住宅もなかなか当たらず、他人のちょっとした言葉に傷ついたりした。その当時、週末ボランティアさんの聞いた話を、自治会長に教えて欲しかった。自治会運営に役立てたのに。〈プライバシー問題があり、全てをお伝えする事が出来なかった〉。今も週1回、仮設があった空き地を見に行ってます。ここでは、たくさんの友達が出来た。『住めば都』ですね。孤独が寂しいと言う方がいるが、2人暮らしでもずっと話をしたり、顔を合わせたりしている訳ではない。(85歳、2人暮らし、担当:萩野、矢野)
- ケアラインを以前から申し込んでいたが、市の職員に事情を話した結果、最近取り付けてもらえた。やっと、一人暮らしの生活を安心して過ごす事が出来るようになりました。高齢になるほど、色々な面で、非常に不安が多くなります。一人でも多くの人々が、ケアラインを取り付ける事が出来るよう、様々な人々・行政に、努力して欲しいと思います。〈週ボラと長い付き合いがあり、年賀状・電話などでもメンバーと個人的に付き合いがあるようで、親切な対応をして頂いた〉。(77歳女性、一人暮らし、担当:大坪、仁田尾、川口)
- 風邪もひかずに、元気にしています。娘が三木に住んでいるので、ここで良かった。買い物は最寄り駅まで夫婦一緒に行きます。戦争体験もあるので、辛い事も頑張っていきたいと思います。(80代、2人暮らし、担当:藤田、大島、小波本)
2月17日
[復興住宅]
- 住んでいたアパートは、雨漏りなどしていたが、我慢して4年程いた。でも、復興住宅を申し込める事を知って、ようやく入居出来ました。アパートがまだ解体されていない為、自立支援金をもらえず、引っ越し貸付や借り入れも出来ない…。夫は地震の朝、その日に限り20分早く出掛けた為、高速を下りて…命が助かった。(67歳、2人暮らし、担当:川崎、東條)
- ここでは、近所付き合いが余りない。でも、隣とは仲良くしています。血圧が高いです。医者を代えたいが、いい所はないでしょうか?。〈「中へ入って」と言って頂いたが、玄関先にて色々とお話を伺った〉。(81歳女性、一人暮らし、担当:川崎、東條)
- 足が悪い為、余り外へは出ません。介護保険は、まだ若いという理由で、対象から外されました。若くても体が悪ければ、介護が必要なのは同じです。何か困った時、頼める人がいないのが不安です。臨時でも頼める、ヘルパーが欲しい。(54歳女性、一人暮らし、担当:後藤、大島、鹿島)
- コレステロールの薬を飲んでます。静脈瘤の手術を勧められているが、暖かくなったらと思っています。介護認定をもらえないので、1週間くらい寝込む時は…不便を感じます。ゴミのコンテナの掃除を、当番でしていますが、いつまで出来るか。市でやってくれたら、嬉しいのですが…。〈時折、「今後が不安。一人は淋しい」と言われていた〉。(76歳女性、一人暮らし、担当:鹿島、大島、後藤)
- ここは人通りが少なく、静かすぎて気味が悪い。夜は、出歩くのが怖い。ここで、子供を作る気になれない。人と話す機会がないので、少しでも知り合いを作りたいと掃除の日に出たが、グループで固まっていました。自治会の動きも、ないようだ。また高齢の人が、階下に固まっているけど、同じ階にも住んで欲しいと思う。神戸は人の関係も雰囲気も、活気がないですね。(27歳、2人暮らし、担当:大島、鹿島、後藤)
- 息子は就職活動しても、40代なのですぐ落とされている。アルバイトも、給料が安く…交通費さえ出してもらえない所が多い。このままだと収入がないので、不安です。私は足が悪く、階段や坂の多いこの住宅は、とても不便。そんなんで、親子して部屋に引きこもりがちです。でも、仮設からの知り合いの方や心配して下さる方がいるので、連絡したり相談を聞いてもらったりと、支え合っています。(69歳、2人暮らし、担当:萩野、西村)
- 最近、左目の視力がかなり落ちている事がわかった。悪いようなら手術するかもしれませんが、どんな手術か…不安です。月1回の大掃除は、いつも同じ顔触れで、それも年寄りばかりです。体がどこも悪くないのに、出てこない人もいて、不公平な感じがします。戦争中、飼っていたシェパードが軍用犬として徴用され、それきり戻って来なかった。それ以来、散歩で犬に会うと、可愛がるようにしています。昨年から、書道の通信教育を始めました。今日も稽古に熱中していて、皆さんが来られる予定を忘れていました(笑)。(76歳女性、一人暮らし、担当:谷、宇佐見、矢萩)
- ここでは、エレベーターにいたずらしたり、駐輪場で野球をする子供達などがいるので、見かけたら叱るようにしています。この棟の自治会長さんは、病気で手術をしたが、その後もずっと務めておられ、大変だと思う。他の役員さんも、仕事がそれぞれあり、代わりになれないのが、現状です。入居説明会で、壁に釘など打たないように言われたが、トイレのタオル掛けを両面テープで貼り付けても、しばらくすると落ちてしまい…困っています。(73歳女性、一人暮らし、担当:谷、宇佐見、矢萩)
- 震災の時、タンスの下敷きになり、助け出された時は火が回り、着の身着のまま焼け出された。仮設はずっと地元を申し込んでいたが当たらず、結局一番不便な所へ入居した。仮設も最後まで残され、人気がなくて怖かった。震災のショックが残っており、テレビで地震のニュースなど見ると、食事も喉を通らなくなる。火事にはとても敏感で、灯油を使わず、外出の際もコンセントを抜いて行くほどです。震災以降は、高血圧に胃潰瘍、目・足・腰も悪くなった。身近な親類はいませんが、友人が長田や須磨にいるので、病院の帰りに泊まってきたりします。ここでは、話す人もなく…寂しい。大掃除やゴミ当番の時は参加し、近所の方たちと話しますが、それ以外は付き合いがありません。〈緊急通報用ステッカーをお渡しした〉。(60歳女性、一人暮らし、担当:宇佐見、矢萩)
- 週1回、コープが来てくれます。市内や姫路にいる子供が来てくれます。若い人は高い所に、私のような年齢の者は低い階に住んでいて、うまい具合に分けられている。(73歳女性、一人暮らし、担当:仁田尾、大坪、矢野)
2月24日
[復興住宅]
- 左下肢が不自由。毎日、ギターやハーモニカを演奏しています。ボランティアの見本は、大人がやるべき!そうすれば若者もついてくる。周りの人は、経済的にとても苦しんでいます。また、病気で苦しんでいる人も、たくさんいます。(51歳男性、一人暮らし、担当:里、萩野、堀田)
- 体を壊し、3年半の入院を経て、ここへ入居しました。今は散歩するよう、心掛けています。健康保険は入ってないけど、特に心配してません。でも、いつ倒れるか分からない…。(62歳男性、一人暮らし、担当:柴田、大坪、小波本)
- 妻は医者へ行かず、ほとんど寝たきりです。近所の奥さん達が、毎日散歩しているのを知りながら、一向に出掛けようとしないので、頭を痛めています。でも妻が被災時、水汲み等の重労働をした為かと諦めもあります。私の目は・心は、今の世の中を見聞して、心が痛み休む間もありません。ですから、色々な所へ投稿しています。(79歳、2人暮らし、本人自筆)
- 喘息が治らなくて、せきこみを繰り返すので、横腹が痛い。震災以前は、縫製の仕事をしていたが、今はとても採算が合わないから、辞めてます。それにしても、いい時代に生まれました。年を追う毎に、暑さ・寒さが体にこたえますけど、近所の方々がいるので、安心を感じています。〈滋賀の方言を、一つ教えて頂きました。「けなるい→うらやましい」です〉。(76歳男性、一人暮らし、担当:大島、南野、矢野)
- 昨年白内障の手術を受けた後、眼鏡を作るのに3ヶ月もかかり大変でしたが、調子が今ひとつ良くない。でも、息子が毎日のように電話してくれるし、娘も何かと送る等、気遣いしてくれます。老人大学の卓球に誘い、指導してくれた夫も、ここへ入居して1年後に亡くなり、心にぽっかり穴が空いたようでした。今は…前向きに生きなければと思い、頑張っています。お金はないけど、今は幸せですね。〈草花や、色々な方から贈られた人形・ちぎり絵などを飾られていた〉。(80歳女性、一人暮らし、担当:仁田尾、塩田、矢萩)
- 新開地は昔、港や工場からの従業員で、街中いっぱいだった。また小さな店がごまんとあった。だけど、今は寂しくなったな…。戦時中、広島の奥地に住んでいたので、徴兵を免れていたが、昭和20年にとうとう徴兵された。でも、命拾いした。〈新開地の昔話に花が咲きました〉。(90歳男性、一人暮らし、担当:大島、南野、矢野)
- 去年の夏体調を崩したが、子供は近くにいるし、ご近所も親切にしてくれるので、今が一番幸せです。どこも悪くないが、年のせいか、少々色々な事が億劫になってきました。でも、毎月墓参りを欠かした事はありません。先祖を大事にしています。(83歳女性、一人暮らし、担当:大島、南野、矢野)
- 夫はここへ入居直後、脳梗塞で倒れましたが、幸い軽くてすみました。私は膝に水がたまるので、週1回抜いてもらっています。何もしないでいると、テレビばかり見てしまうので、2人して靴の内職をしています。作業はその都度違いますが、靴工場の人がちゃんと指導して見本を作ってくれます。娘が毎日のように「おかずを作ったから」と電話をくれるので、夫の車で訪ねていきます。(78歳、2人暮らし、担当:仁田尾、塩田、矢萩)
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